故・大島渚監督の逸話…カンヌ映画祭「戦場のメリークリスマス」×「楢山節考」と大島夫妻結婚30周年での作家・野坂昭如氏大乱闘!!

1月15日に肺炎のため亡くなった映画監督・大島渚さん(享年80)。通夜は21日午後6時から、葬儀・告別式は22日午前11時から、いずれも東京・築地本願寺で営まれることが決まった。葬儀委員長は大島さんがメガホンを取った「愛のコリーダ」(1976年)で助監督を務め、同じく「御法度」(99年)では新撰組の総長、近藤勇役で出演。公私ともに信頼された「大島組」の一員・映画監督の崔洋一氏(63)、喪主は妻の女優、小山明子(こやま・あきこ)が務める。遺体は神奈川・藤沢市の自宅に安置されている。
 大島監督の逸話はいっぱいある。
まず、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」か? それとも今村昌平監督(90年5月30日没)の「楢山節考」か? 前代未聞、日本映画を代表する2人のベテラン監督の“一騎打ち”となったのが83年5月7日から19日かけて開催された「第36回カンヌ映画祭」のグランプリ・レースだった。  
大方の予想は「戦場のメリークリスマス」で、大島監督は「賞はもらった!」とばかりに発表前から“勝利宣言”。出演者のデビッド・ボウイや坂本龍一、ジャック・トムソン(英男優)を引き連れて派手にカンヌに乗り込み、さかんにデモンストレーションを繰り広げた。配給のヘラルド映画のスタッフも「これで取れなかったらおかしい」と豪語するほどだった。
その一方で、今村監督は「大島リード」で敗北を認めたのか、表向きは「病気」を理由に“謎”の「出席辞退」。作品上映後に行われた記者会見には主演の坂本スミ子と、東映の日下部五朗プロデューサーの2人だけが出席した。記者からは「監督は何故、来ないのか」という質問まで出るほどの対照ぶりだった。監督の欠席は「映画の審査にとってマイナスになるのでは…」と心配する関係者もあったが、今村監督についてスタッフの1人は「正式出品を審査しにカンヌ映画祭の審査員が4月中旬に来日して映画を観たんですが、映画のテーマになっている姥捨(うばすて)の儀式とか、映画に出てくるマムシとかガマガエルの交尾シーンについて、今村監督にかなり質問が出ていた。いちいち映画を説明するのは面倒くさがってました。今村監督は、芸術家肌と言うか、職人肌の監督。外国人には分からなくてもいいという感じでした」。
 しかし、その結果は? 
「カンヌ映画祭」最終日の19日に受賞作品が発表され、グランプリ(金賞)は、何と大方の予想を裏切って今村監督「楢山節考」が獲得した。「カンヌ映画祭」で日本映画がグランプリに輝いたのは、54年(昭和29年)の「地獄門」(衣笠貞之助監督)、80年(昭和55年)の「影武者」(黒澤明監督)に続いて3作目の快挙だった。
 グランプリの受賞が発表された瞬間、坂本スミ子は大声で「やったー!」と立ち上がった。次の瞬間、大粒の涙がとめどもなく頬を流れ、化粧も崩れるほどとなった。坂本は「もう、記者に囲まれて、くしゃくしゃだわ。今村監督の代理でカンヌに来て、グランプリが取れて本当に嬉しい」と、東映の関係者に国際電話してきたという。
 “大逆転”でグランプリに輝いた今村監督は同夜、銀座の東映本社で記者会見を行った。今村監督は開口一番「全く意外でした。行かないと賞は貰えないと聞いていましたし、これまで外国の賞はまるでダメで、ボクの映画は西欧の人には訳の分からないものだと思っていました」。
 一方、完敗した「戦場のメリークリスマス」の大島監督は「楢山節考め!」と苦々しく思ったかと言うと、そうでもないらしい。「カンヌ映画祭の効果もあって、映画は大入りになった。特に、主演の坂本龍一やビートたけしが舞台挨拶に立った時は、高校生や大学生で埋め尽くされ、まるでコンサートのような盛り上がりでした。当時、大島監督といえば“日本のヌーベルバーグ”の旗手でしたからね。その大島監督作品が大ヒットしたのですから、カンヌでは泣いても、客盗りは大成功といったところでしょう」(映画関係者)。
 
