理解出来ない事ばかり――遺書もない動機も分からない藤圭子さんの飛び降り自殺…最後は恩師を「憎んでいた」情報まで。

歌手・藤圭子さんの飛び降り自殺は、冷静に見ると実に不可解なことが多い。
飛び降りたアトラスタワー西新宿の13階。この部屋は藤さんが6年ぐらい前から同居していたと言う30代後半の男性Mさんの所有だと言う。で、藤さんが飛び降りたと言う22日の早朝も一緒に部屋にいた。Mさんは、藤さんが飛び降りたことについて(居る)部屋が違っていたとか、寝ていた…
とか言っているようだが、果たして…。
だいたい理解出来ないのは警視庁新宿署の捜査である。確かに、現場の状況から見たら飛び降り自殺だっただろう。が、しかし、大した捜査もしないで「自殺」と判断してしまっていることが「?」である。本当に事件性がないのか? だったら遺書は?同機は?藤さんの飛び降り自殺は疑問ばかりである。結局はウヤムヤ…。警察は「薬物反応はなかった」なんて、そこだけは強調しているが、そういったことではないだろう…。人一人が亡くなったのである。
しかも、藤さんが、いつから日本にいたのか?宇多田照實氏と離婚したのが07年である。その後、照實さんとは連絡を取っていないと言われる。一時は、米国の病院で入院しているようだ…なんて情報も届いた。しかし、何をしていたのかわからない。
そもそも「藤さんは1人では何も出来ない」と言われてきた。そう考えると、誰かが生活面でサポートしていたとしか考えられない。そこに、今回の30代の男性Mさんが出てきた。約6年前から…というだけに、一致するのだが2人の関係は不明である。
とにかく疑問だらけの飛び下り自殺だが、理解出来ないと言えば、きょう(23日)のスポーツニッポンの記事である。
3年前に藤さんから「相談したいことがある」と電話があり、記者だか誰だかが西新宿で会って相談を受けた…なるほど、他紙の記者より藤さんと親交があったというアピールするのはいい。記者として、それだけ信頼されていたと言うことになるし…。しかし、その記事の内容には「ちょっと待て」である。
藤さんは恩師で作詞家・石坂まさをさんを憎んでいた――と書いているのである。しかも、記者はワイドショーでも言っていた。それはないだろう…。
石坂さんと藤さんの確執は、以前から言われていたし当然、芸能記者の間でも知られていた話だった。それを、いかにも「新しい話」のように書くこと自体に疑問を感じるし、何よりも石坂さんは、長い闘病生活の末、今年3月に亡くなっている。しかも、きょう23日には「偲ぶ会」も行われる。新聞社、あるいは記者と石坂さんとの間に何があるのかは分からないが、ここで書くことじゃない。だいたい、何があっても、亡くなってしまったら、それはチャラだろう。それを、亡くなってもなお蒸し返そうと言うのは理解出来ない。しかも、3年も前に藤さんの言った言葉である。そんなこと今さら書かれるのは藤さんにとっても本望ではないはずだ。
それにしても…藤さんの遺体は、きょう目黒の碑文谷会館に運ばれた。しかし、対応するのは葬儀屋の担当者と言う有様だった。「宇多田ヒカルさんはお越しになりません」。身内で見守る人は誰もいない…。寂し過ぎる最期だった。

ゲリラ豪雨の中の12時間野外オールナイトコンサート――「BEAT CHILD」の“幻の映像”が劇場で蘇る!!

__.jpgくまモンもビックリ!! 今から26年前――1987年8月22日に熊本県久木野村(現南阿蘇村)で行われた野外ロックイベント「BEAT CHILD」の全貌を収めたライブドキュメンタリーが10月26日からライブシネマとして全国一斉公開されることになった。後でも書くが12時間にも及ぶオールナイトの野外イベントだったが、これが凄まじいものだった。これには、くまモンも目が白黒だろう。
と言うわけで、この野外ロックイベント「BEAT CHILD」のライブシネマを盛り上げるための”復活式”が22日午後、白井貴子、ダイアモンド☆ユカイ、そしてくまモンが出席して東京・六本木のライブハウス”MORPH”で行われた。要は、イベントが開催された同じ日に”復活祭”という名目で企画したと言うわけだが、開演前に、藤圭子さんの飛び降り自殺が報じられ、タイミング的には最悪のものとなった。結局、「BEAT CHILD」というのは、アクシデントがつきもののイベントだったと言うことになる。そう考えたら、無事に公開になるか…何か思わぬアクシデントがあるんじゃないかと別の意味でワクワクしてくる。
問題の「BEAT CHILD」というのは――故尾崎豊さんや佐野元春や、既に解散しているBOOWY、ザ・ブルーハーツ、HOUND DOGなど当時の音楽業界を席巻していたトップアーティスト13組が出演した真夏のロックフェスだった。「史上最低で、最高のロックフェス」と謳われ、それこそ26年たった現在でも語り継がれている伝説のロックフェスとなった。
ライブはゲリラ豪雨とも言うべき中で敢行されたが、全編通した映像は、これまで一切公開されず業界内でも”幻の映像”と言われ続けてきた。その映像が四半世紀ぶりにスクリーンで蘇る。
もう一度書くが、この「BEAT CHILD」は熊本県野外劇場「アスペクタ」で8月22日午後5時半から約12時間、オールナイトで行われた。会場は7万2000人のファンで埋め尽くされた。
とにかく前述した通り、会場は開演直後からゲリラ豪雨に見舞われた。野外会場なだけに屋根はなく、観衆は、それこそ泥ネズミと化し、寒さと雷鳴に震えた。当然のことだが救護所には体調不良を訴える人があふれ、救急搬送される観客も殺到し救急車のサイレンが途切れることがなかった。豪雨で音響設備もパニック状態となり混乱を生じた。まともな音は出なかった。しかし、出演アーティストは歌い続けた。まさに日本の音楽史に残る最大のロックフェスとなった。
撮影と演出は、尾崎豊さんの映像フィルムを撮り続けてきた佐藤輝氏。12時間にも及ぶ映像が「どのように編集されて上映されるのか…」といった声もあるが、注目のライブドキュメンタリーになることは確実だ。しかも「今回は劇場での公開のみで、テレビ放映やDVDでの発売もありません」と言う。
“復活式”に出席したダイアモンド☆ユカイは「みんな20代だった。俺たちの青春時代だった」と言い、さらに「26年前が昨日のことのよう。今ではフジロックやサマーソニックなんてイベントがあるが、この『BEAT CHILD』がその先駆けにもなったと思う。しかも、DVDで何でも楽しむ時代に、DVDではなく劇場だけでしか観られないものをやることも面白い」とアピールしていた。また、白井貴子は「26年前の頑張り、強さがあったから、この映像が残った。公開できることに感謝の気持ちでいっぱい」と話していた。