あれから30 年の歳月が…人気アイドル岡田有希子さんの飛び降り自殺!!  後追い自殺多発で?ユッコ・シンドローム?が流行語に

 86年4月8日午後12時15分、当時18歳、〝ユッコ〟の愛称で親しまれたアイドル歌手の岡田有希子さん(本名・佐藤佳代)の飛び降り自殺は芸能界の衝撃的な大ニュースとなった。
あれから30年という歳月が経った。
自殺を図った所属事務所「サンミュージック」(東京・四谷4丁目)のあったビルーー大木戸ビルは当時のまま現在も建っている。命日の8日は全国からファンが集まり、在りし日の岡田さんを偲んだ。
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「サンミュージック」は7年前の09年8月に移転した。月日の経つのは早い。しかし、今年は何と言っても30年という節目の年である。全国から集まったファンを見って、通りすがりの若い女性は「岡田有希子って誰?」「知ってた?」「何か人気があったらしいよ」なんて言っていた。時代の移り変わりは早い。生きていたら、菊池桃子や吉川晃司なんかと同期である。
そこで今回は岡田さんの衝撃的な死への奇跡を振り返ってみることにした。
FullSizeRender.jpg岡田さんが飛び降り自殺を図ったビルの屋上には約1・5の鉄柵がある。
身長158?だった岡田さんは、この鉄柵を何らかの形でよじ登り、30m下の路上に飛び降りた。即死だった。
この日の午前9時 のことだった。彼女が住む東京・青山のマンションの住人から東京ガス南支社に1本の電話が入った。
「ガスの臭いがする。ガス漏れしているのではないか」。
連絡を受け東京ガスの担当者が駆けつけると、ガス漏れは402号室であることが分かった。岡田さんの部屋だった。
「彼女は、デビュー(84年4月)以来、成城にある相澤秀禎社長(当時)の家に同居していましたが、3月に高校を卒業したことで一人暮らしをはじめたばかりだったんです」
と事務所関係者は語っていたが、何と、岡田さんは4月4日にこのマンションに越してきたばかりだった。
部屋は2DK。
東京ガスの担当者が部屋に行くと鍵とドア・チェーンがかかっていた。
「自殺の可能性がある」と判断した担当者は、所轄の赤坂警察署と東京消防庁に連絡し部屋の中に入った。するとガスコンロのゴム管が外され、ガスが吹き出ていた。岡田さんは6畳間の押入れのところにうずくまっていたという。
「左手首を切っていましたが、出血は少なく意識もハッキリしていました。大事をとって病院に搬送しました」(赤坂消防署の救急隊)。
発見から10分後、1?離れた「北青山病院」に搬送された。病院では手首の治療をしたという。鋭利な刃物で5弱切ったが「毛細血管を切った程度」で4針縫った。
病院には福田時雄専務と彼女の女性付き人が駆けつけた。
幸いにも「大事に至らなかった」ことから午前11時 、タクシーで所属事務所に向かった。
「車の中では話をせず泣くばかりだった」。
事務所についた彼女は、事務所6階の社長室に入った。「まずは気持ちを落ち着かせよう」と彼女の大好きなイチゴジュースを注文した。そこに、事務所に向かう途中の相沢社長から福田専務に電話が入った。
福田専務は隣の秘書室で電話を取って状況を説明していたという。
社長室には岡田さんと付き人がいたが、岡田さんは付き人に「テッシュを取ってくる」と秘書室を通らない裏の出口から部屋の外に出た。しかし、しばらく戻ってこない岡田さんを不安に思った付き人が福田専務に駆け寄ってきた。
「ええっ!」。
福田専務は部屋の外に飛び出し7階に上がると、屋上に通じる階段で彼女が履いていたスリッパを発見した。その時、すでに彼女はビルから飛び降り帰らぬ人となっていた。しかも、その岡田さんが飛び降りる瞬間を目撃してしまったのが、奇しくも彼女の担当マネジャー溝口伸郎氏(故人)だった。
溝口氏は、彼女の自殺未遂を聞き慌てて事務所に駆けつける途中だった。
「タクシーが丁度、事務所前の交差点で信号待ちしていたところ、ビルの屋上から落ちる彼女を目撃したようです」。
とは当時を知る芸能関係者。
「落ちる瞬間は人間というより、何か物が落ちるような感じだった。まさか有希子だとは夢にも思わなかった」
と生前、溝口氏は語っていた。
当時、事務所の先輩だった松田聖子が作詞した新曲「くちびるNetwork」は、オリコン・チャートで断トツの1位だった。
文字通りトップ・アイドルだった岡田さんの「自殺」は瞬く間に芸能界を駆け巡り、テレビ各局は生放送で速報した。
翌日、一部のスポーツ紙にビルから落ちた岡田さんの惨い遺体写真が掲載され、賛否両論の論議となった。
スクープしたH氏は、すでに新聞社を定年退職しているが「(当時を)語る必要もなければ、話すこともない」と、現在でもノーコメントを貫き通している。
それにしても岡田さんの自殺は思わぬ方向に発展した。
何と自殺未遂を図った部屋から「遺書」が発見されたのだ。それはピンクの封筒に入っていた。
「失恋の痛みが詩のような文面で綴ってあった」(当時、取材した週刊誌記者)。
しかも、文面には俳優の峰岸徹さん(当時42歳=故人)の名前が書かれていたと言われる。
峰岸さんと岡田さんは、85年に放送されたTBSドラマ「禁じられたマリコ」での共演で親密になった。
「僕は、あくまで兄貴のつもりだったが、彼女にはプラスアルファの部分があったのかも…」
と語る峰岸さんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
24歳も年上の彼に恋心を募らせていたのか?
「遺書」は「憧れていたのに、最近、冷たくされて悲しい」――というような文面だったと言われるが。「一人暮らしと失恋」が、あるいは18歳の乙女心を揺さぶったのだろうか。結局、真実は分からない状態で30年の歳月だけが過ぎ去ってしまった。
しかし、岡田さんの自殺をキッカケにファンの後追い自殺が相次ぎ社会問題化した。
事務所前には全国から連日、ファンが集まり異様な雰囲気となった。そればかりか
「(岡田さんが自殺したこの年の4月)10代の少年少女の自殺は125人にも上った」と厚生労働省は発表している。
このことから、岡田さんの愛称をとって「ユッコ・シンドローム」という新語まで生まれた。
岡田さんの担当マネジャーで、自殺の真相を「唯一知り得る人物」と言われ続けながら、事件以降、岡田さんについて語ろうとはしなかった溝口氏も16年前の00年7月19日、事務所の6階と5階の間にあるトイレで首を吊って自殺しているのが発見された。また、相澤社長(その後は会長)も3年前の12年5月23日に逝去した。