美空ひばりさん死去(中) 加藤和也社長の初仕事・初プロデュースだった横浜アリーナでの“不死鳥公演”は幻に…。

「美空ひばりさんが亡くなったという情報が流れたのは24日の午前2時過ぎでした。その情報は衝撃波となって芸能界に瞬く間に伝え広がりました」(マスコミ関係者)。
89年6月24日未明――この日は大雨警報が出るほどの荒れた天気だった、しかも深夜だったにも拘わらず、真相を探ろうと入院先の順天堂大学病院には100人を超える報道陣が殺到して大混乱となった。その間、病院で担当医が容体について記者会見をするという情報や、何故か、警視庁関係筋から「ひばりさんは、すでに目黒の自宅に戻った」なんていう情報まで流れ、詰め掛けた報道陣の緊迫ムードは一気に高まった。
ひばりさんの死亡が正式に発表されたのは、亡くなってから2時間半過ぎた午前3時過ぎのことだった。
ひばりさんの遺体は、午前2時20分に青葉台の自宅に戻った。ひばりさんの自宅前で、記者会見を行った日本コロムビアの大槻孝造・宣伝部主幹(当時)は「最期を見取ったのは息子で、ひばりプロの加藤和也副社長(現社長)と、ひばりさんの女性の付き人2人でした。昨日までは元気だと聞いていましたので驚いています」と言葉少なめに語っていた。
ひばりさんは全国ツアー中、入退院を繰り返していたが3月21日、自宅からニッポン放送の10時間特番「美空ひばり感動のこの1曲」に出演。「放送終了後、体調を崩し順天堂大学病院に再入院した。
その直後だった。「髪が抜けるようになった」とか「肺に重大障害があるらしい」「げっそりやつれて見る影もなくなった」と病状が深刻になっていることをうかがわせていた。その間、順天堂大学病院のひばりさんの病室には”厳重ガード”が敷かれ、面会謝絶の状態の中で治療が続いていたという。
「実は、入院していなければ、4月17日に東京ドームに続く”不死鳥公演”が、横浜アリーナで行われる予定だったんです。加藤和也さんの初仕事、初プロデュースになるはずだったんですけど、今になって思えば幻のコンサートになってしまった」(当時のコロムビア関係者)。
ひばりさんは、左右大腿骨骨頭壊死という難病に蝕まれ、さらに慢性肝臓病も抱えていた。
「左右大腿骨骨頭壊死は、骨盤につながる大腿骨の先端部分(大腿骨骨頭)が死んで壊れていく病気。完治するためには手術をして、人工骨頭と交換する必要があるが、ひばりさんの場合は、肝臓の病気が悪化していたため無理だった」(病院関係者)。
ひばりさんが無理してコンサートなどを行ったことも寿命を縮める結果となった。「病状は悪化していた。再入院したときは、すでに回復するのは無理な状態だった」とも言われる。ひばりプロは死因を「間質性肺炎による呼吸不全」と発表していたが、一部には悪性腫瘍(肝臓がん)が進行していた」といった情報もあった。
(つづく)