Archive for 8月, 2011

“不倫”から“事実婚”に…事務所の説得を無視して出産した萬田 久子。佐々木力さんはアパレル界のプレイボー イだった!?

火曜日, 8月 16th, 2011

 元ミス・ユニバース日本代表から芸能界デビューした女優・萬田久子(当時29歳)が米ニューヨークで“不倫出産”したニュースは当時、芸能界の話題を独占する事件となった。
 萬田の不倫相手は、アパレル会社「ワールド」の香港支社長だった佐々木力氏(当時38歳)。2人は87年1月にハワイ旅行。その翌2月に、萬田の仕事先である札幌を佐々木氏が訪れ、2人仲良く手と手を取り合って羽田空港に帰ってきたところを写真週刊誌にキャッチされたことから、その関係が話題になっていた。しかも、佐々木氏には妻子がいた。
ところが、その後、萬田は契約していたCMや仕事を全てキャンセル、理由も告げずにニューヨークに単身で渡米してしまった。87年6月のことだった。すると、今度は、大きなお腹でニューヨークを歩く姿が写真週刊誌に激写、何と妊娠していたことが発覚した。
「いずれは、ハッキリすることです。今は何とも言えません。とにかく彼女としては重大な決意の上の行動でしょうから…」。
萬田の所属事務所であるアクターズ・プロの阿知波伸介副社長(当時)は、にわかにかしましい“未婚の母”騒動に当惑を隠せなかった。
渡米する際は「ほんの10日間程度の旅行」と言っていったが、実は、出産のための渡米だったことが分かって、芸能界はハチの巣をつついたような大騒動となった。
長男の陸ちゃんは87年10月11日、無事生まれた。
「佐々木氏は、夫人とは離婚係争中だと言って交際を重ねていたようです。ただ、萬田の佐々木氏に対してののめり込みようはハンパなものじゃなかった。とにかく情熱的で激しかった。佐々木氏も萬田のペースに呑み込まれていったようですね」(某芸能評論家)。
萬田は、陸ちゃんを出産して4ヵ月が経とうという88年2月1日に一時帰国、東京・新宿の京王プラザホテルで会見を行った。しかし、長男の認知問題など核心部分は「答えたくない」の一点張りだった。
「実は、佐々木氏は87年3月から夫人と離婚交渉を続けていたんです。しかし、萬田の妊娠が分かり、雲行きが変わった。結局、夫人は離婚に応じなかった。しかも夫人との話し合いは『萬田の子供を認知しない』と言うことで、元のサヤに納まってしまったんです」(芸能記者)。
認知した場合、財産分与まで関わってくるだけに、夫人も「大人の判断」をしたのだろうか?
「もともと佐々木氏の奥さんは資産家の娘さんでしたからね。佐々木氏もいろいろな面で離婚することを思いとどまったのでしょう」(佐々木氏の知人)
 ただ、その一方で「佐々木氏には、萬田以外にも愛人が2人いる」といった新事実まで飛び出してきた。
一部のマスコミでは当時、佐々木氏の周辺を追跡取材した結果として「次々に新事実が出てきた」と報じた。このことからも萬田が苦しい立場に置かれていることが明らかになった。

