加勢大周が大麻栽培と覚醒剤所持で逮捕!! 出世作はサザン桑田佳祐監督映画!過去に“芸名問題”でお騒がせ!!
俳優の加勢大周が、覚せい剤と大麻を所持していたことから覚せい剤取締法違反の現行犯で警視庁に逮捕されたという。調べでは、乾燥大麻9.4gと覚せい剤3gを所持していたらしい。しかも、悪質なのは、東京・世田谷区内の自宅で大麻を栽培していたという。その大麻だけでは我慢できず、覚せい剤にも手を出したのだろうが、自宅には注射器などもあったそうだ。今後、覚せい剤の入手先が注目されてくる。ところで、加勢大周なんて名前、久しぶりに聞いた。加勢については、過去のほうが面白い。何と言っても、彼は「芸名」を巡って所属事務所とトラブルになった第1人者?だからだ。この“芸名問題”は裁判にまで発展した。当時を知らない人のために振り返ってみた。この“芸名問題”は「第2の加勢大周の出現」という前代未聞の珍事となった。しかも、この問題はNHKまでもが午後6時と7時のニュースで報道するなど2年越しの社会的事件となったのだ。発端は、加勢大周の独立問題だった。因みに、芸名「加勢大周」は、当時の所属事務所「インターフェイスプロジェクト」の竹内健普社長が、リスペクトする江戸幕末の幕臣・勝海舟にちなんでつけた。「勝海舟のようにスケールの大きな人間になるように」という願いを込めて命名したという。しかし、加勢は91年4月4日付で所属事務所だった「インターフェイスプロジェクト」に「契約解除通知書」を提出、同年6月1日付で母親が設立した新事務所「フラッププロモーション」(川本美和子社長)に移籍した。この加勢の行動に「インターフェイス」側は猛反発。「一方的な独立は許さない」と東京地裁にテレビ、映画への出演禁止と「加勢大周」の芸名の使用差し止め、および5億円の損害賠償を求める訴訟を起こした。当時を知る芸能関係者は「5億円の損害賠償というのも破格だったが、出演禁止と芸名使用の差し止めを裁判所に求めるなんて聞いたこともなかったので大きな話題になった。しかも当時、加勢は芸能界デビューして僅か2年でしたからね。理由はどうであれ、その新人俳優が独立っていうのも妙でした。所属事務所から見たら、金を使ってやっと稼ぐようになったら独立っていうんじゃ、それは訴えたくもなるかもしれません」。と当時を振り返った。加勢大周は、69年12月29日に東京で生まれた。都立玉川高校に在学中(3年)スカウトされた。89年12月に「ファミリーマート」のCMで芸能界デビューしたが、彼の名前を全国区にしたのは、90年9月に公開した映画「稲村ジェーン」で主役に抜擢されたことだった。同映画は、サザンオールスターズの桑田佳祐が初監督したもので、当時、配収20億円をあげた。同映画での好演が注目され一躍スターダムに上りつめた。その後、映画「シャイなあんちくしょう」でも主演し、テレビドラマも「学校へ行こう」や「いつか誰かと朝帰りッ」などにも出演した。訴えでは、インターフェイス側は、90年6月に1年間の専属契約を結んだ。そして、91年3月には、さらに1年間の契約延長で合意したにも拘らず、4月に入って契約を拒否してきた。CMの仕事をすっぽかした上、新たに事務所を設立し、その新事務所と専属契約を結んだ。「契約の更新を拒否する場合は、契約満了の3ヶ月前に通知することを定めており、芸名や写真などの使用許諾権も継続している。(新事務所の)フラップ・プロモーションは、当社が全く関与していないイベントに出演させるなど契約不履行に積極的に加担している」と主張した。これに対して、フラップ社の代理人、広中潤一郎弁護士は「2月末に『従来通りの条件では契約更新は出来ない』と文書で通知した。相手側の主張とは違う。出演禁止の仮処分を申し立てておいて、近く決定が出る時期に本訴を起こしたのもおかしなことで、真意を測りかねる」と反論した。結局、両者は全く歩み寄ることなく92年3月30日、東京地裁は「加勢大周」の芸名での出演禁止を命じる判決を出した。判決では、加勢としての活動を禁止することと、芸能使用許諾権は旧事務所にある――の2点を認めた。「プロダクション側に芸名使用許諾権」を認めた判決は初めてのことだった。宮崎公男裁判長は、「加勢大周」の芸名は、インターフェイスが商標登録されており「経済的価値を持つ財産権利に当たる」と指摘、「勝手に使うことは許されない」と断言した。 しかし、その一方で、加勢がインターフェイスを独立し、フラップ社と専属契約を結んだことについては認めた。だが、加勢側は判決後も芸名を変える考えのないことを強調、東京地裁の判決を不服として、東京高裁に控訴した。当時、加勢をテレビCMに起用していたアサヒビールは、この判決に「特に気にしていない」(広報部)と静観視する構えをみせていたことも、加勢側を強気にさせたとも言われた。この地裁判決を受け6月5日、加勢側は、インターフェイスを相手取って「地位確認」の反訴を起こした。そして12月14日には、加勢自ら東京高裁に出廷し「前事務所には戻る気持ちがない」ことを証言。この結果、93年6月30日に控訴審の判決が東京高裁から出されたが、判決は東京地裁の判決を破棄し「芸名の使用と活動の自由を保証」する逆転判決を下した。逆転勝訴の加勢大周に対して、気が収まらないのはインターフェイスの竹内社長だった。裁判から1週間後の7月7日に、ナント、加勢大周に対抗する新しい俳優「新加勢大周」のお披露目会見を開いたのだ。2人の「加勢大周」登場に業界は唖然呆然となった。新加勢大周は、フジテレビ「タイム3」に生出演し、鍛えぬいた上半身を披露したり、体力検査までして加勢大周と比較していた。このニュースは、当時、NHKまでが取り上げ大騒動になったというわけ。もっとも、このドタバタ劇は「共倒れになる」との批判が相次いだ。竹内社長も考えを柔軟にし、騒動から僅か20日で、新加勢大周を改名することを明らかにし、新しい名前を「坂本一生」とした。結局は、インターフェイス側が折れた格好だった。この騒動に当時、日本俳優連合の専務理事を務めていた二谷英明は「こんなことは2度と繰り返したくはない。将来ある若い青年の才能を摘み取ってしまう」と異例の見解まで出した。