熱海港で行方不明が小田原市内で発見…“ミステリー失踪”で話題となった20年前の若人あきらの場合(中)

 ワイドショーの事件レポーター、奥山英志さんの失踪で思い出すのが、丁度20年前に起こった声帯模写でタレントの若人あきら(現・我修院達也)の失踪事件(行方不明事件)だ。とにかく、失踪した時期も3月と奥山さんの失踪と同じ。そういった意味で何か、共通点があるのかもしれない…と勝手に想像するのである。そんなわけで、若人の失踪事件を今さらながら振り返っているわけだが…。
それにしても、奥山さんの場合は自宅マンションから忽然と姿を消したが、若人は静岡県熱海市和田浜南町の熱海港で釣りをしていて行方不明になった。「行方不明」と言うより「失踪」と言った方が適切である。もっとも、奥山さんとは失踪のケースには違いはあるものの、両者ともに実に不可解で妙な失踪ということでは共通点がある。ま、そんな余談はいいとして、若人の「失踪」は当時、芸能ネタと言う以上に一般紙まで追いかけるほどの話題となった。
しかも、若人は、失踪から3日後に発見されたのだが、その発見場所が何と熱海港防潮堤ではなく、遠く離れた神奈川県小田原市内に倒れていたのだ。これが、また当時は「失踪ミステリー」となって話題になった。
いずれにしても、若人が発見されたと聞かされた時、夫人は安堵感からか涙を浮かべながら「生きて会えて本当に嬉しい。ただ、(海を捜索してくれた)ダイバーの方々や一生懸命に捜してくれた人たちのことを考えると、複雑な心境です。でも、まるで奇跡のようです」と語ったという。
若人は、失踪から3日後の91年3月6日午後3時15分頃、神奈川県小田原市の路上で呆然としているところを発見され、市内の小林病院に搬送された。
検査の結果、頭部打撲による意識喪失と全身打撲と診断された。若人は、周囲に
「波にさらわれた後のことは覚えていない」
「拉致されていた」
などと意味不明なことを喋っていたという。このため、静岡県警熱海署は真相究明に乗り出した。
「若人さんは、小田原城の雑木林に抜けるひと気のない路上にうつ伏せに倒れていたそうです。たまたま通りかかった専門学生が発見して、近くの青少年会館に通報したんです。すぐに職員3〜4人が現場に駆けつけた。その時には、若人さんはしゃがんだ状態だったそうです。すぐに行方不明の若人さんだと判ったといいます」(当時、現場を取材した芸能記者)。
海に転落したと思われ絶望視されていたのが一転して生きていた若人。「記憶喪失」で真相はハッキリしないが、若人が運ばれた小林病院には、捜査にあたってきた熱海署、そして発見現場の所轄である神奈川県警小田原署の捜査員が派遣された。
若人を救出した青少年会館の職員・杉山孝さんは、その時の様子を次のように語っていた。
「私を見てブルブル震えてね。『若人さんかい?』と聞いたら『若人あきらです』と言う。彼が胸の内のポケットから名刺を出す瞬間、釣りに使う携帯ライトが見えたんで確信した。それで、彼の方から『目隠しされて、拉致されて車で運ばれてきた』と言ったんです。そして『海に落ちた。その後、2日間の記憶はない。女房と息子のことを考えると頭が痛い』ってね。服装は防寒着に防寒シューズで釣り人の格好だった」。
いきなり物騒なことを言われ、杉山さんは戸惑ったとも。しかし、若人の話には疑問も持った。
「彼が出した名刺がきちんとしていて、キレイだった。海に落ちた後のものとは思えなかった。また、記憶がないと言っているが、何で『2日間の記憶が…』と明快に言えたのか…」。
警察の事情聴取には
「気づいたらここにいた」
「自分が誰だか分からない」
「足が滑って海に落ちたことだけは覚えている」
「車に乗って途中で降ろされた」
などと、失踪中の足取りについてはハッキリしない様子で話していたという。
(つづく)

謎の失踪…ワイドショーの事件レポーターの奥山英志さん。失踪と言えば思い出す丁度20年前の若人あきら事件…(上)