因みに、佐々木氏は、佐藤雄平・福島県知事と同じ神奈川大学を卒業後、アパレル産業に身を投じて成功を収めた。香港に進出し、自ら会社を設立し、若くして実業家になった。しかし、大手アパレル会社「ワールド」に吸収合併された。
「彼の手腕は高く評価されていました。頭もキレるし金もある。典型的にモテる男のパターン。しかし、香港に妻子がありながら、萬田に子供を産ませるぐらいだから、女性関係は派手」(芸能記者)。
また、同じアパレル業界で仕事をする佐々木氏の友人は
「佐々木氏は噂になっているだけでも、2人の愛人がいます。1人はデザイナーで、もう1人はハウスマヌカン。仕事柄、海外出張が多いから、ひょっとして現地妻が行く先々にいる可能性もありますね」。
アパレル業界の中でも佐々木氏はプレイボーイで有名だったようだ。
 だが、萬田の“不倫出産”には、所属事務所のアクターズ・プロの阿知波信介副社長も反対していた。萬田が、妊娠していることを報告すると、即座に「おろした方がいい」と、萬田を説得したという。しかし、萬田は、阿知波副社長の説得を聞かなかった。
 「米ニューヨーク行きは、萬田が一方的に休養を宣言して単身で渡米した。しかも、この時点でも、佐々木氏は『離婚の話し合いを進めている』と萬田に言っていた。萬田は、将来の結婚を夢見ていたはずです。しかし、佐々木氏の一方的な都合で結婚は立ち消えになってしまった。子供まで生んで“その日”を待ち続けていたというのが真相のようです。帰国してからの会見では気丈なところを見せていましたが、萬田にとっては『そんなはずでは…』という思いもあったはず」(芸能記者)。
 萬田は、テレビ朝日の「土曜ワイド劇場」の人気シリーズ「京都殺人事件」の撮影が終了すると再び渡米した。しかし、88年3月28日に陸ちゃんを連れて帰国。女性月刊誌「with」で佐々木氏との「交際続行宣言」をした。
 その中で、一部から「慰謝料2億円で別れた」とも報道されたことに関して「お金で解決するような人との間の子供なら生まなかった」と断言した。萬田にとって、陸ちゃんを連れての帰国は、マスコミの騒乱も覚悟した決意の帰国だったのかもしれない。
 佐々木氏は94年に夫人と離婚した。萬田は、佐々木氏の所有する東京・目黒区内の豪邸で同居してきた。120坪はある大豪邸で、高級住宅街の中でも一際目立つ。当時「2億円の大豪邸」と言われて話題になった。「豪邸内では頻繁にホームパーティーが開かれている」と言われ、優雅な生活を送ってきた。
 05年、佐々木氏が経営する「リンク・セオリー・ホールディングス」が東証マザーズに上場した。萬田は、同社の株式を所有している。初値は84万8000円だった。萬田の所有株は時価10億円にもなったという。
陸ちゃんを出産し、帰国した時の会見で記者から「将来、陸ちゃんに父親のことをどう説明するのか」と質問され、萬田は「別に隠すこともしません。22歳になったら、本人に日本籍、米国籍を選ばそうと思っています」とキリッと語っていたが…。
その陸ちゃんも、今年24歳を迎える。立派な青年になった。ニューヨーク生まれの宇多田ヒカルや2歳の頃からカリフォルニア育ちの喜多嶋舞など、日本でも活躍するタレントも増えている。当時の萬田の選択は間違っていなかった!?

