“不倫”から“事実婚”に…事務所の説得を無視して出産した萬田 久子。佐々木力さんはアパレル界のプレイボー イだった!?

 元ミス・ユニバース日本代表から芸能界デビューした女優・萬田久子(当時29歳)が米ニューヨークで“不倫出産”したニュースは当時、芸能界の話題を独占する事件となった。
 萬田の不倫相手は、アパレル会社「ワールド」の香港支社長だった佐々木力氏(当時38歳)。2人は87年1月にハワイ旅行。その翌2月に、萬田の仕事先である札幌を佐々木氏が訪れ、2人仲良く手と手を取り合って羽田空港に帰ってきたところを写真週刊誌にキャッチされたことから、その関係が話題になっていた。しかも、佐々木氏には妻子がいた。
ところが、その後、萬田は契約していたCMや仕事を全てキャンセル、理由も告げずにニューヨークに単身で渡米してしまった。87年6月のことだった。すると、今度は、大きなお腹でニューヨークを歩く姿が写真週刊誌に激写、何と妊娠していたことが発覚した。
「いずれは、ハッキリすることです。今は何とも言えません。とにかく彼女としては重大な決意の上の行動でしょうから…」。
萬田の所属事務所であるアクターズ・プロの阿知波伸介副社長(当時)は、にわかにかしましい“未婚の母”騒動に当惑を隠せなかった。
渡米する際は「ほんの10日間程度の旅行」と言っていったが、実は、出産のための渡米だったことが分かって、芸能界はハチの巣をつついたような大騒動となった。
長男の陸ちゃんは87年10月11日、無事生まれた。
「佐々木氏は、夫人とは離婚係争中だと言って交際を重ねていたようです。ただ、萬田の佐々木氏に対してののめり込みようはハンパなものじゃなかった。とにかく情熱的で激しかった。佐々木氏も萬田のペースに呑み込まれていったようですね」(某芸能評論家)。
萬田は、陸ちゃんを出産して4ヵ月が経とうという88年2月1日に一時帰国、東京・新宿の京王プラザホテルで会見を行った。しかし、長男の認知問題など核心部分は「答えたくない」の一点張りだった。
「実は、佐々木氏は87年3月から夫人と離婚交渉を続けていたんです。しかし、萬田の妊娠が分かり、雲行きが変わった。結局、夫人は離婚に応じなかった。しかも夫人との話し合いは『萬田の子供を認知しない』と言うことで、元のサヤに納まってしまったんです」(芸能記者)。
認知した場合、財産分与まで関わってくるだけに、夫人も「大人の判断」をしたのだろうか?
「もともと佐々木氏の奥さんは資産家の娘さんでしたからね。佐々木氏もいろいろな面で離婚することを思いとどまったのでしょう」(佐々木氏の知人)
 ただ、その一方で「佐々木氏には、萬田以外にも愛人が2人いる」といった新事実まで飛び出してきた。
一部のマスコミでは当時、佐々木氏の周辺を追跡取材した結果として「次々に新事実が出てきた」と報じた。このことからも萬田が苦しい立場に置かれていることが明らかになった。

因みに、佐々木氏は、佐藤雄平・福島県知事と同じ神奈川大学を卒業後、アパレル産業に身を投じて成功を収めた。香港に進出し、自ら会社を設立し、若くして実業家になった。しかし、大手アパレル会社「ワールド」に吸収合併された。
「彼の手腕は高く評価されていました。頭もキレるし金もある。典型的にモテる男のパターン。しかし、香港に妻子がありながら、萬田に子供を産ませるぐらいだから、女性関係は派手」(芸能記者)。
また、同じアパレル業界で仕事をする佐々木氏の友人は
「佐々木氏は噂になっているだけでも、2人の愛人がいます。1人はデザイナーで、もう1人はハウスマヌカン。仕事柄、海外出張が多いから、ひょっとして現地妻が行く先々にいる可能性もありますね」。
アパレル業界の中でも佐々木氏はプレイボーイで有名だったようだ。
