デビュー40周年の松山千春――初コンサートの記念日8月8日に日本武道館でギター1本で〝一人唄コンサート〟

フォーク歌手・松山千春が、来る8月8日に東京・日本武道館でアニバーサリー・イベント「ひとり唄コンサート」を行う。
「40周年を迎えて、夏に何かをやろうということになった」とした上で、「最初は地元の足寄や帯広、札幌、さらには野外でのイベントはどうかとか色々な案が出てきた。そんな時に、8月8日に日本武道館を借りられるということになり、だったら…ということになった」と千春。
FullSizeRender.jpg千春は1977年1月25日に「旅立ち」でデビューした。しかし、デビュー日以上に心に残っているのが8月8日だという。この日は北海道厚生年金会館(現ニトリ文化ホール)で初の単独公演が行われた日だった。それだけに千春にとっては「忘れることのできない日」なのだ。そういった意味で、日本武道館での「ひとり唄」は、現在のコンサートを中心とした活動の記念すべき日のコンサートということになる。
「今回の武道館コンサートは幕開けからアンコールまで全てバックバンドを入れずにギター1本だけでやろうと思っている」と千春。その上で「俺とギター1本だけで、どれだけ歌を心に届けることが出来るのか、それが楽しみでならない」。
千春の武道館公演は「全国100番勝負」(1996年6月)以来、実に20年ぶりになる。が、全編をギター1本だけの弾き語りで行うというのは、デビュー以来だという。もちろん、ギター1本で日本武道館コンサートを開くというのは前代未聞である。
「どんなステージでコンサートをやるかは、これから考えていく」
と言うが、千春ファンにとっては待ち遠しいコンサートになりそうだ。

台湾、韓国に続いて今度はベトナム進出!! 〝仮面女子〟が「ベトナムさくら祭り2016 」でライブ・パフォーマンス

アイドル・グループの〝仮面女子〟が台湾、韓国に続いてベトナムにも進出。両国の友好イベント「ベトナムさくら祭り2016」に出演することになった。4月23日にドンナイ省のビエンホア市でライブ・パフォーマンスするのは立花あんな、森カノン、桜のどか、川村虹花、桜雪の〝アリス十番〟。
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「ベトナムさくら祭り」は、ビエンホア市やホーチミン市と共に在ベトナム日本大使館などがバックアップする。3年前にハノイとハロン、バクニン市で始まり、今回はビエンホア市などが引き継いで開催することになったという。
関係者によると、開催の発端は5年前の東日本大震災だった。「復興支援のためにヘトナムからの多くの支援金や義援金が寄せられたんです。その時のお礼の意味を込め、日本の象徴でもある桜を贈ろうということで始まったのが、このベトナム桜祭りでした」と関係者。
特に、今年は震災から5年前という節目もあり「日本・ベトナム両国の平和の尊さを再認識するようなものにしたい」と言う。「友好の輪」としてイベントも今年は南部へと拡大し「さくら祭り&アイドルオンステージ」として盛り上げることになった。そのステージに抜擢されたのが〝仮面女子〟だった。
仮面女子は昨年、「元気種」が、地下アイドルとしては初めてオリコン・チャート1位に輝き、秋にはさいたまスーパーアリーナで単独公演も行った。デビュー以来、秋葉原にある常設劇場での公演は欠かさず行っており「365日休まない公演」として知られ、年間のステージ本数は1000本にも及ぶと言う。
これまでに台湾、韓国でも公演を行ってきたが、今回はベトナム。だが、これまでと違うのは、ベトナムは日本のアイドルのファッションには規制が多いこと。それだけに〝仮面〟と〝衣装〟を最大の売り物にした仮面女子のパフォーマンスは、ベトナムではホットでエキサイティングなステージになることは確かだ。そういったことから、メンバーも「友好の輪がベトナム全土に広げられるように頑張ります」と意欲を見せている。
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イベントはビエンホア市以外のホーチミン市でも予定されており〝仮面女子〟の他に放課後プリンセス、元アイドリング!!!の遠藤舞らも出演する予定だという。

★オリコン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160410-00000307-oric-ent  

★サンケイスポーツ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160410-00000040-sanspo-ent  

★日刊スポーツ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160410-00000006-nksports-ent

