声帯模写タレントの若人あきらの失踪は事件から12年後に「北朝鮮による拉致だった」と報じられる!?(下)

・・・l.jpg 静岡県熱海市和田浜南町の熱海港防潮堤で釣りをしていて行方がわからなくなっていた声帯模写でタレントの若人あきら(現・我修院達也)が、失踪から3日後に何と神奈川県小田原市内の路上で呆然としているところを発見された。運ばれた小林病院で若人を診察した医師は、頭部を強く打撲した時に起こる「一過性の全健忘症」と診断していた。
ところが当時、若人が神奈川県警小田原署の事情聴取に話した「未公開供述書」によると――。
「3月5日の午後2時に目が覚めた。気がついた時は、車庫のようなところで、ベッドに毛布が敷かれていた。その場に40歳ぐらいの男がいた。彼にインスタントのような”おかゆ”と思われるものを食べさせてもらった。その人には心境としてお礼を言いたい。…今日(6日)車の乗せてもらい、小田原に来て車から降ろされた。一緒に歩いて途中で分かれた」
若人の言う40歳ぐらいの男とは…!?
若人の行方不明はテレビや新聞で大騒ぎになっているのに何故、若人を車庫に泊めたのか、何故、病院に運ぶなり警察に通報しなかったのか…。若人の供述は意味不明でナゾは深まるばかりだった。
それにしても、この若人の失踪騒動を、テレビ各局のワイドショーは「狂言」と斬って捨てていた。
生存のニュースが飛び込む前に「ひょっとして、今日当たり『元気でーす』なんて言って、チャッカリ出てきたりして」なんて冗談交じりに語っていた某テレビ局のワイドショースタッフは、若人発見に「それ見たことか」とばかりに大ハシャギだった。
「若人も最近は、人気が落ち気味だったから話題づくりにやったつもりが、想像以上に大事になって引っ込みがつかなくなったんじゃないの?」
なんて大胆な憶測をするワイドショー担当者もいたほどだった。
それはそれはテレビ各局では、このテの”狂言説”が飛び交っていた。しかも、若人は4月からレギュラー出演が決まったことから「テレビ局や番組と組んで”やらせ”で、話題を作ったんじゃないの」なんて疑いの目で見る局の関係者もいたほどだ。
「若人は泳げないどころか、釣りだって余り経験がなかった。いくら何でも不自然。本人がパフォーマンスのつもりでやったのか、誰かの入れ知恵か。まあ、余計なことは言えないけど」
と首をかしげる某局プロデューサーもいた。
このため小田原署は、回復を待って精神鑑定を行う方針を固めた。また、事件が狂言だったら犯罪になるが、その全てを若人夫人は否定した。若人は、極秘に川崎市の聖マリアンナ病院に移り入院、3月26日に退院したが、「空白の3日間」については記憶がないと貫き通した。
ところが、この失踪事件に関し、12年後の03年、衝撃のニュースが飛び込んできた。 何と、この事件は「北朝鮮による拉致だった」というのだ。これは「週刊新潮」が報じたものだったが当時、日本テレビ「ザ・ワイド」のコメンテーターだった有田芳生氏が述べていた。もちろん有田さんの根拠も分からないし、当然ながら真相は分かっていない。いずれにしても、20年経った今でも奇怪な事件として芸能史に記録されている。
ま、奥山英志さんが北朝鮮に拉致されたかどうかは分からない。が、突然に「やあ!」なんて出てくるかもしれない。その時は、奥山さんの失踪の真相を探るワイドショーから引っ張りだこになるかもしれない?

熱海港で行方不明が小田原市内で発見…“ミステリー失踪”で話題となった20年前の若人あきらの場合(中)

