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32年前に世界的ニュースになった布施明とオリビアの“大型国際結婚”も9年後…オリビアに15歳年下の恋人出現!?

土曜日, 2月 18th, 2012

今日(2月18日)は何の日だったか!?
…思い出すのは、32年前――1980年2月18日(もっとも日本時間では2月19日になるが…)、歌手の布施明(当時32歳)と映画「ロミオとジュリエット」で”世界のアイドル”になったハリウッド女優、オリビア・ハッセー(当時28歳)が”国際結婚”した日である。これは当時、世界的なニュースとなった。
結婚式を挙げたのは、米フロリダ州マイアミビーチのヨガ・センター「シダ・ヨガ・ダーム」にあるインド式教会アシュラム。オリビアは赤と金のサリーに似た婚礼衣装に身を包み、一方の布施は、ベージュのスーツで、2人とも大きなレイを首からかけ、額には、花弁の模様をあしらったインド特有の化粧をして式に臨んだものだった。
式は、オリビアが”人生の師”と仰いでいたインド人の高僧スワミ・ムタナンダ司教の司祭で行われた。当時、布施が所属していた渡辺プロの渡辺晋社長(故人)やハナ肇夫人の野々山葉子さん、オリビア側からは息子のアレキサンダー君(当時6歳)、さらにはセンターの信者約700人も参列してバラの花とライスシャワーを浴びせて2人を祝福。まるで、インドのお姫様と王子様といった雰囲気で、盛大な結婚式となったという。婚礼費用は意外に安く1000ドル(当時のレートで25万円)だったと言う。
ところで2人の出会いは、79年3月に遡る。
オリビアが出演していたカネボウ化粧品のCMソング「君は薔薇より美しい」を布施が作詞、作曲したのがきっかけでロマンスに発展。当時は”プレーボーイ布施”と”恋多きハリウッド女優オリビア”の一時的なアバンチュールと噂されていた。しかし、その後、7月にはオリビアがお忍びで来日、布施とデートしていたことが発覚した。
それだけではない。その翌8月には、今度は布施が、ハリウッドのビバリーヒルズにあるオリビアの豪邸を訪問したことから、一気に「大物国際ロマンス」と芸能界が騒がしくなった。
…といっても、2人の間にはさまざまな障害があった。オリビアは、71年4月に歌手ディーン・マーチンの息子ディノ・P・マーチンと結婚して、長男アレキサンダー君をもうけていた(75年に離婚)。しかし、布施がオリビア邸を訪問した時、アレキサンダー君は布施になついていたことから、その障害は取り除かれたという。
さらに「言葉の問題」もあった。しかし、布施は帰国後、国際電話でラブコールを繰り返して”言葉の障害”も少しずつ乗り越えていったという。海を越えた「究極の遠距離恋愛」だったわけだ。
そうした中、一部のスポーツ紙が80年1月6日付の芸能面で「結婚が固まった」とスクープ。芸能界は騒然となり1月10日、布施が出演したTBS「家族そろって歌合戦」では、収録場所となった静岡県伊東市の観光会館にはマスコミが殺到した。
番組の収録後に囲み取材に応じた布施は「オリビアとの結婚」の質問に、最初は「結婚する可能性もあるし、しない可能性もある」とはぐらかしていたが、「交際しているのは事実。昨年夏にロスで会ったときは”ライク”だったが、今は”ラブ”に移行しつつある」などと、真剣な交際であることを認め、「結婚したら2人で努力する」と前向きな発言をして一気に国際結婚への機運が高まった。
この時オリビアは、角川映画「復活の日」(深作欽二監督)に出演していた。カナダ・トロントで行われていたロケにオリビアが参加するとあって、日本から多数の取材陣が現地入りした。同年1月30日(日本時間31日)、現地でオリビアの記者会見が行われ、初めて日本のマスコミの前に姿を現した。
布施との結婚について聞こうとする報道陣と「プライベートな質問は一切しないで欲しい」という角川側の間でひと悶着あったが、オリビアは自ら「お互いに愛し合っているし、この気持ちを大切にしたい」と発言。布施&オリビアの”国際結婚フィーバー”は一気に加速していった。
因みに、結婚を決意した時期について、布施は「4〜5日前に決めた」と言ったのに対して、オリビアは「6か月前に決心した」と食い違った。
オリビアは「半年前にロンドンに住む両親にも伝えた」というから、2人の話から、結婚についてはオリビアの方が積極的だったのかもしれない。さらに、挙式後の心境を問われたオリビアは「ハッピーね。彼を信じてついていくわ」とうれしそうに語った。また、ハネムーンについては「これ(マイアミでの挙式)がハネムーンよ」。
子供に関しては布施が「今は難しい。もう、1人(オリビアと前夫の子供)いますから」と控えめに語ったことに対して、オリビアは「オフコース」と言って片手を差し出した。ただ、記者から「それは5人か?」と問われ、「分からない」。
また「ファンに対してのメッセージを」と言われ、布施は「両親にはどうもすみませんという気持ち。ファンには一番最初に報告したかった。近いうちにステージから報告したい」と、複雑な心境も吐露していた。
さらに、結婚後の生活については「彼女はロスでの活動が中心になるでしょう。もし、仕事があったら日本に来る。僕の方が日本とロスを行ったり来たりすることになる」と布施。オリビアは「息子のアレキサンダーもアキラのことは大好き。私もきっといい妻になれる」とアピールした。
しかし、2人の夫婦生活は10年続かなかった。ハリウッドで活躍するオリビア。日本で仕事をする機会が増えていった布施。”日米のすれ違い”が原因で何度となく離婚の危機が噂され続ける。
離婚が決定的になったのは89年1月だった。何と、37歳のオリビアに15歳年下となる22歳の歌手兼俳優の新恋人ジェイソン・サイナイ君が出現したのだ。布施は、急きょ渡米したものの、わずか1週間の滞在で大型トランク4個に荷物をギッシリ詰め込んで帰国する。まるでロスの家から引っ越しするような荷物の量だった。
89年4月――マクシミリアン君はオリビアが引き取り、布施が教育費を支払うことで離婚が成立した。米カリフォルニア州法に基づく離婚で、「布施は3億円の慰謝料を払わされた」という情報も流れたが、布施は記者会見で否定した。「今後もオリビアとはよき友人として付き合っていきます」と布施。「大型国際結婚」は9年であっけなく破局した。
ところで、2人の間には83年1月にマクシミリアン君が誕生している。そして、ロサンゼルスに新居を構えたが、布施自身、英語が苦手だったこともあって現地のアーティストのユニオンに入ることができず、「国際的アーティストの夢は破れた」という。85年1月から日本での仕事に復帰して、日本に”出稼ぎ”する生活となり別居生活が続いたという…。