東国原前知事は放ったらかしでも…今年も泉谷しげる呼びかけで宮 崎県「口蹄疫の被災地救援」コンサート

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シンガーソングライターで俳優としても活躍する泉谷しげるが、宮崎県でライフワークとして取り組んでいる野外音楽イベント「水平線の花火と音楽6」が、宮崎市の「みやざき臨海公園 サンマリーナ宮崎」特設会場で行われた。今年は小林幸子や加山雄三、夏川りみ、そして注目の新人として注目されている大原櫻子らが参加した。
91年の長崎・雲仙普賢岳の大噴火や93年の北海道南西沖地震では大津波の被害に遭った奥尻島の救援、さらに95年の阪神・淡路大震災では復興支援、そして11年3月11日の東日本大震災では被災地支援など被災地支援と言えばこの人とされてきた。泉谷は「日本を救え!」と叫び続け、何かあれば全国各地でゲリラ的に支援活動を続けている。
FullSizeRender.jpgその泉谷が、ライフワークのように取り組んでいるのが今回のイベント。これは5年前の2010年に宮崎県で発生した「口蹄疫被害」。当時は東国原英夫が知事を務めていたが、今やそのまんま…。現在は泉谷が地元のボランティアを束ね地道に「口蹄疫の被災地救援」を訴え続けている。関係者は「口蹄疫被害を風化させないための泉谷流メモリアルコンサート」だという。
これまで、松山千春やさだまさし、八代亜紀、今井美樹、大竹しのぶ、小泉今日子らが泉谷の呼びかけに応え集まった。毎年、平均1万2000人前後を動員してきたが、今年は天候に恵まれたことや、何と言っても世界遺産・奈良の薬師寺で演歌では初のコンサートを開き、初のライブDVDも出すなど「紅白」に復活をかける小林幸子が登場したことなどもあって過去最高の1万5000人が詰めかけた。
FullSizeRender.jpgFullSizeRender.jpgまず、 泉谷の開会宣言後に登場した大原櫻子が「オレンジのハッピーハロウィン」「Happy Days」などを熱唱、続いて加山雄三が「君といつまでも」や「旅人よ」などを歌い上げた。そういった中で最も会場を盛り上げたのは、泉谷と小林による初デュエットだった。
「紅組のトリです」でなんてジョークを加えながら泉谷は小林を紹介するやいきなり「もしかして PART2」の”夢”の共演となった。泉谷は「実は、これしか歌えないんだよ」と言い放っていたが、小林から「リハーサルの時より上手くなってる」と言われると苦笑いしていた。しかし、思わぬサプライズに会場は大喜びだった。さらに「おもいで酒」「雪椿」やボーカロイド曲「千本桜」などを熱唱し会場を盛り上げた。
コンサートの終盤には「花火イリュージョン」と題し、約1万2000発の花火の打ち上げた。これは音楽に合わせてコンピュータ制御で花火を打ち上げると言うもの。同イベントの模様はニッポン放送も年末年始の特番として放送される。IMG_6474.jpg


松山千春が50代最後で“還暦”最初の全国ツアー。“集団的自衛権は違憲”と持論もさく裂

来年、デビュー40周年を迎えるフォークシンガー松山千春の秋のコンサートツアー「真っ直ぐ」が1日の府中の森芸術劇場どりーむホール(主催=公益財団法人府中文化振興財団)での公演からスタートした。この全国ツアーは千春にとって50代最後で、〝還暦〟を迎える最初のものとなる。12月24、25日の北海道・札幌ニトリ文化ホールまで全国23都市で27回のステージを繰り広げる。東京公演は11月30日、12月1日の東京国際フォーラム・ホールA。  新曲「真っ直ぐ」(10月14日発売)に合わせた全国ツアー。「Look me」で幕を開けたステージは「ナイト・エンジェル」と続く。その後「恋」「君のため作った歌」など懐かしの名曲も披露した。  トークのコーナーでは、先ごろ国会で可決された「安保法案」にも言及し、「法案には賛成の方々も多いと思うが、国会を二分するようなものを論議するには(安倍晋三総理は)急ぎ過ぎ。しかし、法案の集団的自衛権は明らかに違憲」と断言するなど千春節がさく裂した。さらに「自衛隊の方々を軍人にはしたくない」という持論を展開した。 ♪僕が恐れるのは 戦車ではなく 何度もくりかえす 人の心… と、セットリストの中に「兵士の詩」を盛り込んで、切々と歌うなど〝フォークシンガー松山千春〟としての想いをアピールしていた。 因みに、新曲シングルの中からはカップリング曲にもなっている「冷たい雨」と「今日を迎える」などを熱唱した。 また、「我々にとってはラジオ界の怪物のような人だった」という、元RKB毎日放送のディレクターで現在は音楽プロデューサーの野見山實氏の福岡で行われた出版記念パーティーに出席したことも語った。「野見山さんは現在82歳だというが、井上陽水には野見山さんという人が(今でも)見守ってくれている。見守ってくれる人がいるというのは、それだけでも羨ましい。俺にはSTVラジオの竹田(健二)ディレクターがいたが、デビューして間もなく逝ってしまった」と心情を述べた上で「それから39年、俺にはファンの1人ひとりが竹田さんに代わって励まし声援を送ってきてくれた」。 (2時間半、17曲)