葬儀をしないのは藤さんの遺志!? 宇多田ヒカルが沈黙を貫くことに何の意味があるのか…?

「日本にいる」とか「日本にはいない」とか…。いい加減、ハッキリした方がいいと思う。
歌手・藤圭子さんの飛び降り自殺の、その後のことだ。
目黒の碑文谷会館に安置された藤さん。
表向きは、藤さんの遺志で葬儀はされないという。藤さんの遺志って?誰が、生前に藤さんの遺志を聞いていたのか? 元夫の照實氏が果たして聞いていたと言うのなら、それは疑問だ。要するに、こんな亡くなり方で葬儀は出来ないと言うことかもしれない。
「こんな亡くなり方」というのは、あるいは一人娘の宇多田ヒカルにとっても同様の気持ちかもしれない。
しかし…。宇多田ヒカルは「沈黙を貫いている…」なんて報じられているけど、正直言って、ここで沈黙を貫くことに何の意味があるというのか? 要は、ここでヒカルに助言したり意見を言ったりする人がいないってことだろう。だとしたら、母親である藤さん同様に娘のヒカルも寂しい孤独の女ってことになる。
本来だったら、ここで父親の照實氏を無視してでも「私一人でも母を送ります」とか何とか言って、葬儀を仕切ったりなんかしたら、ファンはもちろん、多くの人の心をわし掴みにしたと思うのだが…。もちろん、そんな気持ちで葬儀を仕切っても意味はないかもしれないが、一人娘として母親の最後ぐらいは、しっかりと見送った上げた方がいいはずだ。でなければ、後で後悔や無念さが残るだけである。
とにかく、藤さんの晩年はどうであれ、歌手としての藤さんの足跡というのは昭和の歌謡史に残るだけの価値があったことは確かだ。実にもったいのない話である。

京都の故美空ひばりさんの記念館「京都嵐山 美空ひばり座」が東 映京都太秦映画村に移築され再開 !!

今年5月31日に閉館していた京都・嵐山の故・美空ひばりさん記念館「京都嵐山 美空ひばり座」が京都・太秦にある東映京都太秦映画村内に移築され、装いも新たに「京都太秦 美空ひばり座」として10月12日に再オープンすることになった。
東映京都太秦撮影所と言えば、ひばりさんの多数の映画作品を多数生んできた、いわば”聖地”とも言っていい場所だ。ひばりプロダクションの加藤和也社長曰く
「中でも、得意の時代劇、男形や姫様役、練習に練習を重ねた殺陣を披露させて頂いたのも、実は、この東映太秦撮影所で撮られた63作品だったんです」。
昭和33年――ひばりさんが21歳の年は、僅か1年の間に16本もの作品が封切られたと言う。そういったことから、ひばりさんは昭和33年から38年までの6年間、集中して映画撮影に取り組むために京都の岡崎に居を構えたそうだ。
「そういった意味でも母にとって京都は”第二のふるさと”でもあるんです」。
その”第二のふるさと”である京都の嵐山に「京都太秦 美空ひばり座」がオープンしたのが20年前になる。…そんなになるのか。思えば、オープン・イベントの時に行ったものだ。当時、俳優であり芸能レポーターとしても活躍していた剛たつひとさんと…。剛さんは司会を任されていた。そう考えると、時の流れというのは早いものである。
約20年――時代の流れに即し、新しい形でのミュージアム展開を図りたいということになり、5月いっぱいで一旦、「京都嵐山 美空ひばり座」を閉館したという。
ところが、根強いファンの中から「京都嵐山 美空ひばり座」閉館を惜しむ声がわき上がったと言う。やはりファンの声が一番、物事を動かすのだろう。今回、そういったファンの声に押される形で太秦への移築が進んだ。
「東映の岡田裕介社長の元を訪れてお願いした結果、太秦映画村の方々によって移築プランが練られ、今回の再オープンが決まっていった。思い出深い、青春の詰まった太秦に座らせていただくこと…母も喜んでいるように思います」(加藤社長)。