塚越孝さんの自殺に続いて“ザ・ピーナッツ”の伊藤エミさん逝去ニュース!! 思い出すジュリーとの結婚・離婚騒動…。

“つかちゃん”の愛称で親しまれていたニッポン放送とフジテレビの元アナウンサーの塚越孝さんが、東京・お台場のフジテレビ局内の男子トイレで首つり自殺していた。享年57歳。ショッキングな事件だった。塚越さんは、昭和52年にニッポン放送に入社した。「オールナイトニッポン」や「朝からたいへん!つかちゃんでーす」などの番組を担当してきた。その後、平成18年にニッポン放送からフジテレビのアナウンス室に異動し、昨年6月から「クリエイティブ事業局営業部」で部長職を務めていたという。遺書もあったそうで、所轄の警視庁東京湾岸署では自殺とみて調べているが、それにしても、会社で自殺すると言うは…。
塚越さんの自殺が話題になっている中、飛び込んできたのが今度は、あの「恋のバカンス」や「恋のフーガ」のヒット曲で知られる双子のデュオ”ザ・ピーナッツ”の姉、伊藤エミ(本名・日出代)さんが15日に亡くなった――なんていうニュースが流れてきて、またビックリ!!  葬儀・告別式は近親者で済ませたというが、71歳と聞いて「そんな歳だったんだ…」と、また驚いた。
言うまでもなく、”ザ・ピーナッツ”は、今は亡き渡辺プロダクションの社長だった渡辺晋氏が最初に育てた歌手――いわば”渡辺プロ専属タレント第1号”だった。
“ザ・ピーナッツ”は、姉の伊藤エミと妹の伊藤ユミの双子だった。デビュー前は名古屋市で過ごした関係もあって、市内のクラブでは連日”伊藤シスターズ”の名前で歌っていた。この2人を市内のレストランで見つけた渡辺社長は、自らスカウトしたと言われる。当時16歳だった。2人は渡辺社長の熱意に感激し東京へ行くことを決意、その後、2人は東京・広尾にあった渡辺社長の自宅で下宿生活を送りながらスターを目指していった。
昭和34年(59年)、デビュー曲「可愛い花」が大ヒットした彼女たちは一気にスターダムに登りつめた。その後もヒットを連発し、引退するまで渡辺プロに所属し大きな貢献をしたことは言うまでもない。
で、伊藤エミさんで知られているのが、”ジュリー”の愛称で人気の沢田研二の前妻だったことだろう。ジュリーとエミさんは、昭和50年にエミさんと結婚した。が、ジュリーにとっては、きっと余り触れられたくないネタに違いない。そもそも当時のジュリーは結婚後、何に不満を抱いていたのか分からないが、とにかくトラブルメーカーだった。きっとエミさんも苦労したに違いない。と言うのも、結婚した昭和50年から翌51年の僅か1年の間に、2度の暴力事件を引き起こしたのだ。
まず、昭和50年の暴力事件は12月7日に東京駅で駅員を殴ったもので、書類送検され、その年の「日本レコード大賞」や「NHK紅白歌合戦」にまで波紋を呼んだ。結局は、事なきを得たが、全く反省がなかった。
そして、その翌51年6月には、今度は東京駅に到着する直前の新幹線の中で、男性乗客を殴り、股間を握ったの握らなので大モメとなり、その男性乗客から被害届けを出され大騒ぎになった。もっとも、所属事務所の渡辺プロダクションが強大だったたから、ジュリーの私生活こそ表面には出てこなかったが、エミさんの心労は大きかったに違いない。
「ジュリーは、渡辺プロから昭和60年に独立、昭和62年には渡辺晋社長が亡くなりましたが、渡辺社長は、いつもジュリーのことを心配していた。特にエミさんとジュリーとの関係が冷え切ってしまっていたことも心配事の1つだった。もっとも、エミさんの気持ちとしては正直言って子供もいるし、離婚という結果だけは避けたかったんじゃないでしょうか」(当時を知る芸能関係者)。
しかし、ジュリーとエミさんの”離婚危機”は誰にも止めることは出来なかった。 ジュリーは、エミさんと子供が住む東京・世田谷区中町の自宅を飛び出して、渋谷区内に1人住まいの秘密のマンションを持ち「別居生活」となった。
「別れたい」というジュリーに、「その気はない」というエミさん。まさに”生殺し”状態だったと言われる。しかし、最後はエミさんがギブアップ、昭和61年12月26日に離婚を合意、翌62年1月6日に「離婚届」に判を押し、翌7日午前中に代理人が東京・世田谷区役所玉川支所に「離婚届」を提出、11年間の夫婦生活にピリオドを打った。
2人の1粒タネの一人(かずと)君=当時7歳=は、エミさんが引き取り、慰謝料については、一人君の養育費、さらには土地はエミさん名義になっていることで世田谷区中町の自宅はまるごと明け渡された。すべて含めると「3億円前後」と言われた。
今は亡き芸能レポーターの梨元勝氏は当時、ある芸能レポートにこう書いている。
「そもそも結婚した時も、日出代さん(エミさん)の方は結婚しなくてもいいと思っていたんです。もちろんスターに成長していくジュリーを支えたのは彼女です。7歳年上ということもあり、自分は日陰のままでもいいということだったんです。でも、沢田がそんな彼女の気持ちに応えたいと結婚に踏み切った。だから日出代さんとしては、今回の離婚についても、そんなに彼が望むなら『わかったわ』という淡々とした気持ちが最後にはあったのでは」。
今振り返ると、エミさんは山あり谷ありの人生だったに違いない。
いずれにしても、”ザ・ピーナッツ”は、卓越した歌唱力とハーモニーの美しさで注目された。「NHK紅白歌合戦」も昭和34年から昭和49年にかけて16回連続で出場した。中でも、昭和36年の怪獣映画「モスラ」では、双子の妖精「小美人」を演じて
♪モスラヤ、モスラ…
と歌い、大きな話題となった。昭和50年に引退を発表してからはマスメディアからは遠ざかっていた。