葬儀をしないのは藤さんの遺志!? 宇多田ヒカルが沈黙を貫くことに何の意味があるのか…?

「日本にいる」とか「日本にはいない」とか…。いい加減、ハッキリした方がいいと思う。
歌手・藤圭子さんの飛び降り自殺の、その後のことだ。
目黒の碑文谷会館に安置された藤さん。
表向きは、藤さんの遺志で葬儀はされないという。藤さんの遺志って?誰が、生前に藤さんの遺志を聞いていたのか? 元夫の照實氏が果たして聞いていたと言うのなら、それは疑問だ。要するに、こんな亡くなり方で葬儀は出来ないと言うことかもしれない。
「こんな亡くなり方」というのは、あるいは一人娘の宇多田ヒカルにとっても同様の気持ちかもしれない。
しかし…。宇多田ヒカルは「沈黙を貫いている…」なんて報じられているけど、正直言って、ここで沈黙を貫くことに何の意味があるというのか? 要は、ここでヒカルに助言したり意見を言ったりする人がいないってことだろう。だとしたら、母親である藤さん同様に娘のヒカルも寂しい孤独の女ってことになる。
本来だったら、ここで父親の照實氏を無視してでも「私一人でも母を送ります」とか何とか言って、葬儀を仕切ったりなんかしたら、ファンはもちろん、多くの人の心をわし掴みにしたと思うのだが…。もちろん、そんな気持ちで葬儀を仕切っても意味はないかもしれないが、一人娘として母親の最後ぐらいは、しっかりと見送った上げた方がいいはずだ。でなければ、後で後悔や無念さが残るだけである。
とにかく、藤さんの晩年はどうであれ、歌手としての藤さんの足跡というのは昭和の歌謡史に残るだけの価値があったことは確かだ。実にもったいのない話である。