ホリエモンが群馬・上野村の御巣鷹山・尾根に登った?

御巣鷹山といったら、1985年8月12日に日航ジャンボ機が墜落した現場である。この事故で、坂本九さんが亡くなった。日航ジャンボ機事故に関しては、後述するとして、この御巣鷹山に、あのホリエモンが登っていたというのだ。今日の昼過ぎ、3時頃だった。ライブドアの株主総会のことを書いて、その際、マンションから出てこないホリエモンは自閉症になったんじゃないかって書いたばかりだったが、何と言うタイミングか! 
とにかく、釈放されてテ以来、マンションから出るのは初めてだ。
聞くところによると、東京拘置所で山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」を読んで感動してしまったっていうのが、今回の御巣鷹山に登るキッカケだったとかいうけど、どうかしちゃったんじゃないか?
それにしても、自宅のある六本木ヒルズを出たのが、朝3時ごろ。どうみたって、人目を避けて出たとしか思われない。で、今朝7時半ごろから登り始め、御巣鷹山の尾根にある「昇魂之碑」の前でロウソクに火を灯して、合掌したっていうんだから。

※写真=「昇魂之碑」はどこにある?案内図
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しかも、登っている途中は「空気が違いますね」なんて言っていたという。一体、何があったんだろう…。
「地検特捜部の取調べでおかしくなっちゃったんだって」
なんて、ある週刊誌の変態記者は言っていたけど、やっぱり人格が変わってしまったのか? しかし、よく変わってしまったのか、悪く変わってしまったのかが問題である。案外、演技でやっているってこともあるからな。
ところで、久しぶりに御巣鷹山=日航ジャンボ機墜落の話題が出てきた。
ホリエモンの登山はいいキッカケだ。せっかくだから、この事故で亡くなった坂本九さんの冥福も祈って、当時の事故を振り返ってみることにした。

確か、あれは茨城・筑波で国際科学技術万博が開催され、阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝した年のことだった。国際長距離線のスターとして、世界の空をかけ巡り、「最も安全」と言われ続けてきたジャンボ機――日本航空ボーイング747SR型機(日航123便=東京―大阪)の墜落事故は85年の真夏に起こった。現場は群馬・御巣鷹山。乗客は524人。その搭乗者名簿の中にあったのが歌手の坂本九さん(本名・大島九=43歳)だった。8月12日。坂本さんは、この日午後、NHK‐FM放送「火曜スペシャル」録音のために東京・渋谷のNHK放送センターに入り、午後3時過ぎに録音を終えた。その後、大阪在住の友人の芸能事務所開きに出席するため、マネジャーの小宮勝広さんと羽田空港に向かい、搭乗手続きをした。
午後4時過ぎ、事務所に「これから大阪に向かう」と連絡をした。
午後5時45分過ぎに搭乗した坂本さんは、2階の前列から4番目に座った。「坂本さんは、飛行機は必ず前の席を取っていた」(関係者)という。山腹に飛行機が激突すれば「まず助からない席に座った」。
午後6時12分、坂本さんを乗せた日航123便は、定刻より12分遅れて羽田空港を離陸した。同機に異常が発生したのは、離陸して15分後のことだった。
「右最後部のドアが壊れているので緊急降下したい」。
機長から日航オペレーションセンターに連絡が入った。それから約30分、同機は迷走し6時57分、レーダーから機影が消えた。
同機の消息不明は7時過ぎに「ニュース速報」で一斉に流れた。坂本さんの妻・由紀子さん(当時37歳)は、そのニュース速報で知った。「まさか…」。慌てて事務所に電話をすると、沈痛な面持ちで「搭乗した飛行機が消息不明になっている」と聞かされた。
「もしかしたら、別の飛行機に搭乗しているかも…」。
由紀子さんは、自分に言い聞かせながら、電話の前で坂本さんからの連絡を待ったが、ついに連絡はなかった。
由紀子さんは、その日の未明、群馬・藤岡市に入った後、13日、マスコミを避けるように藤岡市から10㌔ほど離れた多野郡鬼石町の旅館「ヤシオカン」にチェック・インした。
坂本さんの遺品が見つかったのは16日になってから。ハンティングワールドのショルダーバック。その中には運転免許証、眼鏡、財布、小銭入れ、そして名刺。そして、娘の花子さんと舞子さんが映った1枚のカラー写真が入っていた…。
17日午前1時20分過ぎ、坂本さんの遺体が兄の大島東さんによって確認された。遺体の損傷は余りにも酷かった。群馬県警によると、坂本さんの身元確認は「歯形と、笠間稲荷神社と銘じてあるネックレスでした」。
坂本さんの遺体は、第220番目の身元確認遺体として安置所から運び出された。長すぎる5日間だった…。

※写真=これは慰霊の園の慰霊塔(御巣鷹山)

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