・・・R・Q.jpgワイドショーの事件レポーターとして知られていた奥山英志さんが姿を消したということで話題になっている。
それにしても、姿を消したのが3月11日の東日本大震災以降だという。何だかんだと半年前の話。要するに、奥山さんはもう半年間もの間、消息を絶っているっていうんだから、これは穏やかじゃない。「東日本大震災以降」と言って、奥山さんの失踪が大震災と関係があるのかどうなのかは分からない。たまたま、姿を消したタイミングが合っただけかもしれないが、それにしても、どこに消えたのか?単に個人的な理由で姿をくらまし、どこかでヒッソリと暮らしているのか?それとも富士山麓の樹海で彷徨っているのか?
しかし、JR北海道の中島尚俊社長みたいに、遺書を残して失踪するなら分かるが、奥山さんの場合は何も残していない。そういった意味から考えたら、借金とか何かのトラブルに巻き込まれたため「ドサクサまぎれに逃亡した」とも言えなくもない。いずれにしても謎である。
ところで、「失踪」と聞いて、「そういえば…」と思い出したのは丁度20年前に起こった若人あきら(現・我修院達也)の失踪だった。しかも、若人が失踪したのも記憶が正しければ3月のことだ。奥山さんの失踪と全く同じ時期なのだ。これは単なる偶然か? あるいは奥山さんの失踪にも結びつくことがあるかもしれない…なんて思い、若人さんの失踪を改めて振り返ってみた。
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 若人の経歴については、後で説明するが、簡単に言うと郷ひろみのモノマネなどで知られた声帯模写タレントである。若人が失踪したのは91年3月3日のことだった。が、この事件は当時、芸能マスコミばかりか一般紙なんかも大きく扱うなど、大きな話題となったことでも知られる。
奥山さんは、自宅マンションから・忽然と姿を消したが、若人の場合は、もっと分かりやすく静岡県熱海市和田浜南町の熱海港防潮堤付近で釣りをしていて行方不明になった。「若人がいない」。3日の午後5時40分頃、家族から熱海署に届けがあった。熱海署は急きょ、周辺を捜索したが若人の姿は見つからず、大騒ぎとなったのだ。とにかく実にミステリーな事件だったことを覚えている。
事件を振り返ると若人は、家族や知人ら6人のグループで熱海に来た。観光が目的で、若人1人だけが午後3時頃から釣りを始めた。ところが、午後5時頃に家族が迎えに行ったところ、若人の姿はなく、消波ブロックの近くに若人の釣り竿と帽子、カバン、バケツ、さらに釣り竿のケースが残されていた。このため、熱海署は「波にさらわれた可能性が高い」と見て、警察と消防署との合同捜索を行った。
熱海署は、行方不明になった3日の深夜まで付近の捜索をしたが、全く手がかりはなかった。このことから一旦、捜索を打ち切り4日早朝、日の出とともにヘリコプターやダイバーなどを動員しての再び捜索を開始した。しかし、若人の行方を掴むことは出来なかった。
熱海署の捜査員は、若人が釣りをしていた場所は「立ち入り禁止区域だった」と指摘。その上で「あそこはテトラポットがいっぱい重なっている場所で、そこに上って釣りをしていたとなったら非常に危ない。海中に落ちたら波は荒いし、海水も冷たい」。
さらに「もし、足を滑らせて海中に落ちて、テトラポットの下にでも潜り込んでしまったら、出るに出られなくなる。そうなったら捜索も大変になる」と絶望視した。
