ジョン・レノンが銃弾に倒れ31回目の命日…6回目の保釈申請を却下された犯人のチャップマン保釈は来年以降に!!

また、今年もジョン・レノンの命日を迎える…。
ザ・ビートルズのメンバーだったジョン・レノンが、米ニューヨークの自宅マンション「ダコタ・ハウス」前で、白人青年マーク・デービッド・チャップマン(当時25歳)が放った銃弾に倒れたのは80年12月8日午後10時50分(日本時間9日午後0時50分)のこと。その悲劇から31年となる。
去年は、没30年で、しかもジョンの生誕70年。さらにビートルズの解散から40年目という節目の年だったが…。
しかし、やはり、この日は「特別」な日なのかもしれない。
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銃弾に倒れた80年12月――ジョンは、5年に及ぶ沈黙を破って音楽活動を再開したばかりだった。アルバム「ダブル・ファンタジー」を発表(日本は80年12月5日発売)。「レノンついに沈黙破る!」と、世界的なニュースになっていた。中でも、ジョンとヨーコ夫人とのキスシーンのジャケットは写真家の篠山紀信氏を起用したものだった。
ジョンの自宅マンション「ダコタ・ハウス」は、ニューヨークのセントラル・パークの西側入り口前にある。84年に建てられ、ニューヨーク市内でも由緒ある高級マンションとして知られた。ジョンは、そこにヨーコ夫人、そして息子のショーンと3人で暮らしていた。
事件当日、ジョンは、NYマンハッタンのスタジオ「レコード・プラント」から帰宅したところを撃たれた。
ヨーコ夫人の通報で、市内のルーズベルト病院に運ばれたが即死に近い状態だったという。ルーズベルト病院の担当医師によると、胸に3ヶ所、左腕に2ヶ所の銃創があったという。さらに背中には貫通した銃弾の痕があった。
当時、ヨーコ夫人は「葬儀はやらないが、週末に静かに通夜を行ってジョンの冥福を祈りたい。全世界の人々は、それぞれの場所で祈ってほしい」との声明を発表した。
ファンによるジョンの追悼集会は12月14日に全米各地で、またジョンの故郷、英国のリバプールでも行われた。米ニューヨークでは10万人がセントラル・パークに集結し、10分間にわたって黙とうをした。
ところで当時、アルバムを発売したジョンは81年3月からワールド・ツアーを行う予定だった。皮肉にも日本は、そのワールド・ツアーの皮切りになっていた。東京・北の丸の日本武道館4DAYSの他、大阪や京都でも各1回の公演を予定し、81年1月から前売りチケットを発売する予定だった。しかし、そのジョンの初の単独公演も幻に消えた。
ジョンを撃ったマーク・デービッド・チャップマンは、熱狂的なビートルズ・ファンだった。「彼の部屋はビートルズのレコードで溢れ、自らもロック・グループを結成し、ビートルズの作品をコピーしていた」
そのチャップマンも現在56歳。判決では20年から無期の禁固という不定期刑を受け、現在もニューヨーク州アティカ刑務所に服役中だ。00年から08年8月までの間に、州の仮釈放委員会に5回の「仮釈放申請」を提出しているが、全て却下された。理由として「犯行の特異性」、さらには「公共の安全と福利にかかわる」ことを挙げている。事件から30年目を迎えた昨夏(7月28日)、6回目の「仮釈放申請」がチャップマンから提出された。しかし、審査の結果、9月7日に却下する決定が出された。関係者によると、保釈は早くても来年以降だという。
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ジョンが射殺された自宅マンション「ダコタ・ハウス」のあるニューヨークのセントラルパーク西側入り口前には、「iMAGIN」のモニュメントがあり、全世界からビートルズやジョンのファンが訪れている。