世界文化遺産に登録された富士山の現実は!? 原因は過度な報道?登山客は前年割れといった見方も ‥

2013083022260000.jpg世界文化遺産に登録された富士山。注目度は満点だった。登録さて以来、テレビや新聞は連日大騒ぎだった。そんなことから、今年の登山者は過去最高になるのでは‥と思われていた。
これまでの最高は2010年の32万人。ただ、2011年は震災もあって大きく落ち込んだものの、昨年(2012年)は31万8565人となり過去2番目の登山者で賑わった。では今年は‥。世界文化遺産に登録されたので記録を更新すると予測。一部には40万人という数字まで出ていた。
で、どうだったか!? まだ、数字は出ていないが、雰囲気的には昨年の登山者数を大きく割り込むと見ていいかもしれない。旅行代理店も慌てたと聞く。山小屋も実際には余裕があったようだ。何故か‥。
数々の報道によって、煽られた部分もあるが、逆に登山を控えた傾向もあった。総合的には五合目までの観光気分客は増えたが、登山者は激減した感じだ。「弾丸登山が減少した」こともあるかもしれない。
山小屋も登山客の激減は肌で感じたようだ。
特に山梨県側‥富士吉田口の山小屋では登山者の激減の原因を「マスコミの過度な報道が原因」と決めつけているようだ。そんなことから、山開きの時はテレビの中継や収録、取材に応じていた山小屋が非協力的に転じたとも聞く。「もう、やらなくてもいい」と悲鳴をあげたっていう。
富士山須走口本八合目の江戸屋では埼玉のFM局、FM NACK5が2ヶ月間に亘って富士山局を開局して話題になったが、振り返ったら唯一の長期放送となった。24時間テレビの中継をした日本テレビ系の静岡第一テレビは苦労していた。そう言ったことも、ある意味でハプニングとなるのか!?
いずれにしても、世界文化遺産登録で態勢を整えていた山小屋にとってはアテが外れたことだけは確か。しかも、登録でアレはダメ、コレもダメ。踏んだり蹴ったりだった。
しかも、来年からは使い道も決まらないまま入山料の徴収もはじまる。きっと集まった金は富士山保護なんかより、関係者保護に回るにちがいない。で、余った金は飲み食い代ってとこだろう。今年、実験的に集められた入山料‥3000万円なんて、まさに使い道のない金である。富士山のゆるキャラとか「入山料徴収のPR活動」
とか言って、アイドルのイベント費になっているかもしれない‥。もはや何のための世界文化遺産登録だったのか分からなくなっているはずである。
そん富士山も夏山閉山。
最後の弾丸登山を? と、須走口五合目に…。
今夜は五合目に泊まり、明日早朝に登るが、しかし「台風が来る!!」で、宿泊の予約者全員がキャンセル。おかげで山小屋の宿泊者は僕一人である。
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「好きな布団を使って寝てください」。
しれにしたって世界文化遺産に登録された年の閉山前夜がこうなるとは…。
因みに、空は満点の星。明日は絶好の登山日和!?

日本よりアジア圏公開、海外映画祭への出品が狙い!? のりピー主演映画「空蝉の森」が完成!!

結局、酒井法子もエロチック系に進んでいくのか?
秘密裏に制作が進んでいた酒井法子の主演映画「空蝉の森」がクランクアップしたという。
公開は来年らしいが、日本国内で動員が出来るかどうかは、やはり内容次第である。ただ、制作側は国内よりも中国や台湾などアジア圏での公開を狙っていることは確か。さらに、海外での映画祭への出品も狙っているようだ。案外、それが酒井出演の殺し文句になったのかも…。確かに、海外の映画祭への出品と言うだけで、日本の芸能界では話題になるだろうし「次へのステップになる…」とか言ったのかもしれない。それだけに、酒井も「マンモスうれピー!!」と言ったかどうかは分からないが、海外での公開には意欲的で「実現したら舞台挨拶等も計画しています」(製作スタッフ)だって。…ってことは、もし海外公開が決まらなかったら舞台挨拶も何もやらないってことなのか?
いずれにしても、主演作の「空蝉の森」だが、
「泥だらけで裸足で歩く一人の女――酒井法子が警官に保護される。自宅で待つ夫(斉藤歩)の元に帰ったら、3ヶ月も行方不明だった妻を「別人」と言い、夫はメンタルクリニックの主治医(西岡徳馬)に相談する…。何か、覚醒剤で逮捕されたのりピーをイメージしたような内容だ。いずれにしても、映画と言うより低予算のビデオシネマといった感じだろう。
脚本、監督は、壇蜜の主演映画「私の奴隷になりなさい」を撮った亀井亨、プロデューサーは「くりいむレモン」などを手がけてきた太田裕樹。酒井がどこまでチャレンジしているか…というのが、ある意味ではこの映画の見所だろう。ただ、出演者の顔ぶれは他に金山一彦、長澤奈央とか、ちょっと地味過ぎないか?
いずれにしても、酒井にとっても「何とかしたい」と思っている主演作には間違いない。話題になるより、評判になって動員できる映画になって欲しいものである。配給はあるご・ピクチャーズ。

