美空ひばりさん二十三回忌法要(上) 88年の年末にディナーショーを開いた思い出の帝国ホテルで…

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戦後のスーパースターと言われ、敗戦後の国民を励まし続け、昭和の終わりとともに逝った”歌謡界の女王”美空ひばりさん。
今年は、ひばりさんの二十三回忌。
きょう20日、東京・日比谷の帝国ホテル(孔雀の間)では、二十三回忌の法要が営まれた。会場には800人が招かれ在りし日のひばりさんを偲んだ。徳光和夫の司会で進行した法要、献杯の発声は、元NHK会長の海老沢勝二氏が行った。
思い起こせば、ひばりさんが入院先の東京・文京区の順天堂大学病院で亡くなったのは89年6月24日のことだった。52歳。死因は、間質性肺炎による呼吸不全。
改めて当時を振り返ってみた。
ひばりさんは、87年4月に左右大腿骨骨頭壊死と慢性肝臓病のため、福岡県の済生会福岡総合病院に入院、この年の8月3日に退院。112日ぶりに東京・目黒区青葉台の「ひばり邸」に戻った。周囲からは「奇跡の回復」と言われた。翌88年の正月には、本格的な復帰に向けハワイで静養、帰国後はアルバムのレコーディングに入った。そして、闘病から1年後の4月11日には復帰第1弾として初の東京ドーム公演「ひばりIN TOKYO DOME」を行ったが、そのダイナミックなステージは「不死鳥ひばり」と驚かせたものだった。
「病み上がりで、傍目から見ても辛そうだった。ところが、ステージに上がったひばりさんは、まるで神がかったように熱唱していました。ステージに生きてきたひばりさんのプロとしての根性を垣間見ました。ステージから降りたひばりさんはグッタリしていました」(関係者)
東京ドーム公演後は、闘病生活を送った福岡市の福岡サンパレスを皮切りに「ご恩返しコンサート」スタート、この年の年末12月25、26日には今回、二十三回忌の法要の場ともなった帝国ホテルで2年ぶりのディナーショーを行ったが、そのチケットは1枚6万5000円と高額で大きな話題となったものだった。因みに、この金額は24年経った現在でも破られていない。
89年2月には、再び福岡を皮切りに全国28ヶ所の全国ツアーが行ったが、これが、ひばりの最後の全国ツアーとなってしまった。
ツアー中、ひばりは入退院を繰り返し3月23日、ひばりプロダクションと所属レコード会社の日本コロムビアは記者会見を行い「アレルギー性気管支炎悪化」を理由に「年内休養」と発表した。
 「この時に、ひばりの重病説が度々流れ、その都度、大騒ぎになった。マスコミの矢面に立ったのはコロムビアの宣伝部長(境弘邦氏)だったが、ひばりの病室での写真や直筆メッセージ、さらには、ひばりさんが病室で描いた絵などを公開して、重病説を否定、元気なことをアピールしていました。今、考えると、ひばりさんの病気が悪化していることをファンに知らせまいとしていたんでしょうね」(当時を知るマスコミ関係者)。
しかし、再び”奇跡の回復”を見せて、ステージに立つことを待ち望んでいた国民の願いも届かず、6月24日午前零時28分、52年の華麗なる花の生涯にピリオドを打った。
(つづく)