「サッちゃんはいつも私の家に来ていた」元歌手の山下直美が語るZARD・坂井泉水の秘話…

ZARDのボーカル、坂井泉水さん(享年40歳)と一番の親友だった、元歌手で現在は音楽プロデューサーの山下直美に会った。山下と坂井さんの関係は、関係者の間では有名だった。そんなことから、山下に坂井の思い出を語ってもらった。彼女は、夕刊フジの取材に快く応じた。山下は、坂井さんが本名の「蒲池幸子」で活躍していた頃からの「親友」だった。当時、蒲池さんは、山下の家に泊り込むほどの仲だった。そういえば、「いま、隣にサッちゃんがいるんだけど…」なんて言われ、何度か電話で話したことがあった。2人の出会いは、89年4月7日、東京・六本木プリンスホテルで行われた「89東映カラオケクィーンコンテスト」。このコンテストは「明るく、楽しいカラオケ美女」を掲げて全国募集したところ2721人が応募、その最終決選でグランプリに輝いたのが蒲池さんと、山下の2人だった。
※写真=カラオケコンテストのグランプリに輝いた蒲池幸子さんと、山下直美を紹介した記事(FLASH=89年4月25日号)
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「気が合ったというか、一緒にいると気持ちが落ち着くんですよ。よく厚木で会っていたなぁ」。
「?」。
何で、厚木だったわけ?
「彼女の家が秦野だったんですよ。で、私が横浜に住んでいたから、自然に中間の『厚木で会おう』ってことになったんです。でも、会っているうちに、私の家に来るようになっちゃって…。とにかく、いつも私の家にいた(笑)。あと、カラオケのキャンペーンで全国を回る時は、部屋はシングル・ルームだったんですけど、いつもサッちゃんは私の部屋に来るんです。何か、寂しがり屋で誰かと一緒にいないとダメだったみたい。ですから、いつもシングル・ベッドに2人で寝ていたんです」。
コンテストの副賞で貰った200万円で、シルバーフォックスの毛皮をお揃いで買ったりしたという。
「サッちゃんは、ファッションに興味があて、とにかく色々な衣装を探してくるんですよ。しかも、カラオケのキャンペーンで回ると、必ずチップが貰えたんですよ。だから、そのチップで、いつも買い物に行っていたかな…」。
山下は、蒲池さんより一足早く87年に、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)から歌手デビューした。実は、僕も山下とは、この時期に知り合った。
「彼女も歌が好きで、自分で作った曲なんかを何曲も聴かしてもらいました。いい詩を書いていたし、歌もうまかった。カラオケのキャンペーンで回っていても評判がよかった。ただ、キャンペーンはリクエストでデュエット曲ばかりだったんですけどね。キャンペーンでは歌いませんでしたが当時、彼女自身が一番得意だったのは中山美穂の『CATCH ME』でしたね。彼女の勝負曲だった」。
91年2月10日、彼女はZARDとしてシングル「Good-bye My Loneliness」を発売した。この曲が出来たときも、蒲池さんは真っ先に山下に聴かせ、感想を求めた。
「彼女は、デビューが決まってからも、とにかく私の家に来ていた。私は横浜から綱島、そして東京の曙橋と引越したんだけど、彼女も一緒についてくるっていう感じだったかな。とにかく、いつも一緒にいたよね。家に来ない時は、1日に2回も3回も電話してきたし…。私の弟でさえ驚いたぐらいですから…」。
蒲池さんにとって、山下は特別な存在だった。ZARDのデビュー曲は、オリコン・チャートでベスト10に入った(最高位9位)。
「とにかく、彼女の明るいし、面白いし、よく喋るんですよ。彼女のキャラは最高でしたね。ただ、今、思うと仕事の話はよくしたけど、何をしたいとか、夢は聞いたことがなかったような気がします」。
その後、ZARDは「負けないで」や「揺れる想い」「マイ フレンド」などの数々のヒット曲を生んでいった。一方の山下は、音楽プロデューサーに転身、自ら「NPレコード」を立ち上げた。それぞれの道は分かれていった。ところで、余談ではあるが、東映カラオケクィーンコンテスト」の審査委員長は、2年前に自宅の火事で亡くなった音楽評論家の阿子島たけし氏だった。
※写真=山下と蒲池さん(右)の仲のよさは有名だった。
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