大友康平裁判(7) 冷静に考えて曖昧だったイエホックの楠山寸賀子社長の証人尋問

HOUND DOGの大友康平の“ウラ営業”と、独立によるコンサート・ツアー中止の損害賠償請求の口頭弁論は、マザー・エンタープライズ前社長の福田信氏に続いて、大友の所属事務所「イエホック」の楠山寸賀子社長が証人尋問で出廷した。
前回も書いたが、楠田社長は、大友康平のマネジャーである坂田寸賀子と2つの顔を持っている。何故、「社長」と「マネジャー」と姓を変えてまで、2つの顔を持たなければならないのか、それは謎である。ただ、こんなことを聞いたことがあった。
あるテレビ局からの問い合わせに、大友のマネジャーの坂田として電話に出たが、相手側から要望が出てくると「その件に関しては社長と相談して、後ほどご連絡します」と応え、いったん電話を切り、その後「社長の楠山です」とコール・バックしたとか。嘘か本当か分からないが、マンガのような噺である。
さて、余談はともかく、「イエホック」の楠山社長は、79年に音楽業界に入り、80年にデビューしたアーティストのマネジメントを大手プロダクションで手がけたという。音楽業界には詳しそうだった。大友桂子夫人との付き合いについて問われ「彼女はスタイルストをやっていて、その関係で知り合った。プライベートでも付き合うようになっていた」。
楠田社長の証言によると、04年12月3日にマザーから送られてきたFAXを桂子夫人から見せられ「友の独立が承認されたと思った」とした。ただ、楠田社長は、最初から「ソロ活動とバンド活動は別」と考えていたようだ。
ところで、問題なのは、05年1月11日に赤坂プリンスホテルで行われた、大友の“裏営業”だが、楠山社長の証言は実に曖昧だった。と言うのも、04年12月3日にマザーからのFAXを見
て「大友の独立が(所属事務所だった)マザーから容認されたことが分かった」と言っているが、音楽業界に詳しいはずの楠山社長が、マザーの株主で取締役でもあり、05年3月31日まで
契約が残っている大友の独立を、何でFAX1枚で疑いもなく納得したのだろうか!? その点に関しては弁護士の突込みが足りなかった。
ただ、「独立は容認された」と言いながら不安もあったに違いない。というのも、容認されたと言っているにも拘らず04年12月15日に桂子夫人は、独立のことでマザー・エンタープライズの佐藤庄平社長、ディスクガレージの中西建夫社長と中目黒で会っているのは何を意味しているのか? しかも、「その席で赤プリの営業について話した」としているのだが、結局、大友の独立が容認されたと言っている一方で、赤プリの営業については気にしていたようにも思える。楠山社長も、証言で「断っておいた方がいい」と言っていた。楠山社長は「12月中旬にアポが取れたと桂子さんから連絡がありました。(赤プリの営業に関しては)佐藤社長と中西社長から『格好悪
い』と言われたようです」。
この部分については、前回の桂子夫人の証言と符合する。しかし、楠山社長の証言から聞く限り、まだ大友のソロ活動への関わりは薄いようにも感じた。見方によっては、この時点では、単なる桂子夫人の個人的感情と、赤プリの“裏営業”を正当化するための「独立騒動」だったようにも思える。
もう一つ、大友と桂子夫人が、一番の“問題”にしている福田氏の「HOUND DOGお荷物」発言だが、楠山社長は「05年3月10日に大友さんが福田さんと会った時に、お荷物だから、メンバーを連れて行ってくれと言われた。マザーを作った人に言われて、怒りを通り越して悔しかったと言っていた」と述べていた。肝心なことだと思っていたが、証人尋問を聞く限りにおいては楠山社長に知らされるまでが遅いように思えた。しかも、大友は福田氏と3月10日以降、14日と21日にも会っている。

しかも、「お荷物」だという言葉は、メンバーの間から全く出てきていないのも不思議だった。楠山社長の証言はともかく、少なくともメンバーの八島順一は
「(05年3月15日に)大友から独立の話があった。その時に大友は『やっぱり、俺はマザーを辞める』と言い出した。理由を聞いたら、『(独立しなければ)離婚される』と言ったんです。釈然としなかった。大友に、色々、聞いたが他に答えはなかった。大友は、付いてきてくれるかどうかを聞いてきたが、みんな納得はしなかった」。
と証言していたからだ。

(つづく)