若人の行方不明というか行方不明の情報は当時、芸能界を駆け巡り、4日の未明には東京から各テレビ局のワイドショーの取材陣も現場に駆けつけ騒然となった。しかし、海は暗闇に包まれ何も見えない。テトラホットに打ち付ける波の音しか聞こえなかった。
ただ、当時の事故現場(熱海市の網代付近)の気象について静岡地方気象台は、日中は風、波ともに強くなかったという。しかし、夕方には熱海港の波は高く、風もかなり強くなっていたとしていた。
ところで、若人とは誰か?手っ取り早く説明しておくと、本名は菅野朗雄。1944年(昭和19年)12月、東京に生まれた。小学校3年の時に児童劇団の「劇団ひまわり」に入団・所属した。子役として映画やテレビなどに出演した。中学3年の時、映画「私は貝になりたい」(59年)では、今は亡きフランキー堺の息子役にも抜擢されている。
60年、16歳の時に高校を中退し、歌手の修行を始め、62年に桜一平として演歌デビューした。その後、名前を若人あきらに変えた。1本につながった太い眉毛が特徴で、フジテレビ「オレたちひょうきん族」に出演して一世を風靡した(そういえば、奥山さんもフジテレビのワイドショーで活躍した…)。
「歌手時代は、メジャーではデビュー出来なかったが、本人は歌手に執着し、結果的に自主制作盤として7枚のシングルを出したんです。もちろん売れませんでした。おそらく借金を相当つくったんじゃないでしょうか。売れない時代はキャバレーのホストなんかをして生計を立てていたようですからね。とにかく、仕事に対しては真面目なところがあった。歌手を諦め声帯模写を始めてから一気に道が開けましたね。郷ひろみのモノマネは75年頃から始めたんです。声帯模写で成功した後は、再び作曲とかディナーショーをやっていましたから、失敗しても歌手は諦められなかったんでしょうね」(当時を知る長老の芸能関係者)。
若人には、妻と息子がいた。しかし、若人の所属事務所は、若人が釣りに行って行方不明になったことに「彼が釣りをするなんて初めて聞きました。泳ぎだって得意ではないですからね。4月からレギュラー番組決まったので、本人も喜んでいたんですけど、心配です」と衝撃を受けていた。
行方がわからなくになった若人は4日の捜索でも発見できなかった。また、事件を心配したタレントの原一平や鮎川のぼるも東京から駆けつけ、家族を励ました。
「我々が着いたときは、奥さんは布団を敷いて寝ていた。ショックで倒れたそうです。彼は釣りを始めてまだ4〜5ヶ月でした。竿を買って、今が楽しい時だったかもしれません。奥さんは、彼が1人で釣りに行くといった時、『危ないから、やめなさい』と引き止めていたそうです」。
また、義父も現場に駆けつけ「泳ぎは子供の頃から苦手だった。どうせなら蒸発してくれたらいいのにと思っています」。
と、何故か多くの人が「蒸発願望」だった。
若人の捜索は懸命に行われた。
「4日の捜索は警察や消防署に加え、海上保安庁のヘリコプターも出動した。
ダイバーは若人が転落したと見られる消波ブロック群を中心に、すみずみまで探索した。海中も15も潜ったというが何の手がかりもなかった。若人が釣りをしている時、若人と言葉を交わしたという一般釣り人も名乗り出て、捜索の協力していましたが、発見まで長期化しそうな雲行きでしたね」(関係者)。
ところが、失踪から3日目の6日、若人は神奈川県小田原市内に倒れているところを発見され、同市内の病院に収容されたのだった――。
(つづく)