富士山本八合目での山小屋生活5 6日目…。松下幸司とだいすけが24時間テレビに富士山頂から生出演!!

世界文化遺産に登録された富士山――その富士山本八合目(須走口、吉田口合流点)で武者修行している俳優の松下幸司とだいすけが日本テレビ系「24時間テレビ」に富士山頂から生出演した。今年の富士山は晴天に恵まれ、水不足に陥っていたが、きょうは雨。雨と言っても富士山は寒くて厳しい…。何だか、テレビに映っただいすけの顔も歪んで見えた。
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それにしても、松下幸司とだいすけが富士山に登ったのは山開き前日の6月30日だった。それから下界には一度も下りていない。すでに56日目である。24時間、そこにしかいられない生活というのはなかなか出来ることじゃない。もっとも2人とって今年の夏は”暑さ知らず”である。これだけは羨ましい…。いずれにしても下界に下りるのは9月7日を予定しているが…。
そういえば、きょうは富士山麓の東富士演習場では「平成25年度富士総合火力演習(そうかえん)」が行われている。富士山に向けて大砲や実弾などをぶっ放している。今日はの防衛相も観に来ているらしいが、観たい人は全国から殺到、観覧席はネットでは21倍、ハガキでは15倍の申し込みで、無料券に5万円の値段がついていたと言う…。
※2人の山小屋生活はhttp://046.holidayblog.jp/
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富士山本八合目…山小屋での作業はいっぱいある。2か月半は24時間不眠不休の毎日である…。
★週刊プレイボーイのウェブサイト内
週プレNEWSの連載コラム
「だいすけ&松下幸司の『富士で暮らせば』」
http://wpb.shueisha.co.jp/2013/07/12/20382/

★人気アイドルグループのAeLL.の
富士登山およびファンイベントの模様もニュースとして掲載されています
http://wpb.shueisha.co.jp/2013/07/10/20296/

★芸人アスリート、M高史の富士登山マラソン(8月15日)
http://www.youtube.com/watch?v=D6ArX637klc


葬儀をしないのは藤さんの遺志!? 宇多田ヒカルが沈黙を貫くことに何の意味があるのか…?

「日本にいる」とか「日本にはいない」とか…。いい加減、ハッキリした方がいいと思う。
歌手・藤圭子さんの飛び降り自殺の、その後のことだ。
目黒の碑文谷会館に安置された藤さん。
表向きは、藤さんの遺志で葬儀はされないという。藤さんの遺志って?誰が、生前に藤さんの遺志を聞いていたのか? 元夫の照實氏が果たして聞いていたと言うのなら、それは疑問だ。要するに、こんな亡くなり方で葬儀は出来ないと言うことかもしれない。
「こんな亡くなり方」というのは、あるいは一人娘の宇多田ヒカルにとっても同様の気持ちかもしれない。
しかし…。宇多田ヒカルは「沈黙を貫いている…」なんて報じられているけど、正直言って、ここで沈黙を貫くことに何の意味があるというのか? 要は、ここでヒカルに助言したり意見を言ったりする人がいないってことだろう。だとしたら、母親である藤さん同様に娘のヒカルも寂しい孤独の女ってことになる。
本来だったら、ここで父親の照實氏を無視してでも「私一人でも母を送ります」とか何とか言って、葬儀を仕切ったりなんかしたら、ファンはもちろん、多くの人の心をわし掴みにしたと思うのだが…。もちろん、そんな気持ちで葬儀を仕切っても意味はないかもしれないが、一人娘として母親の最後ぐらいは、しっかりと見送った上げた方がいいはずだ。でなければ、後で後悔や無念さが残るだけである。
とにかく、藤さんの晩年はどうであれ、歌手としての藤さんの足跡というのは昭和の歌謡史に残るだけの価値があったことは確かだ。実にもったいのない話である。

京都の故美空ひばりさんの記念館「京都嵐山 美空ひばり座」が東 映京都太秦映画村に移築され再開 !!