 だが、萬田の“不倫出産”には、所属事務所のアクターズ・プロの阿知波信介副社長も反対していた。萬田が、妊娠していることを報告すると、即座に「おろした方がいい」と、萬田を説得したという。しかし、萬田は、阿知波副社長の説得を聞かなかった。
 「米ニューヨーク行きは、萬田が一方的に休養を宣言して単身で渡米した。しかも、この時点でも、佐々木氏は『離婚の話し合いを進めている』と萬田に言っていた。萬田は、将来の結婚を夢見ていたはずです。しかし、佐々木氏の一方的な都合で結婚は立ち消えになってしまった。子供まで生んで“その日”を待ち続けていたというのが真相のようです。帰国してからの会見では気丈なところを見せていましたが、萬田にとっては『そんなはずでは…』という思いもあったはず」(芸能記者)。
 萬田は、テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」の人気シリーズ「京都殺人事件」の撮影が終了すると再び渡米した。しかし、88年3月28日に陸ちゃんを連れて帰国。女性月刊誌「with」で佐々木氏との「交際続行宣言」をした。
 その中で、一部から「慰謝料2億円で別れた」とも報道されたことに関して「お金で解決するような人との間の子供なら生まなかった」と断言した。萬田にとって、陸ちゃんを連れての帰国は、マスコミの騒乱も覚悟した決意の帰国だったのかもしれない。
 佐々木氏は94年に夫人と離婚した。萬田は、佐々木氏の所有する東京・目黒区内の豪邸で同居してきた。120坪はある大豪邸で、高級住宅街の中でも一際目立つ。当時「2億円の大豪邸」と言われて話題になった。「豪邸内では頻繁にホームパーティーが開かれている」と言われ、優雅な生活を送ってきた。
 05年、佐々木氏が経営する「リンク・セオリー・ホールディングス」が東証マザーズに上場した。萬田は、同社の株式を所有している。初値は84万8000円だった。萬田の所有株は時価10億円にもなったという。
陸ちゃんを出産し、帰国した時の会見で記者から「将来、陸ちゃんに父親のことをどう説明するのか」と質問され、萬田は「別に隠すこともしません。22歳になったら、本人に日本籍、米国籍を選ばそうと思っています」とキリッと語っていたが…。
その陸ちゃんも、今年24歳を迎える。立派な青年になった。ニューヨーク生まれの宇多田ヒカルや2歳の頃からカリフォルニア育ちの喜多嶋舞など、日本でも活躍するタレントも増えている。当時の萬田の選択は間違っていなかった!?

元ミス・ユニバース日本代表だった萬田久子とアパレル会社社長の佐々木力さんの不倫。米NYで男児“極秘出産”していた…

“事実婚”だった女優の萬田久子。その夫だったのがアパレル会社「リンク・セオリー・ホールディングス」社長兼最高経営責任者(CEO)の佐々木力(ちから)さん(享年60歳)だった。佐々木さんは、8月9日にスキルス性胃がんのため亡くなり、15日には葬儀・告別式が東京・青山葬儀所で営まれた。
葬儀には芸能やスポーツ関係者など2500人近くが参列したというが、思えば、萬田は、”事実婚”であっても佐々木さんを、あまり公にしてこなかった。しかし、佐々木さんとの関係は「元ミス・ユニバース日本代表が米国で出産した」とか「所属事務所副社長の説得を無視して男児を”不倫出産”した」とか、芸能界で大いに話題になった。
と言うわけで、せっかくだから当時を振り返ってみた。
あれは87年10月11日のことだった。萬田久子(当時29歳)は、米ニューヨークで男児を極秘で出産。その後、ニューヨークで、不倫相手だった佐々木力さん(当時38歳)の所有するアパートに滞在し、ひっそりと子育てをしていたことが発覚した。
「当時、日本を極秘に離れ、米国で子供を出産したケースというは沢田亜矢子があったが、東京ではマスコミの目もあるし、不倫出産となったら、大騒ぎになる。そう考えただけでも気が遠くなる。加賀まりこなんかは死産してしまった」(芸能関係者)。