 ワイドショーの事件レポーター、奥山英志さんの失踪で思い出すのが、丁度20年前に起こった声帯模写でタレントの若人あきら(現・我修院達也)の失踪事件(行方不明事件)だ。とにかく、失踪した時期も3月と奥山さんの失踪と同じ。そういった意味で何か、共通点があるのかもしれない…と勝手に想像するのである。そんなわけで、若人の失踪事件を今さらながら振り返っているわけだが…。
それにしても、奥山さんの場合は自宅マンションから忽然と姿を消したが、若人は静岡県熱海市和田浜南町の熱海港で釣りをしていて行方不明になった。「行方不明」と言うより「失踪」と言った方が適切である。もっとも、奥山さんとは失踪のケースには違いはあるものの、両者ともに実に不可解で妙な失踪ということでは共通点がある。ま、そんな余談はいいとして、若人の「失踪」は当時、芸能ネタと言う以上に一般紙まで追いかけるほどの話題となった。
しかも、若人は、失踪から3日後に発見されたのだが、その発見場所が何と熱海港防潮堤ではなく、遠く離れた神奈川県小田原市内に倒れていたのだ。これが、また当時は「失踪ミステリー」となって話題になった。
いずれにしても、若人が発見されたと聞かされた時、夫人は安堵感からか涙を浮かべながら「生きて会えて本当に嬉しい。ただ、(海を捜索してくれた)ダイバーの方々や一生懸命に捜してくれた人たちのことを考えると、複雑な心境です。でも、まるで奇跡のようです」と語ったという。
若人は、失踪から3日後の91年3月6日午後3時15分頃、神奈川県小田原市の路上で呆然としているところを発見され、市内の小林病院に搬送された。
検査の結果、頭部打撲による意識喪失と全身打撲と診断された。若人は、周囲に
「波にさらわれた後のことは覚えていない」
「拉致されていた」
などと意味不明なことを喋っていたという。このため、静岡県警熱海署は真相究明に乗り出した。
「若人さんは、小田原城の雑木林に抜けるひと気のない路上にうつ伏せに倒れていたそうです。たまたま通りかかった専門学生が発見して、近くの青少年会館に通報したんです。すぐに職員3〜4人が現場に駆けつけた。その時には、若人さんはしゃがんだ状態だったそうです。すぐに行方不明の若人さんだと判ったといいます」(当時、現場を取材した芸能記者)。
海に転落したと思われ絶望視されていたのが一転して生きていた若人。「記憶喪失」で真相はハッキリしないが、若人が運ばれた小林病院には、捜査にあたってきた熱海署、そして発見現場の所轄である神奈川県警小田原署の捜査員が派遣された。
若人を救出した青少年会館の職員・杉山孝さんは、その時の様子を次のように語っていた。
「私を見てブルブル震えてね。『若人さんかい?』と聞いたら『若人あきらです』と言う。彼が胸の内のポケットから名刺を出す瞬間、釣りに使う携帯ライトが見えたんで確信した。それで、彼の方から『目隠しされて、拉致されて車で運ばれてきた』と言ったんです。そして『海に落ちた。その後、2日間の記憶はない。女房と息子のことを考えると頭が痛い』ってね。服装は防寒着に防寒シューズで釣り人の格好だった」。
いきなり物騒なことを言われ、杉山さんは戸惑ったとも。しかし、若人の話には疑問も持った。
「彼が出した名刺がきちんとしていて、キレイだった。海に落ちた後のものとは思えなかった。また、記憶がないと言っているが、何で『2日間の記憶が…』と明快に言えたのか…」。
警察の事情聴取には
「気づいたらここにいた」
「自分が誰だか分からない」
「足が滑って海に落ちたことだけは覚えている」
「車に乗って途中で降ろされた」
などと、失踪中の足取りについてはハッキリしない様子で話していたという。
(つづく)

謎の失踪…ワイドショーの事件レポーターの奥山英志さん。失踪と言えば思い出す丁度20年前の若人あきら事件…(上)

