紆余曲折、波乱の中で結婚したが…西川哲と菊池桃子が結婚17年目でピリオド!! 2人の子供の親権は桃子に…

女優の菊池桃子(43)とプロゴルファーの西川哲選手(43)の離婚が正式に発表された。結婚17年目での離婚である。2人の間には現在、中学3年生で高校受験を目前に控えた長男と、10歳になる長女がいるが、親権は桃子が持つようだ。いずれにしても、2人の間は冷め切ってしまっていたようだ。
しかし、楽天・田中将大とタレントの里田まいが結婚するとか明るい話題の裏で、離婚も…ということである。
振り返れば、桃子と哲の結婚というのは結構、紆余曲折、大変だったのだ。2人の真剣な交際が明らかになったのは18年前の94年4月のことだった。2人は93年5月6日静岡・伊東市の川奈ゴルフコースで開催されたフジサンケイクラシックゴルフのプロアマ戦で知り合った。同じ組でラウンドして苦戦する桃子に、西川が「肩が入ってないから体が回らないんだよ」なんてアドバイス。桃子は「アドバイスを受けてから、ホールが進むごとにうまくいくようになりました」と笑顔を見せていたものだった。そのうち哲が都内の桃子の実家で食事をするなどしているうちに仲が深まっていった。「2人は誕生日が2日違いで同い年。桃子の実家と哲の自宅が近いことから、最初は同級生感覚で交際が始まった」と言うのだが…。
しかし、ゴルフの練習場に同行したり、オフには一緒にラウンド。食事をするなどデートを重ねるうちに、93年の暮れにはかなり交際が深まったという。ま、よくある話だった。しかも、桃子の仕事関係者も、西川にゴルフのコーチを受けるなど、周囲も公認の中で交際は続いていた。とにかく、1人暮らしで食事が不規則になりがちな哲だったが、桃子の実家で食事をすることだけはしっかりしていたようだ。
因みに、当時は女優・石田ひかりと清水エスパルスの青島文明。Winkの片割れだった鈴木早智子と横浜マリノスの山田隆裕、タレント、かとうれいことヴェルディ川崎の永井秀樹、同じく武田修宏と梅宮アンナ。さらにプロレスラーの高田延彦と馳浩が、それぞれタレントの向井亜紀、高見恭子と結婚。野球ではヤクルトスワローズの投手だった荒木大輔が女優の相田寿美緒と結婚、横浜ベイスターズだった石井琢朗内野手がアイドルグループ「CoCo」の三浦理恵子と交際。騎手の武豊とタレント佐野量子が婚約を発表するなど、今振り返ったらそれはそれは賑やかな時代だった。
さてさて、桃子は、その当時は圧倒的な人気を誇っていた。彼女は1968年(昭43)5月4日、東京生まれ。デビューは84年に映画「パンツの穴」のヒロインになったことだった。山口百恵と同じ目黒の日の出女子学園だったが、高校生の桃子は大人気。「青春のいじわる」でバップレコードから歌手に。サウンドプロデューサーは林哲司だった。しかし、その後“ラ・ムー”なるロック・グループを結成したことが命取りとなった。
しかし、テレビドラマ「同級生」、テレビ・映画「パ・テ・オ」などに出演し、その後は女優として本格的に活動して成功した。確か、デビューして最短で日本武道館公演をやった。
一方の西川哲。彼は1968年(昭43)5月2日、東京生まれ。日体荏原高卒業後、88年のプロテストに一発合格。90年の千葉オープンでプロ初優勝を飾った。ツアー初Vは91年のマルマンオープン。青木功の門下生で、”青木ファミー”のホープ。タレントの五月みどりの長男ところで、桃子の交際相手だった哲の父親・西川幸男氏は「新栄プロダクション」の会長でもある。当時、仕事で訪れた大阪で桃子の印象を語ったことがあった。
西川会長は、94年の正月、哲から「会ってほしい人がいる」と言われて、桃子に初めて会った。「菊池さんのことはよく知らなかったのですが、素晴らしいお嬢さんでした」と幸男氏。そして「向こうのご家族や事務所さんのことがありますから」と前置きした上で、「私も早く孫の顔が見たいですよ」と手放しの喜びよう。2人のゴールインを心待ちにしている様子だった。
交際から1年――94年8月8日、2人は都内ホテルで婚約の緊急会見を行なった。
