果たして「ロマンスの神様」は微笑むか? 広瀬香美の〝移籍・独立〟で思い出す、あの騒動…

芸能プロダクションと演者(歌手、俳優、タレント)との間のトラブルが後を絶たない。ここに来て、中でもクローズアップされて来たのが「芸名」の問題である。
新事務所設立と、その新事務所への移籍を自身のフェイスブックで発表(5月28日)した歌手・広瀬香美(52)に対して、それまで所属し、マネージメントをしていた「オフィスサーティー」が、公式サイトを更新(5月31日)し「広瀬香美」の〝芸名使用禁止〟を宣告した。
「弊社に許可を得ることがなく、新事務所への移籍を発表した」と、広瀬の一方的な〝独立行動〟は許せないと不快感を示した。その上で、「広瀬香美」と言う芸名(本名は石井麻美)についても「弊社の代表取締役である平野ヨーイチが命名したもので、その芸名の使用権限は、弊社及び代表取締役の平野に帰属する」としている。
しかも「事務所退所の場合は芸名を使用しない約束を文書で交わしている」とし、今後、芸名を使用した活動を続けるなら損害賠償を含め法的手段も考えているとした。これは穏やかではない。が、その一方で「芸名を使用させないと言っているわけではなく、話し合いたい」と、どこか譲歩した見解も出している。やはり、オフィスサーティーにしたって本音は大騒ぎにはしたくはないだろうし、出来れば「穏便に済ましたい」と思っているに違いない。
因みに、芸名の覚書は93年に交わされたそうで、権利は平野氏にあることを確認している。当然だろうが「契約書は広瀬さんもお持ちだと思う」と代理人弁護士は言う。この問題、結局は、話し合いの席を設けて、お互いにウィンウィンの関係で「和解」するのが一番だが、正直言ってスンナリとはいかないだろう。広瀬の出方によっては問題が長期戦になることも十分に考えられる。
広瀬は、「ロマンスの神様」の大ヒットで知名度をあげた。自身の作品以外にも川中美幸や郷ひろみ、篠原涼子、少年隊、広末涼子、上戸彩、安達祐実ら多数アーティストにも曲を提供している。それだけではない。自身の才能を、さらに前面に出して「広瀬香美音楽学校」を開校したり、「広瀬香美合唱団」なども設立している。
まさに音楽を中心に幅広い活動を続けているわけだが、私生活はと言うと99年に俳優の大沢たかお(50)と電撃結婚したが、06年に協議離婚、その2年後の08年にはIT系の企業に勤務する1歳年上の米国人と再婚している。そう言った意味では、私生活も大きな問題はなさそうだが、ここに来て「移籍」「独立」である。ここは一気に勝負をかけた感じかも。そういえば、今年初めに、やはり事務所からの完全独立宣言をした小泉今日子も52歳だった。
因みに、広瀬の運営する音楽学校や合唱団は、彼女の知名度の高さもあって「順風満帆」だと言う。
それにしても、あらゆる部分で「広瀬香美」と言う名称を使っていながら、これまで、契約や条件等についての話し合いは、それなりにして来たとは思うが、いきなり新会社を設立して「独立」と言う彼女の行動には、潔さと言うより、違和感の方が大きい。「何で何だろう…」と言った疑問さえ感じる。それとも「もう話し合っても無理」とか「新事務所の知られたら妨害される」と言った、広瀬にとってはネガティブな状況でもあったのだろうか?
どっちにしても、状況を見る限り、今回の「移籍・独立」は、念入りに準備して来たもので、明らかに〝強行〟である。もちろん、こんなことを広瀬が一人でできるはずもないのだが…。どっちにしても、ここまで来たら、もはや話し合っても簡単にはいかないだろう。

◾️損害賠償5億円請求!裁判敗訴の腹いせは?