お騒がせと言う意味では、作家・野坂昭如氏が、大島監督を殴り、大立ち回りを演じたのは今でも語り継がれている。
それは90年(平成2年)10月23日に起こった事件だった。東京・芝の東京プリンスホテルで開かれた大島監督(当時58歳)と女優・小山明子(当時55歳)夫妻の結婚30周年を祝うパーティーで起きたハプニングだった。泥酔状態の野坂氏がいきなり大島監督にパンチを見舞い、同監督も握っていたマイクで応戦するなどあわや大乱闘となるところだった。実は、野坂氏は1986年(昭61)にも酔っぱらって出演したテレビの生放送中に共演者を殴る事件を起こしており、いくら泥酔状態とはいえお粗末すぎる行動に場内はア然となった。
当時を振り返る――俳優の佐藤慶や映画評論家の水野晴郎さん、歌手の村田英雄さん(いずれも故人)など、映画、芸能、マスコミ関係者が約1500人が集まって大盛況だったパーティーの中で勃発した。なごやかに進行したパーティーも終宴間際の午後9時のことだった。引き揚げようとする招待客の耳に飛び込んできたのは野坂氏のば声だった。
「わざと、おれを忘れただろう」。
ぼう然とする観客の目に映ったのは、壇上で野坂氏が大島監督の左ほおにきれいな右ストレートを見舞った場面。あ然とする監督も握っていたマイクですかさず野坂氏の頭をポカポカと殴り返し、仲裁が入らなければ大乱闘になるところだった。
主催者でもあり気を取り直した大島監督は、武器にもなったマイクで「悪いのは僕です。悪いのは……」と場内に向かって呼び掛けた。が、野坂氏は「何を言ってんだ」とわめき散らしておさまらず、関係者に引きずられるように場外へ。残されたのは、殴られた時に口を切り、メガネが吹っ飛んだ大島監督と野坂氏の酔虎伝だけだ。
当時、パーティーに出席していたプロダクション関係者が振り返った。
「一瞬の出来事でしたね。パーティーも中締め。招待客も徐々に引き揚げようとしている時だったんです。いきなり怒鳴り声が会場に鳴り響いたんです。野坂さんは監督に『わざと、オレを忘れたんだろう』と言っていましたね。ただ、野坂さんの右ストレートをくらった監督も握っていたマイクで、野坂さんの頭を殴り返していました。野坂さんは泥酔状態だったので感じなかったかもしれませんが、ポカポカと音が鳴り響いていたので、実際には痛かったと思いますよ。しかし、あわや大乱闘になるところだった。いくら酔っていたからと言っても、ちょっとお粗末過ぎる行動でしたね」(パーティーに出席した映画関係者)。
事の発端は、祝辞をよんでもらおうと招待した野坂氏のあいさつを監督が忘れたことから始まったというのが真相。
「野坂さんは、夫妻の名前を織り込んだ和歌を持っていて、壇上に呼ばれるのを今か今かと待っていたようですね。大島監督は、帰ったと思っていた野坂氏が、まだ会場にいることに気づき舞台に呼び上げた。しかし、この時すでに野坂氏は足元もおぼつかない泥酔状態だったんです」(テレビ関係者)。
大島監督の関係者によれば、野坂氏が帰ったと思い順序を飛ばしたと話すが、野坂氏は夫妻の名を織り込んだ和歌を持って自分の名前が呼ばれるのを待っていた。
当時の2人はテレビ朝日「朝まで生テレビ」で共演するなど親しい付き合いがあるが、悪いことにこの時、野坂氏は足元もおぼつかない泥酔状態。野坂氏は、フラフラで壇上にのぼり和歌を詠んだまではよかったが、怒りがこみ上げたのかこの直後に大島監督に殴りかかった。
いずれにしても、その後も野坂氏は関係者に対し「人のことをバカヤローというが、バカヤローはあの人。おれは許さない」と語り、怒りが収まらない様子。大島監督はテレビ朝日「こんにちは2時」の収録に姿を見せたが、取材には「勘弁してください」。周囲によれば「一方的に僕が悪い。失礼なことをした」と反省していた。
「我々にとっては笑い話でも、パーティーを仕切っていた大島監督にとっては後味悪かったと思いますよ」(映画関係者)
いずれにしても、大島監督と野坂氏のバトルはマスコミ注目の大騒動に発展していたが、結末はさすがに大人だった。