あれから30 年の歳月が…人気アイドル岡田有希子さんの飛び降り自殺!!  後追い自殺多発で?ユッコ・シンドローム?が流行語に

 86年4月8日午後12時15分、当時18歳、〝ユッコ〟の愛称で親しまれたアイドル歌手の岡田有希子さん(本名・佐藤佳代)の飛び降り自殺は芸能界の衝撃的な大ニュースとなった。
あれから30年という歳月が経った。
自殺を図った所属事務所「サンミュージック」(東京・四谷4丁目)のあったビルーー大木戸ビルは当時のまま現在も建っている。命日の8日は全国からファンが集まり、在りし日の岡田さんを偲んだ。
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「サンミュージック」は7年前の09年8月に移転した。月日の経つのは早い。しかし、今年は何と言っても30年という節目の年である。全国から集まったファンを見って、通りすがりの若い女性は「岡田有希子って誰?」「知ってた?」「何か人気があったらしいよ」なんて言っていた。時代の移り変わりは早い。生きていたら、菊池桃子や吉川晃司なんかと同期である。
そこで今回は岡田さんの衝撃的な死への奇跡を振り返ってみることにした。
FullSizeRender.jpg岡田さんが飛び降り自殺を図ったビルの屋上には約1・5の鉄柵がある。
身長158?だった岡田さんは、この鉄柵を何らかの形でよじ登り、30m下の路上に飛び降りた。即死だった。
この日の午前9時 のことだった。彼女が住む東京・青山のマンションの住人から東京ガス南支社に1本の電話が入った。
「ガスの臭いがする。ガス漏れしているのではないか」。
連絡を受け東京ガスの担当者が駆けつけると、ガス漏れは402号室であることが分かった。岡田さんの部屋だった。
「彼女は、デビュー(84年4月)以来、成城にある相澤秀禎社長(当時)の家に同居していましたが、3月に高校を卒業したことで一人暮らしをはじめたばかりだったんです」
と事務所関係者は語っていたが、何と、岡田さんは4月4日にこのマンションに越してきたばかりだった。
部屋は2DK。
東京ガスの担当者が部屋に行くと鍵とドア・チェーンがかかっていた。
「自殺の可能性がある」と判断した担当者は、所轄の赤坂警察署と東京消防庁に連絡し部屋の中に入った。するとガスコンロのゴム管が外され、ガスが吹き出ていた。岡田さんは6畳間の押入れのところにうずくまっていたという。
「左手首を切っていましたが、出血は少なく意識もハッキリしていました。大事をとって病院に搬送しました」(赤坂消防署の救急隊)。
発見から10分後、1?離れた「北青山病院」に搬送された。病院では手首の治療をしたという。鋭利な刃物で5弱切ったが「毛細血管を切った程度」で4針縫った。
病院には福田時雄専務と彼女の女性付き人が駆けつけた。
幸いにも「大事に至らなかった」ことから午前11時 、タクシーで所属事務所に向かった。
「車の中では話をせず泣くばかりだった」。
事務所についた彼女は、事務所6階の社長室に入った。「まずは気持ちを落ち着かせよう」と彼女の大好きなイチゴジュースを注文した。そこに、事務所に向かう途中の相沢社長から福田専務に電話が入った。
福田専務は隣の秘書室で電話を取って状況を説明していたという。
社長室には岡田さんと付き人がいたが、岡田さんは付き人に「テッシュを取ってくる」と秘書室を通らない裏の出口から部屋の外に出た。しかし、しばらく戻ってこない岡田さんを不安に思った付き人が福田専務に駆け寄ってきた。
「ええっ!」。
福田専務は部屋の外に飛び出し7階に上がると、屋上に通じる階段で彼女が履いていたスリッパを発見した。その時、すでに彼女はビルから飛び降り帰らぬ人となっていた。しかも、その岡田さんが飛び降りる瞬間を目撃してしまったのが、奇しくも彼女の担当マネジャー溝口伸郎氏(故人)だった。
溝口氏は、彼女の自殺未遂を聞き慌てて事務所に駆けつける途中だった。
「タクシーが丁度、事務所前の交差点で信号待ちしていたところ、ビルの屋上から落ちる彼女を目撃したようです」。
とは当時を知る芸能関係者。
「落ちる瞬間は人間というより、何か物が落ちるような感じだった。まさか有希子だとは夢にも思わなかった」
と生前、溝口氏は語っていた。
当時、事務所の先輩だった松田聖子が作詞した新曲「くちびるNetwork」は、オリコン・チャートで断トツの1位だった。
文字通りトップ・アイドルだった岡田さんの「自殺」は瞬く間に芸能界を駆け巡り、テレビ各局は生放送で速報した。
翌日、一部のスポーツ紙にビルから落ちた岡田さんの惨い遺体写真が掲載され、賛否両論の論議となった。
スクープしたH氏は、すでに新聞社を定年退職しているが「(当時を)語る必要もなければ、話すこともない」と、現在でもノーコメントを貫き通している。
それにしても岡田さんの自殺は思わぬ方向に発展した。
何と自殺未遂を図った部屋から「遺書」が発見されたのだ。それはピンクの封筒に入っていた。
「失恋の痛みが詩のような文面で綴ってあった」(当時、取材した週刊誌記者)。
しかも、文面には俳優の峰岸徹さん(当時42歳=故人)の名前が書かれていたと言われる。
峰岸さんと岡田さんは、85年に放送されたTBSドラマ「禁じられたマリコ」での共演で親密になった。
「僕は、あくまで兄貴のつもりだったが、彼女にはプラスアルファの部分があったのかも…」
と語る峰岸さんの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
24歳も年上の彼に恋心を募らせていたのか?
「遺書」は「憧れていたのに、最近、冷たくされて悲しい」――というような文面だったと言われるが。「一人暮らしと失恋」が、あるいは18歳の乙女心を揺さぶったのだろうか。結局、真実は分からない状態で30年の歳月だけが過ぎ去ってしまった。
しかし、岡田さんの自殺をキッカケにファンの後追い自殺が相次ぎ社会問題化した。
事務所前には全国から連日、ファンが集まり異様な雰囲気となった。そればかりか
「(岡田さんが自殺したこの年の4月)10代の少年少女の自殺は125人にも上った」と厚生労働省は発表している。
このことから、岡田さんの愛称をとって「ユッコ・シンドローム」という新語まで生まれた。
岡田さんの担当マネジャーで、自殺の真相を「唯一知り得る人物」と言われ続けながら、事件以降、岡田さんについて語ろうとはしなかった溝口氏も16年前の00年7月19日、事務所の6階と5階の間にあるトイレで首を吊って自殺しているのが発見された。また、相澤社長(その後は会長)も3年前の12年5月23日に逝去した。