今年5月31日に閉館していた京都・嵐山の故・美空ひばりさん記念館「京都嵐山 美空ひばり座」が京都・太秦にある東映京都太秦映画村内に移築され、装いも新たに「京都太秦 美空ひばり座」として10月12日に再オープンすることになった。
東映京都太秦撮影所と言えば、ひばりさんの多数の映画作品を多数生んできた、いわば”聖地”とも言っていい場所だ。ひばりプロダクションの加藤和也社長曰く
「中でも、得意の時代劇、男形や姫様役、練習に練習を重ねた殺陣を披露させて頂いたのも、実は、この東映太秦撮影所で撮られた63作品だったんです」。
昭和33年――ひばりさんが21歳の年は、僅か1年の間に16本もの作品が封切られたと言う。そういったことから、ひばりさんは昭和33年から38年までの6年間、集中して映画撮影に取り組むために京都の岡崎に居を構えたそうだ。
「そういった意味でも母にとって京都は”第二のふるさと”でもあるんです」。
その”第二のふるさと”である京都の嵐山に「京都太秦 美空ひばり座」がオープンしたのが20年前になる。…そんなになるのか。思えば、オープン・イベントの時に行ったものだ。当時、俳優であり芸能レポーターとしても活躍していた剛たつひとさんと…。剛さんは司会を任されていた。そう考えると、時の流れというのは早いものである。
約20年――時代の流れに即し、新しい形でのミュージアム展開を図りたいということになり、5月いっぱいで一旦、「京都嵐山 美空ひばり座」を閉館したという。
ところが、根強いファンの中から「京都嵐山 美空ひばり座」閉館を惜しむ声がわき上がったと言う。やはりファンの声が一番、物事を動かすのだろう。今回、そういったファンの声に押される形で太秦への移築が進んだ。
「東映の岡田裕介社長の元を訪れてお願いした結果、太秦映画村の方々によって移築プランが練られ、今回の再オープンが決まっていった。思い出深い、青春の詰まった太秦に座らせていただくこと…母も喜んでいるように思います」(加藤社長)。

理解出来ない事ばかり――遺書もない動機も分からない藤圭子さんの飛び降り自殺…最後は恩師を「憎んでいた」情報まで。

歌手・藤圭子さんの飛び降り自殺は、冷静に見ると実に不可解なことが多い。
飛び降りたアトラスタワー西新宿の13階。この部屋は藤さんが6年ぐらい前から同居していたと言う30代後半の男性Mさんの所有だと言う。で、藤さんが飛び降りたと言う22日の早朝も一緒に部屋にいた。Mさんは、藤さんが飛び降りたことについて(居る)部屋が違っていたとか、寝ていた…
とか言っているようだが、果たして…。
だいたい理解出来ないのは警視庁新宿署の捜査である。確かに、現場の状況から見たら飛び降り自殺だっただろう。が、しかし、大した捜査もしないで「自殺」と判断してしまっていることが「?」である。本当に事件性がないのか? だったら遺書は?同機は?藤さんの飛び降り自殺は疑問ばかりである。結局はウヤムヤ…。警察は「薬物反応はなかった」なんて、そこだけは強調しているが、そういったことではないだろう…。人一人が亡くなったのである。
しかも、藤さんが、いつから日本にいたのか?宇多田照實氏と離婚したのが07年である。その後、照實さんとは連絡を取っていないと言われる。一時は、米国の病院で入院しているようだ…なんて情報も届いた。しかし、何をしていたのかわからない。
そもそも「藤さんは1人では何も出来ない」と言われてきた。そう考えると、誰かが生活面でサポートしていたとしか考えられない。そこに、今回の30代の男性Mさんが出てきた。約6年前から…というだけに、一致するのだが2人の関係は不明である。
とにかく疑問だらけの飛び下り自殺だが、理解出来ないと言えば、きょう(23日)のスポーツニッポンの記事である。
3年前に藤さんから「相談したいことがある」と電話があり、記者だか誰だかが西新宿で会って相談を受けた…なるほど、他紙の記者より藤さんと親交があったというアピールするのはいい。記者として、それだけ信頼されていたと言うことになるし…。しかし、その記事の内容には「ちょっと待て」である。
藤さんは恩師で作詞家・石坂まさをさんを憎んでいた――と書いているのである。しかも、記者はワイドショーでも言っていた。それはないだろう…。
石坂さんと藤さんの確執は、以前から言われていたし当然、芸能記者の間でも知られていた話だった。それを、いかにも「新しい話」のように書くこと自体に疑問を感じるし、何よりも石坂さんは、長い闘病生活の末、今年3月に亡くなっている。しかも、きょう23日には「偲ぶ会」も行われる。新聞社、あるいは記者と石坂さんとの間に何があるのかは分からないが、ここで書くことじゃない。だいたい、何があっても、亡くなってしまったら、それはチャラだろう。それを、亡くなってもなお蒸し返そうと言うのは理解出来ない。しかも、3年も前に藤さんの言った言葉である。そんなこと今さら書かれるのは藤さんにとっても本望ではないはずだ。
それにしても…藤さんの遺体は、きょう目黒の碑文谷会館に運ばれた。しかし、対応するのは葬儀屋の担当者と言う有様だった。「宇多田ヒカルさんはお越しになりません」。身内で見守る人は誰もいない…。寂し過ぎる最期だった。