「余りに突然の会見だったので大騒動になりました。結局、週刊誌の不仲報道を打ち消す目的があったようですが、今振り返ると週刊誌の記事に反応するということ自体異常ですよね。会見で、西川は『前の年(93年)の暮れには(お互いの)気持ちは固まっていた』と言ってノロケていました。しかも会見では、500万円の婚約指輪も手渡していた。緊急会見の割には準備が行き届いていましたね」(当時を知る関係者)。
因みに、週刊誌の不仲報道については桃子自らが女性週刊誌に電話を入れ、不仲説を否定したこともあったとい
う。それだけに、早くケジメをつけたかったようだ。
その後、挙式は桃子の仕事が一段落する95年4月24日に決まり、媒酌人は青木プロ夫妻が務めることになった。ところが、その挙式が何と僅か1ヶ月前の3月7日に突然、無期延期されることになり業界内では「婚約解消か」といった噂まで飛び交う事態になった。
これも当時を振り返る――。
95年3月3日の夜、哲と異母兄弟の山田太郎氏(新栄プロダクション社長)から「挙式延期」を知らされた桃子は、父親の西川幸男氏(新栄プロダクション会長)に電話を入れ、「哲さんを許して下さい」と号泣しながら挙式を予定通り行なうことを懇願したと言う。
しかし、西川会長は
「親の気持ちは親にならなければ分からない」
「あんたが悪いんじゃない。一人前じゃない哲が悪い」
と桃子の懇願を一蹴したという。
桃子は、落胆しながらも仕事をこなしたが、心労が重なり7日に右上腹部などに痛みを訴え、コップ1杯分ほど吐血した。診察の結果「十二指腸潰瘍」と判明し、都内の病院に緊急入院する事態になった。
「腸に穴が開いていて、絶対安静となっています」
事務所関係者は沈痛な面持ちで殺到するマスコミに対応していた病院の診断書には「約4週間の入院治療を要す見込み」と記載されていた。関係者は「桃子は、病室でも泣き続けている」と語った。
一方、桃子の母親まで心労で倒れ、入院し点滴を受けていることが明らかに。このため、西川会長も、桃子の入院や息子との確執で心労が重なって8日には都内病院に緊急入院するという騒ぎに発展した。
果たして挙式の無期延期の原因は何だったのか?
披露宴に向けて西川家と菊池家との間で折り合いがつかなかったという説もあったが…
しかし、2人の婚約が発表されたのが94年8月8日。普通なら年内に結婚するのが普通だが、婚約発表から8ヶ月も経って、しかも挙式目前に無期延期じゃ”危機説”が飛び交うのも無理がなかった?もっとも、西川会長の怒りは、披露宴のやり方というより「自分の成績や態度に許せなくなったのでは」(哲)とした。
3月9日に鹿児島で行われた「男子プロゴルフ開幕戦・東建コーポレーションカップ」は94位と大出遅れだった。母親の五月みどりも「哲は高校を卒業後、ゴルフしかやってこなかった。人間的にも未熟な部分が多い」と語っていた。
「西川会長は、シード落ちした西川哲に『結婚するのに食べていけませんでは無責任過ぎる。(結婚は)しっか
り成績を残してからでも遅くない』と一蹴された。西川哲は反論したが抗しきれなかった」(関係者)。
しかし「単に(哲氏が)未熟だから」と言う理由で結婚させないということに対して、ファンから同情の声が出た
。桃子は一気に「悲劇のヒロイン」になった。
こういった状況の中で奮起した?西川哲は95年7月に富士カントリー出島コースで行なわれた「日経カップゴルフトーナメント・中村寅吉メモリアル」で3度目の優勝を遂げた。獲得金額は2183万1546円。この成績をバックに、96年2月6日に高輪プリンスホテルホテルで挙式した。この時、桃子は妊娠4ヶ月だった。
こうしてみると2人の結婚は、ある意味「執念」に近いものがあった。それだけに、今回の離婚はお互いに感慨深いものがあったに違いない。
しかし、その一方で、やはり夫婦円満の秘訣というのは奥さんがスパっと仕事を辞めて、旦那に尽くすことなのかもしれない。こうやってみると、スポーツ選手の奥さんで、スパっと仕事を辞めないで、夫婦関係が続いているのはサッカーの三浦知良と設楽りさこの夫妻ぐらいかも…?