そう言えば、今回の広瀬の「移籍・独立」問題にソックリな騒動があったっけ。
これは、本名どころか「芸名」を巡って裁判に発展、ついには「2人の同名俳優が出現」するという前代未聞の〝珍事〟になった。しかも、この芸名を巡るトラブルは当時、NHKまでもが午後6時と7時のニュースで報道するほどとなり、2年越しの社会的問題に…そんな出来事があった。
その出来事とは、当時21歳だった俳優・加勢大周の独立騒動だった。
91年4月4日付で所属事務所「インターフェイスプロジェクト」に「契約解除通知書」を提出、同年6月1日付で新たに母親を代表とする個人事務所「フラッププロモーション」を設立したことが発端だった。この加勢の行動にインターフェイスの竹内健普社長が猛反発。「一方的な独立は許さない」と東京地裁にテレビ、映画への出演禁止と「加勢大周」の芸名の使用差し止め、さらに5億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。
もちろん5億円の損害賠償なんてのは破格だったが、それより当時の芸能界で、出演禁止と芸名使用の差し止めを裁判所に求めるなんて聞いたこともなかった。
加勢の本名は川本伸博だった。都立玉川高校に在学中(3年)スカウトされ、89年12月に「ファミリーマート」のCMで芸能界デビューした。彼の名前を全国区にしたのは90年9月に公開された映画「稲村ジェーン」で主役に抜擢されたこと。この映画は、サザンオールスターズの桑田佳祐が初監督したもので当時、配収20億円をあげた。
「加勢大周」は、インターフェイスの竹内社長がリスペクトする江戸幕末の幕臣・勝海舟にちなみ「勝海舟のようにスケールの大きな人間になるように」という願いを込めて命名したものだっただけに、独立することは感情的にも許せなかったにかもしれない。
 「とにかくインターフェイス側は専属契約で合意したにも拘らずCMの仕事もすっぽかした上、新たに個人事務所を設立し、そこと専属契約を結んだことに激怒したのです」(プロダクション関係者)という。
もっとも事態を憂慮した「大手プロが間に入って解決するはずだった。当初はインターフェイス側も金銭的和解という条件で呑むはずだった。ところが加勢の親族や元マネジャーまでが不穏な動きを見せたために、二転、三転、まとまる話もまとまらなくなった」(事情通)。
このことから訴訟では「和解どころか全歩み寄ることもなかった」。
92年3月30日、東京地裁は「加勢大周」の芸名での出演禁止を命じる判決を出した。
しかし加勢側は判決後も芸名を変える考えのないことを強調、東京高裁に控訴した。ところが、その高裁は地裁の判決を破棄し「芸名の使用と活動の自由を保証」する逆転判決を下した。
この判決に気が収まらないのはインターフェイスである。裁判から1週間後に加勢に対抗する新しい俳優「新加勢大周」のお披露目会見を開いたのだ。
2人の「加勢大周」登場すると言う、漫画のような出来事に業界は唖然呆然となった。
新加勢大周はワイドショーに生出演し、鍛えぬいた上半身を披露したり、体力検査までして加勢大周と比較していた。それどころか、この出来事をNHKまでが取り上げたものだから、さらに大騒動になってしまった。
さすがに、このドタバタ劇には「共倒れになる」との批判が相次ぎ、最終的にインターフェイスが折れた形で「新加勢大周」は「坂本一生」に改名された。
こういった事態に当時、日本俳優連合で専務理事を務めていた二谷英明さん(故人)からは「こんなことは二度と繰り返したくはない。将来ある若い青年の才能を摘み取ってしまう」と異例の見解まで出た。この言葉は肝に銘じておくべきだろう。
芸能人の「芸名」を巡る所属事務所のトラブルといったら、最近では本名の「能年玲奈」を使用できず「のん」として新出発したケースがある。宗教問題でトラブルになった清水富美加とは決着して、能年とは決着しないのは、やはり条件で折り合いがつかないのだろう。しかし、こう言った問題は長引けば長引くほど、両者にとってイメージを下げかねない問題になっていることだけは確かだ。とは言っても「売れたら独立」と言うのも、日本人的な感情からしたら「恩知らず」とも言われかねない。「立つ鳥跡を濁さず」ではないが、やはり最低限の敬意は払うべきだった。そう言った意味でも、広瀬の場合は「ロマンスの神様」も微笑んでくれないと思うのだが…。