ゲリラ豪雨の中の12時間野外オールナイトコンサート――「BEAT CHILD」の“幻の映像”が劇場で蘇る!!

__.jpgくまモンもビックリ!! 今から26年前――1987年8月22日に熊本県久木野村(現南阿蘇村)で行われた野外ロックイベント「BEAT CHILD」の全貌を収めたライブドキュメンタリーが10月26日からライブシネマとして全国一斉公開されることになった。後でも書くが12時間にも及ぶオールナイトの野外イベントだったが、これが凄まじいものだった。これには、くまモンも目が白黒だろう。
と言うわけで、この野外ロックイベント「BEAT CHILD」のライブシネマを盛り上げるための”復活式”が22日午後、白井貴子、ダイアモンド☆ユカイ、そしてくまモンが出席して東京・六本木のライブハウス”MORPH”で行われた。要は、イベントが開催された同じ日に”復活祭”という名目で企画したと言うわけだが、開演前に、藤圭子さんの飛び降り自殺が報じられ、タイミング的には最悪のものとなった。結局、「BEAT CHILD」というのは、アクシデントがつきもののイベントだったと言うことになる。そう考えたら、無事に公開になるか…何か思わぬアクシデントがあるんじゃないかと別の意味でワクワクしてくる。
問題の「BEAT CHILD」というのは――故尾崎豊さんや佐野元春や、既に解散しているBOOWY、ザ・ブルーハーツ、HOUND DOGなど当時の音楽業界を席巻していたトップアーティスト13組が出演した真夏のロックフェスだった。「史上最低で、最高のロックフェス」と謳われ、それこそ26年たった現在でも語り継がれている伝説のロックフェスとなった。
ライブはゲリラ豪雨とも言うべき中で敢行されたが、全編通した映像は、これまで一切公開されず業界内でも”幻の映像”と言われ続けてきた。その映像が四半世紀ぶりにスクリーンで蘇る。
もう一度書くが、この「BEAT CHILD」は熊本県野外劇場「アスペクタ」で8月22日午後5時半から約12時間、オールナイトで行われた。会場は7万2000人のファンで埋め尽くされた。
とにかく前述した通り、会場は開演直後からゲリラ豪雨に見舞われた。野外会場なだけに屋根はなく、観衆は、それこそ泥ネズミと化し、寒さと雷鳴に震えた。当然のことだが救護所には体調不良を訴える人があふれ、救急搬送される観客も殺到し救急車のサイレンが途切れることがなかった。豪雨で音響設備もパニック状態となり混乱を生じた。まともな音は出なかった。しかし、出演アーティストは歌い続けた。まさに日本の音楽史に残る最大のロックフェスとなった。
撮影と演出は、尾崎豊さんの映像フィルムを撮り続けてきた佐藤輝氏。12時間にも及ぶ映像が「どのように編集されて上映されるのか…」といった声もあるが、注目のライブドキュメンタリーになることは確実だ。しかも「今回は劇場での公開のみで、テレビ放映やDVDでの発売もありません」と言う。
“復活式”に出席したダイアモンド☆ユカイは「みんな20代だった。俺たちの青春時代だった」と言い、さらに「26年前が昨日のことのよう。今ではフジロックやサマーソニックなんてイベントがあるが、この『BEAT CHILD』がその先駆けにもなったと思う。しかも、DVDで何でも楽しむ時代に、DVDではなく劇場だけでしか観られないものをやることも面白い」とアピールしていた。また、白井貴子は「26年前の頑張り、強さがあったから、この映像が残った。公開できることに感謝の気持ちでいっぱい」と話していた。

恩師・石坂まさをさんを偲ぶ会前日の衝撃!! 波乱万丈の人生に自ら終止符…宇多田ヒカルの母・歌手の藤圭子さん飛び降り自殺!!

