こまどり姉妹の波乱万丈のサクセスストーリーが話題に…。

「夕刊フジ」(17日付)で、こまどり姉妹の波乱万丈の人生を書いたところ、すごい大反響だった。掲載されてから、10数人から電話があった。「読んだよ!凄いよね」って。なら、ブログでは、その拡大版を紹介することにしょう。
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デビュー曲「浅草姉妹」から47年目を迎えた“こまどり姉妹”。波乱万丈の人生に迫った音楽ドキュメンタリー映画「こまどり姉妹がやって来る ヤア!ヤア!ヤア!」(片岡英子監督)が公開の前から大反響となっている。制作したアルタミラピクチャーズも大ヒットに自信を深める。

※写真=映画の撮影を報じた北海道の地元紙の記事
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40年という歳月が経つにも関わらず、芸能界に語り継がれているショッキングな事件があった。当時、人気絶頂にあった双生児演歌歌手「こまどり姉妹」を襲った運命は余りに残酷なものだった。

※写真=こまどり姉妹のデビュー曲「浅草姉妹」ジャケット
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凶事は1966年(昭和41年)5月9日、丁度40年前の今頃だ。鳥取・倉吉市福祉会館で起こった。5月とはいえ、肌寒い日だった。この日、こまどり姉妹は地元の商店会が主催する昼夜2回のステージを行っていた。ザ・ピーナッツと二分するほどの人気だったこまどり姉妹のステージとあって3000人が詰めかけた。昼のステージは大盛況で、夜の部も会場は熱気に包まれていた。
夜の部のステージもラスト1曲を残すだけとなった。午後5時半を過ぎた頃。「流転船」の一小節目を歌い終わり、二小節目に入ろうとした時だった。会場から、花束を抱えた1人の少年(17歳)がステージ前に駆け寄り、花束を手渡し、握手を求めてきた。少年の求めに妹の並木葉子(当時26歳)が笑顔で花束を受け取り、握手を交わした。その光景に、会場からは拍手が沸きあがった。しかし、葉子の、その行動が災いするとは誰が想像しただろう。
花束を渡し、握手をすると少年は、一瞬のスキを見てステージに飛び上がったかと思ったら、懐に隠し持っていた刺身包丁で葉子を力まかせに刺したのだ。
「ぎゃーぁ」。
葉子の悲痛な叫び声が会場を響き渡った。
「一瞬のことで何が起こったのか全く分らなかったと聞いてます」(当時を知る所属レコード会社・日本コロムビアの関係者)。
葉子の着ていた白地の着物がみるみる間に鮮血に染まった。腹部を押さえた葉子の指の間からは、血がふきこぼれていた。思わぬ事態に会場は修羅の場と化した。飛び交う悲鳴、怒号…。
バンドのメンバーが飛び出し、葉子に覆いかぶさっていた少年を突き飛ばした。すると、突き飛ばされた少年は、葉子を刺した刺身包丁を今度は自分の左脇腹に突き刺した。全てが一瞬の出来事だった。スタッフも動転していた。
「救急車だ!救急車を呼べ!」。
姉の栄子は、葉子にすがりつき
「大丈夫?大丈夫?」
と叫び続けた。
「救急車はどうした!」。
交通事情もあって救急車が遅れた。傷ついた葉子を抱えながら栄子は、ほとんど失神状態だったと
いう。
「死んじゃいやよ!生きていて!死んじゃダメよ」。
栄子は繰り返し叫んでいた。
葉子は市内の北岡病院に担ぎ込まれた。瀕死の状態だった。刺されたのは左下腹部。当初は「4cm」と発表された。しかし、実際は20㎝もあった。傷は腹部を貫き背中まで達していた。しかも、刺された時にとっさに左手で避けたため手にも負傷を負っていた(左手の負傷は神経を6本を切る重傷だった)。
緊急手術――開腹手術で腸を縫い合わせた。4時間以上の大手術となった。その間、栄子は手術室の前に立ったまま待っていた。「時間が止まった感じだった」という。妹の無事だけを祈り続けた。手術が終わり、担当医から「命は大丈夫です」と言われた瞬間、栄子はその場に泣き崩れた。
刺した少年は、遺書を持っていた。
「死を覚悟しての凶行だった」
という。しかも、ショッキングだったのは遺書の内容だった。
「私は並木栄子さんに惚れている。私は夫婦になるのだ。栄子さんには随分、手紙を出したし、電報も打った。だが、1度も返事をくれないのは許せない。私は栄子さんを殺して自分も死ぬ。あの世で夫婦になるのだ」。
少年は、実は姉の栄子を刺すつもりだったのだ。ところが刺したのは妹の葉子。一体、どういうことか? 栄子は「私たちの並び方が最近入れ替わったので間違えたのかもしれません」と呟いた。
葉子は、北岡病院で2週間の治療を受け、東京・浅草の自宅に戻った。また、自分の腹を刺して重傷だった少年も、かろうじて命はとりとめた。だが、この事件は、その後、思わぬ方向へと発展していったのだ。
事件から6年の歳月が経た72年4月10のことだった。鳥取県東伯郡三朝町東小鹿の山中で、1人の男の白骨死体が発見された。死体は黒ズボン、茶のスポーツシャツ、茶色のつっかけだった。身に付けていたオートバイの免許証から身元が分ったが、何と、その白骨死体は、葉子を刺した少年だったのだ。
検証にあたった倉吉警察署鑑識課の担当警部補いよると「覚悟の首吊り自殺だったようだ」という。少年は、現行犯逮捕された後、自ら突き刺した左脇腹の治療で10日間入院した。退院後に身柄を倉吉警察署に移され、事件の翌年67年2月に鳥取地裁から懲役3~5年の不定期刑の判決を受けた。岩国の少年院に入り、69年に出てきた。その後は大工の技術を身につけ「真面目に働いていた」というのだが…。
それにしても、こまどり姉妹は、この事件を契機に人気は次第に下降線を辿り始め、67年に出場した「NHK紅白歌合戦」を最後に芸能界の第一線から姿を消していた。
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