68歳のミック・ジャガー新たな挑戦!! ディヴ・スチュワートらとロック・グループ“スーパーへヴィ”結成!! 反応次第で来日も!?

英ロック歌手のミック・ジャガー(68)が、元ユーリズミックスのメンバーで現在、音楽プロデューサーとして活躍するディヴ・スチュワート(59)らと新ロック・バンドスーパーへヴィを結成し、9月21日にアルバム「SuperHeavy」を緊急発売するということでインタビュー取材に応じた。場所は英ロンドン。しかも、あの痛ましい米中枢同時テロから10年目。東日本大震災から丁度6ヶ月目にあたる日にインタビューとは…。
それにしてもインタビューには、ミックだけではなあくディヴまでが同席すると言うから緊張するばかりだった。因みに、インタビューは、世界各国から取材チームが来ていた。日本はフランスのテレビ局に続いて。もっともインタビューはフランスの15分に対して日本は40分。この差は、日本がテレビと紙媒体だったからだそうだが、それでも40分間のインタビューはアッと言う間だった。
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インタビューは、ロシアのお騒がせデュオ“tATu”の取材の際、ロシアに行った洋楽ライターの内本さんと一緒だったが、ミックのオーラには内本さんも圧倒されていたようだ。
ところでスーパーへヴィは、ミックと80年代のUKポップ・シーンを一世風靡したユーリズミックスの元メンバー、ディヴが中心となって結成された。メンバーはインド映画音楽界の巨匠と言われ、映画「スラム・ドッグ・ミリオネア」ではオスカーを受賞したA.R.ラフマーン(45)や故ボブ・マーリーの七男でグラミー賞を3回受賞したレゲエDJのダミアン・マリー(33)、そして、英R&Bの女性シンガーとして注目を集めているジョス・ストーン(24)の5人。ミックにとっては、音楽活動50年のキャリアの中で、ローリング・ストーンズ以外のバンドを結成したのは初めてのことだが、68歳にもなるミックが、今もなお新しい音楽に挑戦し続けようとしている姿には驚かされるばかりだ。
「音の理想郷とでも言うのか、これまでにない音楽の世界を語り合っていく中で始まった」とミック。しかし「一緒にやろうぜ!と、スタジオに入ったが、グループとして本格的にスタートするまでに1年かかった」とディヴは苦笑いしていた。
「とにかく、世界一複雑なレコーディングだったな。確かに、音楽において理想を語ればキリがないけど、こんなバンドが実現するとは夢にも思わなかったよ」とミックは満足げに語っていた。
メンバーが各国で活動する大物だけにレコーディングも至難の業だったようだ。「みんなバラバラで、本当に上手くいくのか不安だったね。とにかく、レコーディング中に逃げ出さないようにって、ディヴのアイデアで、メンバー全員が1つの船に乗り込み地中海でレコーディングしたよ(笑)『ビューティフル・ピープル』と言う曲は、大揺れする船の中でのレコーディングになった」なんていうエピソードも吐露した。
アルバム「SuperHeavy」は、9月21日に発売される。
完成した日本のCDを見たミックは「素晴らしい。でも、もしかしたらCDを見るのなんて今回が最後になるかのしれないね」と、デジタル配信時代の音楽業界を皮肉って見せた。その上で「音の理想郷が完成して満足しているよ。音楽業界にとっても革命的なアルバムになるはず」と仕上がりに満足顔だった。
ところで、気になるのは来日があるのか、あるいはないのか?ミックに聞いてみると「予定はないけど、アルバムの評判がよければ当然、行くことになるだろうね」と、うまく交わされた。すると隣のディヴが「だったらミックや他のメンバーのボーカルや音をコンピュータに入れて俺1人で行ってもしい」と、ジョークを飛ばすと、ミックは「その時は、観客として日本に行くよ」。

ところで、9月11日といえば日本では東日本大震災から丁度半年である。ここは震災についてミックに聞きたい。
ミックは言葉を選びながら「震災のニュースを聞いた時は、正直言いてどう感じていいのか分からなかった」とした上で「当然、生活している場所が違うので、被災された方々の痛みや気持ちを僕たちがどれだけ受け取ることが出来るのか分からない。ただ、心は痛むし世界は同情の気持ちで一杯だと思う」と語った。
しかし一方で、日本の現状について「今は、地震や津波での被害だけではなく、原発問題とその対処の仕方への問題がある。この3つの要素が問題をより複雑にしているのではないか」と言い、原発問題に関しては暗に日本の政府や東電の対処の仕方を批判。「とにかく人々を理解させることが重要だろう」とした。

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【スーパーへヴィ】
ミック・ジャガーがジャマイカにあるティヴ・スチュワートの家に招かれ、音の世界について語り合ったことから始まったという。そこで、あらゆるジャンルの音楽を背景とした未知の世界、話は進み、その音楽を実現させるために各ジャンルの代表となる格のある本格的なアーティストを集めようと言うことになったそうだ。
まず声をかけたのはジョス・ストーンだった。ミックとディヴは彼女と04年に映画「アルフィー」のサウンドトラックで共演していていたことから「まず一番最初に思いついた」と言う。
次に声をかけたのはダミアン・マーリー。以前からジャマイカ文化の虜だったというミックとディヴ。いくつものレゲエ・トラックを聴きまくった末、ミックが「ファンの1人だった」というダミアンに白羽の矢が立ったそうだ。
最後に参加したのがA.R.ラフマーンだった。最近では「スラムドッグ$ミリオネア」でオスカーを受賞し脚光を浴びたインド映画音楽界の巨匠。その功績がキッカケとなり、ロサンゼルスでミックとディヴと接点を持った。
日本でA.R.ラフマーンは、「ムトゥ〜踊るマハラジャ」の大ヒットでお馴染み。「ラフマーンの圧倒的なスケール感が包み込み、これまでにないアルバムに仕上がった」とミックは言う。
なお、グループ名とアルバム・タイトルのスーパーへヴィは、ダミアン・マーリーの口癖だったフレーズ「スーパーへヴィ」(「モハメド・アリ並みのヘビィ級な一発」の表現)だという。

テレ朝「サンデー・フロントライン」終了で小宮悦子が御役御免!! 後釜に古館プロの長野智子!?