 宇多田ヒカルの母親で歌手の藤圭子さん(本名・阿部純子=享年62歳)が22日未明、東京・西新宿6丁目のマンション、アトラスタワー13階から飛び降り自殺した。このマンションの部屋については、元夫で、ヒカルの父親である照實氏名義の部屋という情報もある一方で、藤さんと親交のある30代の男性が所有する部屋だったと噺もある。いずれにしても現時点では不明。いずれにしてもマンションの敷地内に倒れていた。都内の病院に搬送されたが亡くなっていたと言う。自殺も驚きだったが、東京にいたことすらも驚きだった。
一部には空を飛ぶ鳥を観て「自分も空を飛べると思ったようだ」と言った情報もある。もちろん、情報には根拠はないが…しかし、俳優の窪塚洋介も神奈川・横須賀の自宅マンションの9階から「飛べると思った」なんて言って26mも落ちたことがあった(2004年)。そういった意味では、あるいは…ってことも考えられる。
思えば、育ての親で恩師・作詞家の石坂まさをさんが今年3月9日に闘病生活の末にこの世を去った(享年71歳)時、藤さんは葬儀に訪れなかった。てっきり、日本にはいないかと思ったが…。それが、あした(23日)は、故石坂さんの偲ぶ会である。午後6時から千代田区のホテルルポール麹町で行われる。余りのタイミングに驚くばかりである。
藤さんといえば、06年3月――米ニューヨークのケネディ空港で、現金約42万ドル(日本円で約4900万円)を差し押さえられたことがあった。この時、藤さんは「この5年間は殆ど日本には帰らず世界旅行をしていた」とした上で「飛行機はファーストクラス。ホテルは各国の高級ホテルに泊まった。5年間で5億円は使った」と、リッチな生活ぶりだったことを吐露していたものだ。
一人娘で歌手の宇多田ヒカル――ヒカルは、99年に歌手デビューしたが、ファースト・アルバム「First Love」は、日本の音楽史上最高の850万枚を売り上げた。以来、藤さんは、演歌歌手とは全く別の部分で注目されてきた。

