世界的なエンタテイメント大手への成長は同氏の先見の明のたまもの…ソニー元社長・大賀典雄氏死去

ソニーの元社長で現名誉会長だった大賀典雄氏が23日午前9時14分、多臓器不全で死去した。81歳だった。大賀氏は、静岡県出身で、沼津東高校を卒業後、東京芸術大学音楽学部に入学(卒業)した。
ソニーのハワード・ストリンガー会長兼最高経営責任者(CEO)は声明で弔意を示すとともに、世界的なエンタテイメント大手への成長は同氏の先見の明のたまものだと述べていた。
大賀氏はソニーの映画(現ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)、ゲーム(現ソニー・コンピュータエンタテインメント)、音楽部門(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)での成長戦略を率いた業績で知られる。中でもCDに早くから着目し、その開発では陣頭指揮に立った。ベートーベン交響曲第9番の全曲収録できるよう、CDの録音時間を75分間とする規格を主張したのも大賀氏だった。特に、今は消滅してしまった感じだが、MDの開発にも尽力した。さらにゲーム事業への参入を主導し、89年には米コロンビア・ピクチャーズを買収した。また、指揮者としても知られ、90年、還暦を迎えた時は東京フィールハーモニー交響楽団(同交響楽団会長。理事長を務める)を指揮した。その後もベルリン・フィルハーモニー管弦楽団をはじめ、世界のオーケストラとの共演を果たした。また、長野県軽井沢町に軽井沢大賀ホールを建設、昨年は5周年で郷ひろみのコンサートを行ったが、今年も5月2日に南こうせつのコンサートを予定している(ゲストは伊勢正三)。
大賀氏について詳しいことは、高橋裕二さんが、ブログ「洋楽天国」の中で書いているので、その内容を転載することにした。

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《筆者(私)が大賀さんに最初に会ったのは1970年のCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)の中途入社試験。1970年大賀さんは40歳の若さでアメリカのCBSレコードと日本のソニーの合弁会社CBS・ソニーレコードの社長に就任した。最終面接で大賀さんは「君は棒を振った事がありますか」と尋ねられたので、「いいえ、私はクラシック音楽は全く駄目です」と答えると、大賀さんは「棒といったってタクトの事じゃない。学生運動の棒の事だよ」と話された。CBS・ソニーで大賀さんはいつも「琴線に触れる音楽を作りなさい」と社員に話していた。

CBS・ソニーを日本一のレコード会社にした後、1982年ソニーの社長に就任する。盛田昭夫会長の下、エレクトロニクスのソニーにより大きなシナジー効果をもたらすべく、音楽最大手のアメリカのCBSレコードを買収、映画の最大手のコロンビア・ピクチャーズの買収の指揮を執る。コンパクト・ディスクは大賀さんが作ったと言っても過言ではない。音楽家でもある大賀さんの親友カラヤンとはジェット機の操縦士仲間。カラヤンはコンパクト・ディスク推進者として大賀さんをサポートした。カラヤンの自宅でカラヤンの死を看取ったのは大賀さんだった。

音楽や映画に加えゲーム・ビジネスに進出する。日本の音楽や映画で世界を制覇するのは不可能だがゲームなら可能だと大賀さんは判断した。1993年、ソニー・コンピュータエンタテインメントを設立、翌94年12月3日プレイステーションが発売される。筆者もこの時期ソニー・コンピュータに在籍していた。プレイステーションの生みの親である鬼才久多良健をコントロール出来たのは大賀さんだけだった。

写真は大賀さんと筆者。2008年春、久多良木健がプレイステーションの功績でアメリカ家電協会の「名誉の殿堂」入りを果たした際のパーティーで。大賀さんは2004年「名誉の殿堂」に入った。

安らかにお眠りください》

【洋楽天国】http://yogakutengoku.blog135.fc2.com/blog-entry-629.html 

【盛田昌夫ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役会長のコメント】
大賀さんご逝去の知らせを受け、ただただ言葉を失うばかりです。
経営者として、そして情熱のある音楽家として尊敬していました。
生涯を通じて音楽に愛情を注ぎ続け、また音楽から愛され続けた稀有な経営者でした。
ご生前のお姿を偲び、心よりご冥福をお祈りします。

【北川直樹ソニー・ミュージックエンタテインメント代表取締役CEOのコメント】
ご逝去の報に接し、幾多のご厚情を思い、誠に痛惜の念でいっぱいです。
今、私たちがソニー・ミュージックエンタテインメントで、こうして業務に携わることが出来るのも、創業に尽力された大賀さんの先見性と情熱の賜物です。
また、CDの開発により、新たな音楽の時代の礎を築いていただきました。
改めて社員を代表して心から感謝すると共に、ご冥福をお祈りします