鬱病、子宮筋腫、骨折、そして子宮頸がんを克服の愛葉るび…「水優里」に改名し心機一転〝スピリチュアル・ナビゲーター〟で再出発!

FullSizeRender.jpg鬱病を患う中、子宮筋腫、骨折、そして子宮頸がんで入退院を繰り返し、芸能界から遠ざかっていた元祖お菓子系セクシー・アイドルの愛葉るび(33)が、心機一転水優里(みゆり)に改名して芸能界復帰を目指すことになった。闘病生活を克服するキッカケになったのが都内近郊のパワースポット。復帰後は女優や歌手活動の他、日本を訪れるアジア各国の人たちに日本のパワースポットを紹介するスピリチュアル・ナビゲーターを目指すという。
大学で哲学を学ぶ傍らお菓子系アイドルからAVに転身、その後、本格的な女優を目指して舞台や映画、さらにはライブ活動にまで活動範囲を広げた。彼女の異色の活動が注目されドキュメンタリー「ザ・ノンフィクション」(フジテレビ)で放送されたこともあった。
しかし、「仕事の幅を広げすぎた」ことが、逆に精神的負担になり「精神不安定な状態が続いていった」と言う。そういった状態に耐えられず3年前に芸能界からの引退を宣言。私生活は「引きこもり状態になっていた」そうだ。
そういった中で、体調を崩し、診断されたのが「子宮筋腫」だった。薬物での治療と手術で体調は改善したが、その数か月後、今度は都内の地下鉄の駅の階段で誤って転倒、左腕を骨折する大けがを負った。「とにかく、何もやる気が起こらず気持ちに緩みがあったんだと思いますね」と当時を振り返る。骨折は完治するまでに半年以上かかったという。
ようやく、骨折が治った昨春、再び体調を崩し、病院で診断してもらったところ、今度は「子宮頸がん」が発見された。ステージ3と告知された。あまりの衝撃に「正直言って生きていることがイヤになった」とも。担当医から、早期の手術を勧められ入院した。「鬱病になる直前は、テレビやビデオで心霊スポットの潜入レポートするお仕事が増えていたので、生霊が乗り移ったんじゃないかと思いましたが(笑)、その後の2~3年は精神的にも生活的にも絶望と悲観の毎日でした」。
昨夏までは再び治療に専念したが「抗がん剤の治療が一番辛かった。正直言って後遺症も酷かったし…」。その一方で「不思議と興味を抱くようになった」のがパワースポットだった。ネットや関係書などを調べ都内近郊のパワースポットを回った。すると「不思議に心が癒されるようになった」という。「具体的には言えないのですが、何か、気持ちの中に吹っ切れたものがあったんです。自分でも意外だったんですけど、もう一度頑張れるような…」。
昨秋から、気持ちの整理を始め、今年に入ってから本格的な活動を目指して動き出した。心機一転の気持ちから名前も「愛葉るび」から「水」を一文字入れて気運と運気を高めるために「水優里」(みゆり)に変えた。
「年齢的にはセクシー系ではありませんが、以前のようにお芝居や歌はやっていきたいと思っていますが、一番やりたいのはパワースポットを紹介するスペシャリスト。ここ数年、アジア各国から日本に多くの観光客が来ていますが、その人たちに日本のパワースポットを紹介したんです。今、進めているのは情報アプリを使ってのものになりそうですが…」と言い、心機一転〝スピリチャル・ナビゲーター〟として再出発したいとか…。

