音楽評論家の富澤一誠氏が自叙伝「音楽を熱く語るたびに夢が生まれた!」を発刊!

20080325122443.jpg音楽評論家の富澤一誠氏が、Jポップ40年の歴史を1冊にまとめた著書「音楽を熱く語るたびに夢が生まれた!〜聴いた。見た。感動した。Jポップ40年史〜」をシンコーミュージック・エンターテイメントから発刊した。2部構成となっていて、1部は「活字」で、20歳の時に東京大学を中退して音楽評論家としてデビューした当時を振り返っている(70〜91年)。また、2部では「放送」と題し、評論から実践へと進んだ時代を綴っている(92〜08年)。
同著の発刊に富澤氏は次のように語っている。
 「70年春、19歳になったばかりの私にとっては”新宿”に馴染むことが”青春”でした。新宿・風月堂にヒッピーがたむろし、アートシアター新宿文化に芸術家の卵たちが集い、吉田拓郎が新しい時代を歌い、そして音楽喫茶・ルイードが若者たちの溜まり場でした。そんな”時代”という荒海に、私は漕ぎ出して行ったのです。
 早いものであれから38年という月日が流れてしまいました。長いようで短い38年間でしたが、その38年間を振り返ってみることにしました。手前みそですが、自叙伝とも言うべき単行本『音楽を熱く語るたびに夢が生まれた』を書き上げて、本当に良かったと思っています。
 71年、20歳の時に吉田拓郎の『今日までそして明日から』を聴いて私は、東大を中退して音楽評論家としてスタートしました。以来、36年間”青春”の全てをかけて突っ走ってきました。
 ところが、今、56歳になって自分が突っ走ってきた36年間を振り返り、自分の青春時代は何だったのか? と考えた時「これで良かったのか?」と思わざるを得ません。と言うのは、現在の私と、20歳の”あの時の僕”がなりたいと思っていた私、との間に微妙なズレがあるのです。このズレを感じている以上、私は”人生の帰還限界点”に到達する前に、ズレを修正しなければならないのです。
 現在の私と、”あの時の僕”が、なりたいと思っていた私との間の微妙なズレを修正するために自伝を書かなければならなかったのです。その結果、今確信していることがあります。他人の声にのせてしか歌えない、という音楽評論家の宿命は”手”を使ってはならないサッカーと似ています。だが、今はもう手を使ってもいいのです。
 いうならサッカーから手足を自由に使えるラグビーに変わったということかもしれません。
 音楽評論家からパーソナリティーへー―私は自由に羽ばたくつもりです。結果的にJ‐ポップ40年の歴史はまさに私の人生そのものでした。これからも私は、音楽を熱く語ることで夢を生み出していくつもりです」。