・・・R・Q.jpgワイドショーの事件レポーターとして知られていた奥山英志さんが姿を消したということで話題になっている。
それにしても、姿を消したのが3月11日の東日本大震災以降だという。何だかんだと半年前の話。要するに、奥山さんはもう半年間もの間、消息を絶っているっていうんだから、これは穏やかじゃない。「東日本大震災以降」と言って、奥山さんの失踪が大震災と関係があるのかどうなのかは分からない。たまたま、姿を消したタイミングが合っただけかもしれないが、それにしても、どこに消えたのか?単に個人的な理由で姿をくらまし、どこかでヒッソリと暮らしているのか?それとも富士山麓の樹海で彷徨っているのか?
しかし、JR北海道の中島尚俊社長みたいに、遺書を残して失踪するなら分かるが、奥山さんの場合は何も残していない。そういった意味から考えたら、借金とか何かのトラブルに巻き込まれたため「ドサクサまぎれに逃亡した」とも言えなくもない。いずれにしても謎である。
ところで、「失踪」と聞いて、「そういえば…」と思い出したのは丁度20年前に起こった若人あきら(現・我修院達也)の失踪だった。しかも、若人が失踪したのも記憶が正しければ3月のことだ。奥山さんの失踪と全く同じ時期なのだ。これは単なる偶然か? あるいは奥山さんの失踪にも結びつくことがあるかもしれない…なんて思い、若人さんの失踪を改めて振り返ってみた。
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 若人の経歴については、後で説明するが、簡単に言うと郷ひろみのモノマネなどで知られた声帯模写タレントである。若人が失踪したのは91年3月3日のことだった。が、この事件は当時、芸能マスコミばかりか一般紙なんかも大きく扱うなど、大きな話題となったことでも知られる。
奥山さんは、自宅マンションから・忽然と姿を消したが、若人の場合は、もっと分かりやすく静岡県熱海市和田浜南町の熱海港防潮堤付近で釣りをしていて行方不明になった。「若人がいない」。3日の午後5時40分頃、家族から熱海署に届けがあった。熱海署は急きょ、周辺を捜索したが若人の姿は見つからず、大騒ぎとなったのだ。とにかく実にミステリーな事件だったことを覚えている。
事件を振り返ると若人は、家族や知人ら6人のグループで熱海に来た。観光が目的で、若人1人だけが午後3時頃から釣りを始めた。ところが、午後5時頃に家族が迎えに行ったところ、若人の姿はなく、消波ブロックの近くに若人の釣り竿と帽子、カバン、バケツ、さらに釣り竿のケースが残されていた。このため、熱海署は「波にさらわれた可能性が高い」と見て、警察と消防署との合同捜索を行った。
熱海署は、行方不明になった3日の深夜まで付近の捜索をしたが、全く手がかりはなかった。このことから一旦、捜索を打ち切り4日早朝、日の出とともにヘリコプターやダイバーなどを動員しての再び捜索を開始した。しかし、若人の行方を掴むことは出来なかった。
熱海署の捜査員は、若人が釣りをしていた場所は「立ち入り禁止区域だった」と指摘。その上で「あそこはテトラポットがいっぱい重なっている場所で、そこに上って釣りをしていたとなったら非常に危ない。海中に落ちたら波は荒いし、海水も冷たい」。
さらに「もし、足を滑らせて海中に落ちて、テトラポットの下にでも潜り込んでしまったら、出るに出られなくなる。そうなったら捜索も大変になる」と絶望視した。
若人の行方不明というか行方不明の情報は当時、芸能界を駆け巡り、4日の未明には東京から各テレビ局のワイドショーの取材陣も現場に駆けつけ騒然となった。しかし、海は暗闇に包まれ何も見えない。テトラホットに打ち付ける波の音しか聞こえなかった。
ただ、当時の事故現場(熱海市の網代付近)の気象について静岡地方気象台は、日中は風、波ともに強くなかったという。しかし、夕方には熱海港の波は高く、風もかなり強くなっていたとしていた。
ところで、若人とは誰か?手っ取り早く説明しておくと、本名は菅野朗雄。1944年(昭和19年)12月、東京に生まれた。小学校3年の時に児童劇団の「劇団ひまわり」に入団・所属した。子役として映画やテレビなどに出演した。中学3年の時、映画「私は貝になりたい」(59年)では、今は亡きフランキー堺の息子役にも抜擢されている。
60年、16歳の時に高校を中退し、歌手の修行を始め、62年に桜一平として演歌デビューした。その後、名前を若人あきらに変えた。1本につながった太い眉毛が特徴で、フジテレビ「オレたちひょうきん族」に出演して一世を風靡した(そういえば、奥山さんもフジテレビのワイドショーで活躍した…)。
「歌手時代は、メジャーではデビュー出来なかったが、本人は歌手に執着し、結果的に自主制作盤として7枚のシングルを出したんです。もちろん売れませんでした。おそらく借金を相当つくったんじゃないでしょうか。売れない時代はキャバレーのホストなんかをして生計を立てていたようですからね。とにかく、仕事に対しては真面目なところがあった。歌手を諦め声帯模写を始めてから一気に道が開けましたね。郷ひろみのモノマネは75年頃から始めたんです。声帯模写で成功した後は、再び作曲とかディナーショーをやっていましたから、失敗しても歌手は諦められなかったんでしょうね」(当時を知る長老の芸能関係者)。
若人には、妻と息子がいた。しかし、若人の所属事務所は、若人が釣りに行って行方不明になったことに「彼が釣りをするなんて初めて聞きました。泳ぎだって得意ではないですからね。4月からレギュラー番組決まったので、本人も喜んでいたんですけど、心配です」と衝撃を受けていた。
行方がわからなくになった若人は4日の捜索でも発見できなかった。また、事件を心配したタレントの原一平や鮎川のぼるも東京から駆けつけ、家族を励ました。
「我々が着いたときは、奥さんは布団を敷いて寝ていた。ショックで倒れたそうです。彼は釣りを始めてまだ4〜5ヶ月でした。竿を買って、今が楽しい時だったかもしれません。奥さんは、彼が1人で釣りに行くといった時、『危ないから、やめなさい』と引き止めていたそうです」。
また、義父も現場に駆けつけ「泳ぎは子供の頃から苦手だった。どうせなら蒸発してくれたらいいのにと思っています」。
と、何故か多くの人が「蒸発願望」だった。
若人の捜索は懸命に行われた。
「4日の捜索は警察や消防署に加え、海上保安庁のヘリコプターも出動した。
ダイバーは若人が転落したと見られる消波ブロック群を中心に、すみずみまで探索した。海中も15も潜ったというが何の手がかりもなかった。若人が釣りをしている時、若人と言葉を交わしたという一般釣り人も名乗り出て、捜索の協力していましたが、発見まで長期化しそうな雲行きでしたね」(関係者)。
ところが、失踪から3日目の6日、若人は神奈川県小田原市内に倒れているところを発見され、同市内の病院に収容されたのだった――。
(つづく)