“悦ちゃん”こと小宮悦子の後釜は長野智子!?
小宮が司会を務めるテレビ朝日系「サンデー・フロントライン」が9月いっぱいで終了し、後番組には、やはりフリーキャスターの長野智子を起用した新しい報道情報番組がスタートすると言う。
それにしても、これも“若返り”って言っちゃ若返りかもしれないが、やはり、裏街道で囁かれたAPF通信社代表の山路徹との“不倫騒動”もビミョーに影響していたりなんかして…。いずれにしても、小宮にとっては唯一のレギュラー番組だっただけに、番組がなくなるのは痛手であることは間違いない。
しかし、キャスターとして、それなりにプライドのある小宮である。番組がなくなることより、「何で、あの子が…?」なんて、自分の後釜が長野智子っていうのも納得できないかもしれない。
しかし、今回、小宮の降板というのは、何もギャラが高いと言うことの理由でもなさそうで、単に「御役御免」と言った感じのよう。言い方を変えれば「リストラ」ってところだろうか?ま、政界も徐々にだが若返っている。古狸――ジジ転がしだけの悦ちゃんは、もはや御用済みって話だろう。だいたい、局内から「反対」の声もなかったというのも寂しい限り。これも時代の流れか?
もちろん、後釜の長野智子だって「選ばれた」ってことでもない。
「『サンデー・フロントライン』の後番組に誰を起用するのか、局内でも問題になったようですね。一時は、田原総一朗や鳥越俊太郎の再登板なんて声も上がったといいます。しかし、田原も鳥越も『それはないだろう…』と言うことになった。要は、このテの番組は人材難なんですよ。結局、悩んだ挙句、消去法で長野智子になったようですね」(業界通)。
もっとも、長野と言えば、所属事務所は古舘伊知郎の「古館プロジェクト」。その古館が「情報ステーション」のキャスターを務めていることも大きい。それに、長野は、フジテレビのアナウンサーを辞めた後、00年に鳥越と共に「ザ・スクープ」を担当して以来、テレビ朝日の専属アナのようになっている。現在は、「サンデー・フロントライン」の後に放送中の「サンデースクランブル」の司会を務めている他、毎月一度の「激論!朝まで生テレビ」でも司会を担当している。
10月からは、長野は「サタデースクランブル」を降板し、下平さやかアナにバトンタッチする。
長野は、上智大学に在学中だった82年に文化放送の深夜番組「ミスDJリクエストパレード」に抜擢され、川島なお美や向井亜紀、斎藤慶子、松本伊代、飯島真理、千倉真理なんかと並んで人気になった。85年にフジテレビに入局、90年に結婚を機に同局を退社した。来年50歳を迎える。

全国28公演国内ツアーを前に…。世界で最も有名なロック・グループ、ディルアングレイ8年ぶり写真集!!

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日本では余り報じられていないが、今や世界で最も有名な日本のロックバンドといったらディルアングレイかもしれない。かつては、XのメンバーだったベイシストのTAIJIなんかも参加していたラウドネスがビルボードで100位以内に入るなどで評判となったことがあったが…。
そのディルアングレイだが、8月3日にはアルバム「DUM SPIRO SPERO」を全世界21ヶ国で同時発売した。日本で発売された初回盤はCD2枚、アナログLP2枚、DVD1枚という特製のボックスセット(1万2600円)だったが、何とオリコン・デイリーチャートでは初日に2位にランクされ、週間では4位にランクされた。セールス的には初回分の4万セットは完売したという。
そのディルアングレイだが、結成は97年。今年、結成15周年を迎えた。インディーズ時代から東京・日本武道館を中心にしたライブを続け、99年にワーナーミュージック・ジャパンからメジャー・デビューした(現在はソニー・ミュージックダイレクトが販売)。02年には香港、ソウル、上海、台北でアジア・ライブを繰り広げ、その後、活動の幅をヨーロッパに広げ、日本ブームに沸く?ヨーロッパ各国で爆発的人気となった。06年には米国にも進出したが、全米の音楽誌「ビルボード」では「異色の日本人ロック・グループ」として大特集されていた。
因みに、2年前には英国のロック誌で、世界で最も売れているというメタル系専門誌「KERRANG!」の表紙に日本人アーティストとしては初めて登場し大きな話題になったことがあった。同誌のパウル編集長は「世界のロックファンに大いなる影響を与える可能性を秘めている」と起用の理由を述べている。
今回、アルバム発売直後の8月6日(日本時間7日)には、ドイツのヴァッケンで開かれたロック・フェス「ヴァッケン・オープン・エアー」に出演、エキサイティングなライブ・パフォーマンスで世界のロック・ファンを釘付けにしている。さらに、同フェスへの出演に後には、ロシアを含むヨーロッパ各国9ヶ国で全11回の欧州ツアーを敢行、来週9月15日からは神奈川・川崎のクラブチッタを皮切りに11月8、9日の東京・有明のスタジオコートまで全国28本の大規模国内サーキットライブ・ツアーも予定している。

