昭和の歌謡史を飾った美空ひばりさんが逝って19年目。改めて、ひばりさんを偲ぶ…。

昭和、平成の芸能界の中で「最大の事件」として芸能史に残っているのが、美空ひばりさんの塩酸傷害事件だろう。事件から、すでに49年と半世紀近くも過ぎようとしているにも関わらず、未だ語り継がれている事件だ。
1957年(昭和32年)1月13日の夜9時半頃に起こった。場所は「東洋一の広さ」を誇っていた東京・浅草の国際劇場。この日は、未だ正月気分も抜き切れない日曜日。催し物は、美空ひばり、大川橋蔵、そして小野満とシックス・ブラザーズの「花吹雪おしどり絵巻」だった。会場は超満員で熱気ムンムンだったという。華やかな舞台は、若い観客の熱狂的な声援と興奮の坩堝の中で、フィナーレに近づいていた。ひばりは、ウサギの
毛皮で縁取った紫色ビロードのドレスに半てんを羽織って、舞台上手の幕のかげで出番を待っていた。会場からは「ひばりちゃーん」と声援の渦が巻き起こっている。やがて、スポットライトはひばりの待機している幕に向けられた。ひばりの登場だ。と、その時だった。最前列の客席である“かぶりつき”に座っていた茶色のオーバーを着た少女が、いきなり立ち上がり、ひばりを目指しでステージに駆け上がった。
「ひばりちゃん!」。
少女の、その呼びかけにハッと驚き振り向いた瞬間、ひばりの顔を目がけて
「エイッ!エイッ!」
と、絶叫に近い掛け声とともにビンに入れてあった塩酸を浴びせかけた。
「キャーッ!」。
ひばりは両手で顔を覆いながら泣き叫んだ。ムチで殴りつけられたような激痛を感じたひばりは、慌てて支度部屋に走りこみ、すぐに顔を洗った。その時、ひばりの傍にいた付き人の佐藤一夫さんや大川橋蔵の世話人・西村真一さん、日活俳優の南博之も、その塩酸のとぱっちりを受けた。
「周りにいた人間は、突発の出来事に気が動転してしまって、少女を取り押さえる余裕もなかった」
と当時を知る関係者。全くの不意打ちだった。しかも、幕の影だったことから、この出来事に気づいた観客は殆どいなかったという。
「その女を捕まえろ!」。
落ち着きを取り戻した付き人の佐藤さんが叫んだ。少女は舞台裏の大道具の方に逃げ込もうとしたが、居合わせた浅草雷門のブロマイド屋「マルベル堂」の斉藤牛之助さんに捕まえられた。
浅草署の取調べの結果、犯人は山形県米沢市生まれの19歳の少女だった。上京し、板橋区内で女中奉公していたが「世の中がいやになった」と、犯行の2日前に家出し上野の旅館に泊まっていた。犯行当日は、上野駅付近の薬屋で工業用塩酸瓶(300cc入り27度)を購入し、午前11時頃に国際劇場に行った。その後、ひばりに面会を求めたが、断られたことから、客席で機会を狙うことにしたという。
「驚くことに、少女は中学生の頃からひばりの熱烈なファンだったといいます。東京に上京したのも、ひばり会いたさのためだった。横浜・磯子区のひばり邸にも電話をかけたり行っていた」(当時を知る音楽関係者)。
捕まった時に少女が持っていたノートには
「ひばりちゃんに夢中になっている。あの美しい顔、にくらしいぐらい。塩酸をかけて、醜い顔にしてやりたい」
と走り書きがしてあった。また、別のページには
「ひばりちゃん、ごめんなさい。こうしなければ、私は死ぬに死ねない…」
とも書かれていたという。
ところで、思わぬ事件に遭遇したひばりは支度部屋で顔を洗った後、母親の君枝さんに付き添われて、他の3人と近くの浅草病院に運ばれ、手当てを受けた。
「傷は、左頬から首筋にかけて、皮膚が黒く変色し、左耳の下に小豆大の斑点が7、8ヶ所見られる程度の火傷だった」(当時の関係者)。
思ったより軽傷だったという。
「塩酸をすぐに洗い流し、ドーランの化粧をしていたのが不幸中の幸いだった。全治3週間程度」だった。この夜は、入院ぜずに宿泊先の東京・湯島天神の「帆台荘」に戻った。
事件翌日、帆台荘には鶴田浩二や江利チエミらが駆けつけた。また、ファンの群れで身動きも出来ないほどとなった。現場記者の間からは「まるで組閣本部のようだ」といった声まで出ていたという。
ところで、この当時の話は、僕の芸能記者としての恩師だった味岡喜代治氏(故人)から、幾度ともなく聞かされた。味岡は、当時、報知新聞の記者で京都支局に勤務していた。事件後、ひばりさんは、詰め掛ける報道陣から身を隠していた。しかし、ある日、「味岡さんだったらインタビューを受けてもいい」
と言い出し、味岡は京都から東京に駆けつけ、ひばりさんと会った。インタビュー記事は翌日の報知新聞に掲載されたそうだ。味岡には、娘さんと息子さんがいるが「子供の名前は、全員、ひばりさんがつけてくれた」と言っていた。
その味岡が逝ったのは、ひばりさんの生誕日の前夜、5月28日だった。自宅で孤独の死だった。「連絡がつかない」と、5月30日に自宅に行ったところ亡くなっていた。机の上には、「ひばりを偲ぶ」という原稿が、執筆途中のまま置かれていた。
6月1日。通夜の晩だった。日本テレビで「ひばり特番」が放送され、その番組に「ひばりの生き証人」として味岡が出演していた。
「渡辺君、番組を見てくれよ」
と言っていたが、まさか通夜の晩に番組が編成されるとは…。しかし、何か、運命を感じた。因みに、味岡は昭和6年6月6日生まれで、66歳を目前に控えていた。まるでオーメンのような人だったが、66歳になる前に亡くなってしまったことになる。

※写真=数々のヒット曲を生んだ美空ひばりさん

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