●娘のヒカルに負けず劣らずの輝かしい実績

しかし、藤さんは愛娘のヒカルに負けず劣らずの輝かしい実績を持っていた。が、その足跡は、まさにスキャンダラスそのものだった。しかも、藤さんにとっての歌手生活は波乱万丈そのものであった。内山田洋とクールファイブのボーカルだった前川清との結婚・離婚。そして人気絶頂での「歌手引退」。音楽関係者によると、彼女の行動は「その都度、芸能事件として大きな話題になった」という。
――藤さんがデビューした69年は、東大安田講堂の占拠事件など学生運動が激化していた年だった。今回、自殺を図った新宿の西口で「フォーク集会」が行われていた時に、彼女は「新宿の女」で華々しくデビューした。キャッチフレーズは「黒のベルベットに身を包み純白のギターを持った宿命の少女」。
――彼女は、浪曲師の両親の間に生まれた。幼い頃から、両親とともにどさ回りする生活だったという。人前で初めて歌ったのは小学校4年生の時。畠山みどり「出世街道」が彼女の十八番だった。人前で歌った快感が忘れられず歌手を目指すキッカケとなった。デビューは、若干17歳の少女だったが「白いギターを抱えて、うなるように歌う彼女の姿に、世の中は釘付けになった」(レコード関係者)という。
出世作「圭子の夢は夜開く」は、デビュー2年目の70年に発売された。
「この曲は、もともとは園まりが歌っていたんです。そこで、作詞家の石坂まさをさんが詞を変え、藤さんに歌わせたんです。これが100万枚に迫る大ヒットとなった。当時、オリコンのチャートで40週間に亘ってトップを独走したんです」(音楽関係者)。
彼女の人気は不動のものとなった。その藤さんに降って沸いたのが「結婚」だった。当時を知るフジテレビの関係者がいう。
「当時、生放送していた『夜のヒットスタジオ』に前川清が出演した時、司会の前田武彦さんが切り出したんです。『藤さんとの結婚の意思を固めたと聞きましたが…』という問いに、前川が頷き認めたんです。彼女のスター歌手らしくない素朴なところに惚れたようです」。
2人の交際のキッカケは、70年9月に東京・浅草国際劇場で行われた「藤圭子ショー」の楽屋に、前川が花束を持って訪れたことだった。その後、藤も東京・有楽町の日劇で行われた「クールファイブ・ショー」に前田を訪ねたことから一気に深まった。
「藤さんは結婚の意志を恩師の作詞家・沢の井竜二氏に打ち明けたんです。沢の井氏は、リーダーだった内山田洋と相談して、最終的に結婚を了承したといいます」(当時、2人の所属していたレコード会社RCAビクターの関係者)。
藤さんは、前川について「さっぱりした人柄。結婚できたら嬉しい」と言いつつも「芸能人同志。いろいろ問題もあるので、もっと話し合って気持ちを確かめたい」と慎重な態度を見せていた。
当時、人気絶頂だった藤さんには、結婚するためには余りにも障害が多かった。オリコンのデータによると、70年に出したファースト・アルバム「新宿の女」は、3月30日付から8月10日付まで連続20週も1位にランクされ、入れ替わって1位にランクされたのは、やはり藤さんのセカンド・アルバム「女のブルース」だった。同アルバムは17週間連続でトップに立った。つまり、70年のアルバム・チャートは3分の1強の約9週間、藤さんのアルバムが1位を独占していたわけだ。それだけに、周囲には結婚を反対する声も多かった。
し かし、「情熱的な性格」だった藤さんは、前川との結婚を決意、71年8月2日に前川の出身地である九州・佐世保のカトリック教会「俵町教会」で挙式を挙げた。大挙したマスコミやファンに佐世保市民からは「エンタープライズの入港以来の騒ぎ」と驚きが上がっていたという。
披露宴は、ハネムーン(8月3日から8日まで)からの帰国を待って、8月9日にやはり東京・西新宿にある京王プラザホテルで行われた。ハワイ焼けですっかり健康色になった2人は、喜びに満ち溢れていたという。
「挙式は洋装でしたが、披露宴は前川が紋付はかま姿、藤は十二単衣。ほほえましいカップルぶりを発揮していました。披露宴の会場には森進一やいしだあゆみら歌手仲間が来ていたと思います」(当時を知る週刊誌の元ベテラン記者)。
周囲には、19歳の藤と22歳の前川の「若すぎる結婚」に不安視するムキもあった。しかし、はたも羨む「おしどり夫婦」ぶりは、芸能界の大きな話題になっていた。
だが、2人の結婚生活は長くは続かなかった。
僅か1年での破綻だった。離婚の理由は「性格の不一致」というが、芸能マスコミの中からは「一体、どういうことだ…」とのブーイングも上がった。
「結婚した当時の藤のヒット曲が『圭子の夢は夜ひらく』だったが、離婚したときの最新曲が『別れの旅』。まさに、藤さんは“演歌の星”らしく、結婚生活も歌につれてということになった」
なんて皮肉られる羽目となった。
あと、ヒンシュクを買った一つが72年7月30日から4日間、グアム島に夏休み旅行をしたことだった。その模様は、「結婚1周年」と銘打って週刊誌やテレビのワイドショーで紹介され、ファンからも大反響となった。ところが、その楽しそうな旅行は「実は、離婚の話し合い」だったという。「帰国するや2人は関係者に離婚を報告した」という。
離婚会見は8月12日には東京・紀尾井町の赤坂プリンスホテルで会見が行われた。
記者から理由を聞かれた藤さんは「何を言ったらいいんですか?」「何もないですよ」「(離婚の理由は)なんとなく、お互いに…」。
「藤も前川も全く理由は曖昧。肝心なことはボソボソと言うから聞き取れない。離婚話は、どちらから言い出すわけでもなくグアムに行った時に固まったと言うんですから、何が何だかサッパリ分かりませんでした。正直言って結婚ごっこだったとしか言いようがない」(当時、取材した週刊誌の元取材記者)。
そして…歌手生活10年目を迎えた79年のこと。藤は何と「普通の女になりたい」と引退を決意したのである。ヒットに恵まれなかった藤は、キャンディーズの「普通の女の子に戻りたい」ではなく「普通の女になりたい」という気持ちになったと言うのだ。
「実は、藤の引退説というのは77年ぐらいからくすぶっていた。ただ、その頃は、阪神の小林繁投手とのロマンスが囁かれていたんです。そんなこともあって、引退説は立ち消えになってしまった。しかし、藤の気持ちの中では引退しかなかったのかもしれませんね。RVCレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)の奥野一郎社長とも話し合ったようですしね。その席で、契約問題を整理した上でということになった」(当時を知るプロダクション関係者)。
79年5月、東京・有楽町の日本劇場で「10周年記念リサイタル~圭子のすべて!」が行われた。そのステージで「私には演歌しかありません。これからも、飾らず、気どらず、欲張らず、で頑張りたい」と11年目に向けての意欲を語ったばかりだった。また、9月には新曲「可愛い女」が発売され、キャンペーンも始まっていた。その矢先に、いきなり「引退する」では、「前川清との離婚の時と全く同じ。単なる我がままでしかない」という声がマスコミ内から上がっても不思議ではない。
藤さん本人は「もう、何もいらない。1年ぐらいボケッとしたい。外国旅行でもしたい」と親しい友人に漏らしたというが、その引退の一方で、小林投手とのロマンスの裏で、東京・六本木のクラブで演奏しているミュージシャンとも交際しているといった噂が出ていた。
引退宣言は79年10月17日に東京・渋谷のRCAレコード本社で行われた。引退の理由は、やっぱりハッキリしなかった。ただ「物心がついたときから、ずっと生活のために仕事をしてきました。この辺で、すっきりと芸能界から身を引き、第二の人生を過ごしたい」と言うだけだった。さらに、その上で「再びステージに立つことはありません」と強調していた。
「彼女は、10年間にシングル34作品を出し800万枚、アルバムは200万枚を売上げ、133億円を稼ぎ出した。この金額は当時としては莫大でした」(音楽関係者)。
そして、藤さんは、その年の12月26日に、ゆかりの新宿――新宿コマ劇場で引退公演を行った。
引退後は「とりあえずハワイへ行きたい。ハワイでのんびり自分の気持ちを落ち着けたい」と言ったが、「実は、翌年の80年、米国のカリフォルニア州に滞在していたことが分かったんです。彼女は日本に帰る意思のないことを示し、米国の大学に入るために勉強していると言っていたんですけどね」(ワイドショー関係者)。
ところが、その翌81年7月「二度と芸能界に戻らない」と引退したはずだった芸能界に、突然にカムバックすることになった。しかも名前を「圭似子」に改名しての再活動だった。藤の気まぐれな行動に世間は冷ややかな反応を示した。結局、藤さんのカムバックは中途半端に終わり、再び渡米した藤は翌82年に宇多田照實氏と結婚、83年に長女・光(宇多田ヒカル)を生んだ。もっとも、その照實氏とも07年に離婚していた。
今後の動きは、やはり照實氏とヒカルである。