元ミス・ユニバース日本代表だった萬田久子とアパレル会社社長の佐々木力さんの不倫。米NYで男児“極秘出産”していた…

火曜日, 8月 16th, 2011

“事実婚”だった女優の萬田久子。その夫だったのがアパレル会社「リンク・セオリー・ホールディングス」社長兼最高経営責任者(CEO)の佐々木力(ちから)さん(享年60歳)だった。佐々木さんは、8月9日にスキルス性胃がんのため亡くなり、15日には葬儀・告別式が東京・青山葬儀所で営まれた。
葬儀には芸能やスポーツ関係者など2500人近くが参列したというが、思えば、萬田は、”事実婚”であっても佐々木さんを、あまり公にしてこなかった。しかし、佐々木さんとの関係は「元ミス・ユニバース日本代表が米国で出産した」とか「所属事務所副社長の説得を無視して男児を”不倫出産”した」とか、芸能界で大いに話題になった。
と言うわけで、せっかくだから当時を振り返ってみた。
あれは87年10月11日のことだった。萬田久子(当時29歳)は、米ニューヨークで男児を極秘で出産。その後、ニューヨークで、不倫相手だった佐々木力さん(当時38歳)の所有するアパートに滞在し、ひっそりと子育てをしていたことが発覚した。
「当時、日本を極秘に離れ、米国で子供を出産したケースというは沢田亜矢子があったが、東京ではマスコミの目もあるし、不倫出産となったら、大騒ぎになる。そう考えただけでも気が遠くなる。加賀まりこなんかは死産してしまった」(芸能関係者)。
長男は、大陸のように大らかな子に育つようにと、萬田が母心を込めて”RIKU(陸)”と名づけた。出産後は、沈黙を守り続けた。
萬田は1958年、大阪市生まれ。78年に帝塚山学院短大に在学中「ミス・ユニバース」に出場し日本代表に選出された。デビューは80年のNHK朝の連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」。
最も話題になったのは81年の初主演映画「夏の別れ」。萬田は前張りなしのベッドシーンにチャレンジした。女優として活動する一方で、投資家としての顔も持ち、有名新興企業の大株主に名を連ねることも多い。現在は2時間ドラマに引っ張りだこである。
「ミス・ユニバース」の日本代表になるほどの美人だった彼女は、私生活も派手だった。カメラマンの真下伸友氏との半同棲から、俳優の国広富之、舘ひろし、作曲家の都倉俊一などと浮名を流した。「惚れっぽ、気が多い」というのが彼女の評判だった。
その彼女が86年にアパレル会社「ワールド」香港支社長だった佐々木力氏と不倫の交際を始めた。別れるに別れられず、87年10月に未婚のままニューヨークで長男の陸ちゃんを生んだ。
長男が誕生してから、萬田はニューヨークのアパートで隠遁生活を送っていたが、88年1月末に帰国した。当時、テレビ朝日系「土曜ワイド劇場」の人気シリーズだった「京都殺人案内」の収録のための帰国だった。もっとも
「彼女は、ニューヨークでは母親、日本では女優という二束のワラジで頑張る気持ちだったようだ。日本に帰国中は、子供をベビーシッターに預け、撮影が終わったら再びニューヨークに戻って子育てをする気持ちだった。とにかく、子供を守るには他に方法はないと判断していたのでしょう。彼女は名前の”萬田”でも分るように、お金に関してはしっかりしていた。当時は日米間の為替レートを含め日本で働き、ニューヨークで暮らす生活は悪くはなかった。それに、ニューヨーク生まれの長男はグリーンカードも取得している」(芸能評論家)
萬田は帰国後、2月1日に東京・新宿の京王プラザホテルで記者会見を行った。胸元がVカットの黒のスーツ姿で会見に姿を見せた萬田は
「お忙しい中をどうも。お手柔らかにお願いします」。
やんわりと頭を下げた。
しかし、87年6月に突然、ニューヨークに行って以来、完全に沈黙を貫いてきただけに、報道陣も簡単に引くわけにはいかない。萬田の思惑通りにいくわけがなかった。
「父親は噂される香港在住の佐々木力さんか?」
「妊娠を知ったときはどう思ったのか?」
萬田に対して、報道陣から矢継ぎ早に質問が浴びせられた。容赦しない質問に、萬田は、終始「私事ですから…。勘弁してください」と繰り返すのが精一杯だった。
――今も、(佐々木氏とは)入籍していないんですか?
「はい」
――結婚ということにはならないんですか?
「結婚を望まない女性はいないでしょう。でも、これも私事ですから」
――不倫出産と言うことについては。
「いろんな思いはありましたが…。すぐには決心できませんでした。女性にとっては大きなことですから。それに、好んで、望んで未婚の母になったわけではありません!」
――今の生活はどうですか?
「とても順調です。幸せ。毎日毎日、楽しいです。
――今、佐々木氏に言いたいことは?
「(苦笑いしながら)言いたいことは、彼に直接言います」。
また、陸ちゃんを1人で育てられるかという質問には、キリッとした表情で「自信がなかったら生むことが出来ません。これからも誇りを持って生きていきます」。
だが当時、会見での発言とは裏腹に、壮絶な状況yがあった。何と、結婚はおろか、子供の認知も絶望的な状態だったのだ――。
(つづく)

当局からの「中止要請」を振り切りディルアングレイが暴動・略奪 で厳戒態勢の英ロンドンで強硬ライブ!!