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110905_123158.jpgで、8月3日のアルバム発売と来週15日からスタートする国内ツアーのタイミングに合わせたかのように9月5日に発売されたのがライブ・ドキュメント・フォトブック「DIR EN GREY THE UNWAVERING FACT OF TOMORROW TOUR 2010-2011」と題された写真集【写真】。ディルアングレイにとっては03年に発売された「我」以来、約8年ぶりの本格的な写真集だそうで、アーティストものとしては初めてTBS傘下の「TBSサービス」が手掛けている。
内容は、160ページで、昨年6月から今年1月まで繰り広げられてきたライブ・ツアーを追ったもので「ヨーロッパ各国やロシアで行われたライブの模様も収められるなど、ファン必携の1冊に仕上がっている」とTBSサービス。
【全国主要書店の他、タワーレコード、HMVなどでも発売中。税込価格4200円】

日ハムに対抗!? 「日本に元気を…」英国のセクシー・カルテッド“ボンド”が復興支援で7年ぶりアルバム発売!!

北海道日本ハムファイターズのチャリティーCDになんかに負けてはいられない!?映画「007」シリーズに登場したセクシー・ヒロイン”ボンドガールズ”も顔負けの英国の4人組セクシー女性ストリングス・カルテット”ボンド”が、何と、東日本大震災の被災地を支援するために7年ぶりのアルバムを発売し、来日することになった。奇しくもボンドは今年が日本デビュー10周年。「これは宿命。日本を元気にするために立ちあがりました」とメンバー。そのアルバム「プレイ・フォー・スマイル」は9月21日に発売、翌週の9月26日に来日すると言う。
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“ボンド”は、ダンスとロックの要素を盛り込んだ斬新なサウンドとパフォーマンスは世界中から注目を集めた。デビュー・アルバム「ボーン」(日本では01年発売)は、日本も含め全世界28ヶ国で「ゴールド・ディスク」に認定された。
「見た目は、お色気満点で悩殺してきたが、サウンドは癒し系。そのアンバランスさに人気が集まった」と音楽関係者は言う。
日本でも宮沢りえが出演したキリンビバレッジのジャスミン茶「黄金比」やトヨタ「イスト」などのCM曲を始め、カラオケ最大手の第一興商のCMでは目3ン場―自ら登場し評判になった。
その”ボンド”も、04年にアルバム「クラシファイド」を発売してからはツアー中心の活動に転向してきた。「アルバム発売のタイミングが合わなかった」というのが、その理由。
結成メンバーは第1バイオリンがヘイリー・エッカー、第2バイオリンがエイオス、ビオラがタニア・ティヴィス、そしてチェロがゲイー=イー・ウェスターホフからなる4人組だった。しかし、3年前にヘイリーが電撃結婚。お腹が大きくなったことからメンバーから脱退。現在は香港に移住して暮らしているらしいが、去る者は追わず…と言うわけで第1バイオリンを失った”ボンド”は活動が中断されたが、昨年、新たに英国王立音楽院の出身でロンドン交響楽団とも共演したことにあるバイオリニストのエルスペスが加わったことから再び活動を再開した。
そういった時に起こったが東日本大震災だった。”ボンド”としては05年以降、来日していなかったが、日本にはファンも多いことから、メンバーの間から「私たちに何かできないか」と提案が出され、「だったら…」と、今回のアルバム発売が決まったというわけ。
「日本を訪れ、そして日本の人達が笑顔を取り戻せるようにしたい。といかく、少しでも日本の人のために役立てられたら…って思っています」と新メンバーのエルスペスは早くもリーダーになった気分。
そういったメンバーの思いからアルバム。タイトルは「プレイ・フォー・スマイル」に決まった。「日本が本当に大変なことを経験した後に日本を訪れようとしているところにインスピレーションを受けたの」と言う。しかもアルバムには、日本で最も受けている音楽と言うこともあってか、「ボーン・ディス・ウェイ」「ポーカー・フェイス」「バッド・ロマンス」「ジューダス」などレディー・ガガのヒットメドレーも急きょ収録している。
「日本のファンの心を少しでも癒すことが出来たら嬉しい」と言う。
また、アルバム発売直後の26日には来日も予定している。新メンバーとしては初の来日となるが、”ボンド”としても05年以来、実に6年ぶりの来日となる。「日本に行くのが待ち遠しい」とエイオスは目を輝かせていた。