何で“ゆず=小豆”なの!? ニッポン放送「ゆずのANN‐GOLD」が井村屋とコラボで小豆バー

2013082018050000.jpgニッポン放送の看板番組「ゆずのオールナイトニッポンGOLD」の企画で、井村屋とコラボした小豆バーが20日から発売された。確かに、記録的な暑さが続く中でタイミングとしてはいい。その暑さのおかげ?なのか、井村屋の株価も気温と一緒にグングン上がっているって言うから笑が止まらない。
しかし、だからと言って、アイスはいいとして何で「ゆず=小豆」なのか…ゆずのどっちかが「小豆のアイスバーが好き」だっていうんだったら、それも納得するのだが、そうでもないらしい。要するに「大人の事情」ってこと!?
ま、それはちょっと分からないが、アイスバーの袋を開けてみると、その中身はゆずのシャーベットに小豆が加わったもの。実に奇妙だった。では、味の方は…オイシイと言うか、しかし、ゆずシャーベットと小豆が混ざり合って奇妙な味だった。
ってなわけで、ニッポン放送も発売に合わせて、イベントをイマジンスタジオで…。スタジオ入口の周辺には、ゆずのファンらしき女の子がタムロしていたが、この蒸し暑さの中では、アイスを食べたら逆に咽が乾く…。そうは言っても、一応は評判も上々のようだった。

大した芸能ニュースにならなくても…霊峰・富士山頂で優勝祈願のM高史の“芸人魂”――モスクワの川内優輝選手に届いた!?