〝最後に私の全てを見て…〟AV女優引退の上原亜衣が5月1日から浅草ロック座でファンと〝お別れ公演〟

「最後に私の全てをファンの人とたちに見てもらいたい」。昨秋、AV女優を引退することを発表した上原亜衣(23)が、5月1日から20日まで浅草のロック座で〝引退公演〟を行うことを発表した。AV女優が引退でストリップというのは異例だけにアダルト界の大ニュースになりそうだ。
FullSizeRender.jpg 昨秋、東京・豊洲PITで行われた「Japan Adult Expo2015」で、AV女優の引退を発表した上原だったが、上原のブログには、ファンから「(引退宣言は)噂だったらよかったのに」とか「撤回してほしい」という声が多数寄せられていた。
「デビューして4年が経ちましたが、ファンに支えられて頑張ってくることが出来た」という。そんなファンへの思いが、今回のロック座となった。
「最後はロック座でのステージを選びました。最後まで応援してくれたファンの前に立ちたかった。AV女優としての最後のビデオは4月25日になるので、引退した私がみんなの前に立てる本当の最後になります」。
天然キャラとして愛され、体の柔らかさも自慢だった。2013年には、DMMの年間AV女優ランキングで1位にも選ばれ、翌14年にはDMMアワードで優秀女優賞プラチナを受賞している。現在は〝恵比寿★マスカッツ〟のメンバーとして活躍中だ。
ここ数年は、女性ファンも増えてきているそう。それだけにロック座での公演は「女の子にも見てもらえるような公演にしたい」と意欲を見せる。が、その一方で不安も…。「朝は大丈夫なんですが、夜は弱いんです。いつも夜10時には寝るようにしていたから」。

清原和博の居場所は!? 身の回りの世話をする清原の舎弟と仲のいいK-1ファイターの我龍慎吾を問い詰める!!

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「居所を吐け!今、どこに隠れてるんだ!」。
世界3階級で3冠を獲得しているK-1ファイターの格闘家で”喧嘩師”の異名をもつ我龍真吾。その我龍の親友が元プロ野球選手・清原和博の舎弟をやってる。
警視庁から釈放された際には運転手もやり、さらに身のまわりの世話なんかも。さらに…、例の報道陣への焼肉弁当の差し入れもした。まさに清原の手足となって動いている。
だとしたら、親友の我龍なら清原の“居所”を聞いているはずである。
そこで、我龍から清原の“居所”を聞き出そうと丑三つ時も近い深夜の六本木の東京ミッドタウンの木陰で会い、胸ぐらを掴んで脅してやった。それが冒頭の一言だ。
「待ってくれ、居場所だけは教えられない!」。
いや、そんなわけないだろう。
「早く吐いて楽になれ!」
さらに詰め寄ると
「許してくれ!オンナのことは言えても、これだけは言えねぇーんだって!」
いや~、それにしたってさすがはK-1ファイターである。口が堅い。僕の厳しい追求にも堕ちなかった(^ ^)