石井竜也、早見優、松本伊代、それに湯川れい子まで…本田美奈子.さんの七回忌で「2011 LIVE FOR LIFE『音楽彩』」開催!!

アイドル出身の歌手でミュージカルでも大活躍していた本田美奈子.さんが急性白血病で亡くなったのは05年11月6日のことだった。享年38歳だった。それから6年の歳月が経ち、今年は七回忌。というわけで、今年も「2011 LIVE FOR LIFE『音楽彩』〜本田美奈子.7メモリアル〜」と題した追悼イベントが3日夜、東京・中央区のCOREDO室町 日本橋三井ホールで行われた。
「LIVE FOR LIFE」は、今年で4回目。この会場は昨年に続いてものだったが、今年は何と言っても「七回忌の追悼イベント」という意味合いが強かった。とは言っても、このイベントは、単なる本田美奈子.さんの追悼イベントということではない。タイトルになっている「LIVE FOR LIFE」が、「特定非営利活動法人(NPO)LIVE FOR LIFE 美奈子基金」として認定されていることもあって、基本的には「白血病、難病で苦しんでいる人たちを支援し、命の尊さや生きるための喜びを伝える」ことを大きなテーマに据えている。しかも「それぞれの”人の彩り”、ジャンルを超えた”音楽の彩り”を感じてもらうためのイベント」ということから「音楽彩」というタイトルもついている。
今回は、早見優と松本伊代の司会で、米米CLUBの石井竜也をはじめ知念里奈、柴田智子、Asu、渡辺大輔、まきのめぐみ、meg、KOSEI&RYU、可知真理子、本田武久、そして湯川れい子&東京女声合唱団など、何ともバラエティーに富んだ顔ぶれとなった。しかも、スクリーンだったが作曲家の服部克久氏の挨拶に始まり、俳優の西田敏行まで登場すると言う、やはり、本田美奈子.さんは並みのアイドルではなかった。
デビューは早かったが、本田さんとは、ミュージカル「レ・ミゼラブル」で競演した早見優は「天に召されてから7年もなる。羨ましく思うのは、映像を観ていて、彼女は当時のまま、何も変わっていないが、私たちは1つ1つ歳を取っていることかもしれない」と言い、事務所の先輩だった松本伊代は「彼女からは元気を貰いっぱなしで、何も恩返しができないまま終わってしまった。私は事務所では先輩でしたが、美奈子.ちゃんは後輩だったが、本当に尊敬の出来る子だった」と語っていた。また、石井竜也は「彼女のステージは観たことがなく生前は、濃い付き合いはなかったが、確かデビューが同じ年だった。そういったことから、当時は『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)などでご一緒することが多かった。とにかく凛としたイメージの子だった」とした上で「彼女は歌の精霊。彼女の残してきた軌跡は大きかった。世界で難病で苦しむ子供たちを助けたり、勇気を与え続けてきた。あの小さな細い体の子が…。彼女を通して1人の人間の持っている可能性を感じた」と語
っていた。
ステージでは、石井が米米CLUB時代の「君がいるだけで」や、松本伊代が「センチメンタルジャーニー」などを歌ったりしたが、早見と伊代の2人で本田さんの代表曲でもある「1986年のマリリン」なども披露した。
本田さんは、85年4月に「殺意のバカンス」でデビューし、その年の年末は中山美穂と新人賞レースを競った。結果的には中山に敗れたが、その賞レースが逆に彼女を飛躍させる大きな原動力となったと言われる。”賞レース”が終わって、正月明けにスタッフと米ロサンゼルスに行った。そこで、マリリンモンローの墓地を訪ねた本田さんは新たなスタートを誓った。ここで生まれたのが「1986年のマリリン」だったと言われる。
また、今回は、さすがに選曲されなかったが、彼女の転機になったのが、あのQUEENのブライアン・メイから「プロデュースしたい」というオファーが舞い込んだことだった。87年のことだ。彼女のデモテープを聴いたブライアンが彼女のボーカルを想像以上に気に入って、トントン拍子にプロデュースが決まった。で、ブライアンとのコラボレーションで発売した曲が「the Cross―愛の十字架―」だったわけだが、この時に受けた刺激が、88年に結成した女性ロックバンド「MINAKO with WILD CATS」のキッカケとなったとも言われている。もっとも、今、そのロックバンドについて語る人なんていないが…。
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いずれにしても、イベントのフィナーレは、やはり「アメイジング・グレイス」。生前に本田さんが歌っていた作品でもあり、彼女の闘病中にも命の大切さを訴えた作品として何かと語り尽くされている。この「アメイジング・グレイス」を、出演者が全員で大合唱し、在りし日の本田美奈子.さんを偲んだ。
ところで、本田さんが亡くなった時、一番、印象に残っているのは中森明菜か。
本田さんの訃報を聞いた瞬間、明菜は呆然となったという。「今年1月に入院した時、すぐにでもお見舞いに行きたかったんですけど、それも叶わず…」と言っていた。本田さんと明菜は、デビューでは先輩と後輩だったが「ずっと仲がよかった」そうで、「賞レースなんかでもよくご一緒しました。いつも私に明るく接してくれたんです。その時の美奈子.ちゃんの笑顔が思い出されます。本当に残念で、寂しい」と語っていた。