長男は、大陸のように大らかな子に育つようにと、萬田が母心を込めて”RIKU(陸)”と名づけた。出産後は、沈黙を守り続けた。
萬田は1958年、大阪市生まれ。78年に帝塚山学院短大に在学中「ミス・ユニバース」に出場し日本代表に選出された。デビューは80年のNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」。
最も話題になったのは81年の初主演映画「夏の別れ」。萬田は前張りなしのベッドシーンにチャレンジした。女優として活動する一方で、投資家としての顔も持ち、有名新興企業の大株主に名を連ねることも多い。現在は2時間ドラマに引っ張りだこである。
「ミス・ユニバース」の日本代表になるほどの美人だった彼女は、私生活も派手だった。カメラマンの真下伸友氏との半同棲から、俳優の国広富之、舘ひろし、作曲家の都倉俊一などと浮名を流した。「惚れっぽ、気が多い」というのが彼女の評判だった。
その彼女が86年にアパレル会社「ワールド」香港支社長だった佐々木力氏と不倫の交際を始めた。別れるに別れられず、87年10月に未婚のままニューヨークで長男の陸ちゃんを生んだ。
長男が誕生してから、萬田はニューヨークのアパートで隠遁生活を送っていたが、88年1月末に帰国した。当時、テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」の人気シリーズだった「京都殺人案内」の収録のための帰国だった。もっとも
「彼女は、ニューヨークでは母親、日本では女優という二束のワラジで頑張る気持ちだったようだ。日本に帰国中は、子供をベビーシッターに預け、撮影が終わったら再びニューヨークに戻って子育てをする気持ちだった。とにかく、子供を守るには他に方法はないと判断していたのでしょう。彼女は名前の”萬田”でも分るように、お金に関してはしっかりしていた。当時は日米間の為替レートを含め日本で働き、ニューヨークで暮らす生活は悪くはなかった。それに、ニューヨーク生まれの長男はグリーンカードも取得している」(芸能評論家)
萬田は帰国後、2月1日に東京・新宿の京王プラザホテルで記者会見を行った。胸元がVカットの黒のスーツ姿で会見に姿を見せた萬田は
「お忙しい中をどうも。お手柔らかにお願いします」。
やんわりと頭を下げた。
しかし、87年6月に突然、ニューヨークに行って以来、完全に沈黙を貫いてきただけに、報道陣も簡単に引くわけにはいかない。萬田の思惑通りにいくわけがなかった。
「父親は噂される香港在住の佐々木力さんか?」
「妊娠を知ったときはどう思ったのか?」
萬田に対して、報道陣から矢継ぎ早に質問が浴びせられた。容赦しない質問に、萬田は、終始「私事ですから…。勘弁してください」と繰り返すのが精一杯だった。
――今も、(佐々木氏とは)入籍していないんですか?
「はい」
――結婚ということにはならないんですか?
「結婚を望まない女性はいないでしょう。でも、これも私事ですから」
――不倫出産と言うことについては。
「いろんな思いはありましたが…。すぐには決心できませんでした。女性にとっては大きなことですから。それに、好んで、望んで未婚の母になったわけではありません!」
――今の生活はどうですか?
「とても順調です。幸せ。毎日毎日、楽しいです。
――今、佐々木氏に言いたいことは?
「(苦笑いしながら)言いたいことは、彼に直接言います」。
また、陸ちゃんを1人で育てられるかという質問には、キリッとした表情で「自信がなかったら生むことが出来ません。これからも誇りを持って生きていきます」。
だが当時、会見での発言とは裏腹に、壮絶な状況yがあった。何と、結婚はおろか、子供の認知も絶望的な状態だったのだ――。
(つづく)