ダルが…、佑ちゃんが…。日ハム1軍総勢27人が松山千春の名曲「大空と大地の中で」を熱唱しチャリティーCD発売!!

※斉藤佑樹投手※
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※ダルビッシュ投手と武田久投手※
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※中田翔内野手※
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※稲葉篤紀外野手※
・・・n・・・@・・・t.jpg斉藤佑樹投手が…、ダルビッシュ投手が…、中田翔内野手が…。北海道日本ハムファイターズの1軍主力選手総勢27人が、東日本大震災の被災地復興を支援して「大空と大地の中で」のチャリティーCDをレコーディングした。「大空と大地の中で」は、フォークシンガー松山千春のスタンダードナンバー。北海道と言ったら千春。その北海道・札幌をホームグランドにする日ハムならではの企画と選曲である。
CDは、「大空と大地の中で」を、各選手がパートごとにリレーして歌い繋いでいく。いわば、日ハムの選手総勢27人による「ウイ・アー・ザ・ワールド」のようなもの。もちろん、ダルにとっても佑ちゃんにとっても、中田にとっても初レコーディングだが実は、この企画、選手だけのレコーディングではない。今後、札幌ドームでファンによる「大空と大地の中で」の大合唱も”ライブ・レコーディング”も予定しており、最終的には球界でも例のない”異色の企画CD”を完成させ、被災地の支援に役立てることになっている。

※北海道が生んだ松山千春※
holiday-IMG_0910.jpg「大空と大地の中で」は、北海道で生まれ育った千春を最も象徴する作品。77年6月に発売されたファーストアルバム「君のために作った歌」に収められている。当時、シングルではリリースされなかったが、今や時代を超えたスタンダード曲として歌い継がれている。
日本ハムは「私たちが日本のために何が出来るのか…。一同が、北海道を象徴・代表する松山千春さんの『大空と大地の中で』を歌い、チャリティーCDとして販売するというのは、これまでにないファンと選手による共同企画。北海道道民の心を被災地へ義援金という形で届けたい」と言う。
♪吹きすさぶ 北風に…
初レコーディングに斉藤佑樹投手は「初めての経験で、今回の企画の趣旨を考えると、とても緊張した。歌うパートは長くはなかったが、北海道の情景を思い浮かべながら一生懸命に歌った」と語っていた。
また、今回は選手だけではなく、ファンによる大合唱もレコーディングする。9月23、24、25日に札幌ドームで開催される「オリックス3連戦」の試合後、球場に詰めかけたファンの大合唱を収録するという。「3日間全てを収録し、各日の音声を編集してCD化したい」と関係者。また、球場での大合唱の模様もビデオ収録されDVD化することも計画している。因みに、選手のレコーディングの模様を収録したメーキング映像DVDはCDの特典として付けられることになっている。

販売されるCDは、1曲目を選手バージョン、カップリング曲をファンと選手とのバージョンとしている。価格は税込み1500円で限定販売を予定している。
販売予約は9月1日から16日まで球団ホームページ内(http://www.fighters.co.jp)で行い、CDは10月13日から16日まで札幌ドームで受け取るか、発送も受け付ける。店頭販売は10月14日から16日までの期間、札幌ドームで行い、オフシャルショップ等では10月17日以降となる。