2013081623020000.jpg芸人アスリートのM高史が、世界陸上・男子マラソンに出場する公務員ランナー川内優輝選手の優勝祈願で1人富士登山マラソンを行った。きょうの日刊スポーツやサンケイスポーツ、東京スポーツの芸能欄にも掲載されていたが…その掲載記事は小さくても、現実的にやっていることは大きい。並大抵のことじゃない。まず(世界文化遺産の構成資産にもなっている)富士山須走口の富士浅間神社 【左の写真】 をお参りした後、早朝5時にスタートして五合目(2000m)まで走る。その距離は12㎏である。正直言って乗用車でも大変な道のりだ。途中で野生のシカにも遭遇する。そのシカも「よー、やるなぁ…」と見つけていた。
5合目の菊屋に到着したのは午前7時過ぎだった。
5合目では約2時間ぐらい休息。富士山の気圧に慣れるためだ。
…と言っても、殆どは登山客や下山客との記念撮影会になっていた。一応、売出し中の芸人だから、ムッとすることも我慢して撮影や要望に応じなければならない。森進一のように8月21日に新曲「富士山」を出すものの、夏休みをとって大したキャンペーンもやらない大御所とは違う。
そして9時に五合目をスタート。因みに、頂上までの距離は8.5㎞。
新六合目の長田山荘、本六合目の瀬戸館、新七合目の太陽館、本七合目の見晴館…、そして新八合目の下江戸屋、本八合目の胸突江戸屋、八合五勺の御来光館。頂上には11時04分にゴールした。途中、「証拠写真」を撮るなどもしたが、須走口での2時間04分は驚異的な速さである。
いずれにしも、テレビの取材もない、それこそ大した芸能ニュースにもならないだろに…。にも拘らず日本一の山・富士山を駆け上がろうなんて、そんなこと、今の芸能界で誰がやるか? と言うより誰もが出来ることじゃない。しかも、現実にそれをやり遂げたことは凄いことである。例え、一発屋であっても、ある意味では「芸人魂」ではないか?
いずれにしても、M高史の気持ちはモスクワの川内選手にも届いているはずである。以下、マラソンをドキュメントする――。

※須走口・浅間神社隣の宮上。「頑張って五合目まで走ります」。五合目までの距離は12.5㎞。
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※須走口登山道をひたすら走るM高史。
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※五合目の菊屋前。これから本格的な登山道。
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※新六合目の長田山荘。標高は2450m
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※※本六合目の瀬戸館。ここめでが結構辛い登山道だった。
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※新七合目の太陽館。この山小屋は11月ぐらいまで開業している。とにかく道楽で山小屋をやっているとしか…
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※本七合目の見晴館。かつては七合八勺と言っていたが、いつの間にか本七合目に。
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※須走口新八合目の下江戸屋。わき道を行くと吉田口の八合目・元祖室、白雲荘に行く。標高は3350m
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※本八合目の胸突江戸屋。標高は3400m。頂上まではだいたい東京タワーの高さ…
富士吉田口(五合目で河口湖口と合流)と須走口の合流。合流後は須走口になる。
ここでは俳優のだいすけ(写真右)、松下幸司(写真左)、そして元NHK新潟でキャスターをやっていた大西蘭が滞在している。大西は、ここしかない富士山文化遺産記念の富士山グッズを販売している他、FM NACK5でもレポートしている。
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現在解説中のブログは
「こちら富士山本八合目」(大西蘭)
http://223.holidayblog.jp/

「富士山本八合目奮闘記」(だいすけ、松下幸司)
http://046.holidayblog.jp/
因みに、大西は毎週月曜日に東京スポーツ、だいすけと松下は、「週刊プレイボーイ」でも連載している。
また、ここでは篠崎愛率いるアイドル・グループ“AeLL”の富士山グッズも販売している。ペナントと携帯ストラップは人気だ。
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※須走口八合五勺の御来光館。頂上は目前。開山日には、ここから日本テレビ(静岡第一テレビ)、フジテレビ、TBSの3局が、ここから生中継していた。
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※須走口頂上。ここには富士浅間神社と山小屋(売店)で山口屋、東京屋、扇屋がある。
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※頂上では絵馬に「必勝祈願 世界陸上 川内優輝」と願掛けして奉納した。
この絵馬は、本八合目胸突江戸屋で販売されているもので、唯一、富士山の世界文化遺産登録を記念で作成された“スペシャル絵馬”。祈願には最高のもの!!
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※五合目に下山して、お世話になった菊屋で記念のサイン。 左からM高史、「アキバ☆エンタメ ステージ」のゴンゾー、菊屋の看板娘、そして…
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【掲載スポーツ紙】
※日刊スポーツ(芸能)
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※サンケイスポーツ(芸能)
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※東京スポーツ(芸能)
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