日曜日, 8月 14th, 2011

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暴動・略奪が繰り繰り返され、厳戒態勢が続いている英国のロンドンで12日夜(日本時間13日)、人気ロック・グループのディルアングレイが、当局からのライブ中止要請を振り切って強行したことが分かった。現地の関係者は「中止なんかしたら、さらに暴動を誘発する可能性もあった」と事情を説明している。
 「ライブを中止できないか」。
ディルアングレイの主催者は当局から内々で中止要請を受けていた。
ライブの行われたのはカムデンのストリートになる「Koko」という会場で、キャパは1400人。ライブ・チケットは即日完売していたそうで、その客層は8割が英国人で、他にもフランスや北欧からのファンがいたという。
ロンドン公演は、昨年に続くものだった。だが今回、当局が不安視したのは、会場周辺で若いファンが並ぶことだった。当局は「暴動を誘発しかねない」と、若者の集まることを警戒した。しかし、主催者は「ファンは暴動を起こさない。ただ、中止することで暴動とは別の混乱が起こる可能性がある。ライブの振替も難しい」。関係者は当局と何度も打ち合わせをしたようだが、平行線状態で最終的に強行することを決めたようだ。
「確かに会場周辺は危険な状態で、列を作る人の生命を守ることが一番の問題になったようです。ただ、中止することがベストとも言えませんからね。警備員を増強することで予定通り開催することを決めたようですが、おそらくファンの行動を最後まで信じようとした主催者側の意地でしょうね」(現地の音楽関係者)。
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会場周辺は、暴動が起きても大丈夫のようにロックアウトした形で行ったが、それでも、開催中にはガラスが割られたりするなど「気の抜けないところがあった」(主催関係者)という。
 ディルアングレイは、8月3日に2年9ヵ月ぶりのオリジナル・アルバム「DUM SPIRO SPERO」を、全世界21ヶ国で同時発売した。その発売に合わせ8月6日には8万人を動員したドイツの巨大メタル・フェス「ヴァッケン・オープン・エアー」に出演、その後、オランダを皮切りにロシアを含む10ヶ国での欧州ツアーをスタートさせていた。ロンドン公演は、3ヶ国目の公演だった。
 「フランス公演が終わり、ロンドン入りを11日に予定していましたが、会場のあるカムデンも暴動が起こっているということで、ロンドン入りをライブ当日の12日入りにした。とにかく、ライブを行うことを優先してロンドンでのメンバーの滞在時間は最小限にとどめることにした」という。
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ライブは無事に終了したが、ブリストルから来たと言う女性ファンの1人は「長時間かけてライブにきたので、中止でなくてよかった。暴動はニュースで知っていて怖かったけど、何も起こらなくてよかった」と言い。また、地元、ロンドンから来た男性ファンも「暴動は一部の愚か者が起こしたもの。同じ若者だからといって俺たちまで危険視されることは不愉快。ライブに来た奴らは、日ごろのフラストレーションを晴らす方法をちゃんと身に着けているから暴動に加担するわけがない。ライブは最高だったし、ファンを信じて予定通りやってくれたディルアングレイは最高のロック・グループだ」と満足顔だったようだ。

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<TOUR2011 PARADOX OF RETALIATION>
■今後の公演予定
8月16日(火) イタリア/リミニ/Velvet
8月18日(木) ハンガリー/ブダペスト/Club 202
8月20日(土) ポーランド/クラクフ/Klub Studio
8月21日(日) ドイツ/ベルリン/Columbia Club
8月23日(火) フィンランド/ヘルシンキ/Nosturi
8月25日(木) ロシア/モスクワ/Milk Club

AKB太りの秋元康と高井麻巳子の離婚情報にマスコミ騒然!離婚なら慰謝料数十億円!?

金曜日, 8月 12th, 2011

結局は「ガセ情報」ってことになったけど、火のないところに煙は立たないってこともある。
2〜3日前だったか夕方ぐらいに、AKB48太りした秋元康と、その女房・高井麻巳子が「離婚」なんて情報が芸能界を駆け巡った。
高井麻巳子は、言わずと知れた元おニャン子クラブの「会員番号16番」だった。85年におニャン子のメンバーになってから、ゆうゆ(岩井由紀子)と2人で“うしろゆびさされ組”を結成して、フジテレビ系のアニメ番組「ハイスクール!奇面組」の主題歌なんかを歌って、人気になった。
おニャン子の中でも、高井人気は高かったが、秋元康が食べちゃった。で、88年に“電撃結婚”、高井は惜しまれながらも芸能界を引退した。01年には長女を出産している。現在、高井は、秋元康の事務所の監査役なんかをやっているようだが、実際には「家庭内別居のようなもの」なんていう噂も。いずれにしても、今や、この2人の関係は冷め切ってしまっていることは間違いないようだ。もっとも、夫婦のことなんてのは他人がどうのこうのという問題じゃないだろうし、ご当人しか分からないものではあるが…。
しかし、想像するに、秋元の頭の中は、すでに高井のことなって全くなくて、今はAKB48の総選挙で1位になった前田敦子という噂も…。それにしても、もし、前田との関係がモノホンだったら、「おニャン子の次はAKB48」なんて”うしろゆびさされ”ても仕方ないかも。
しかし、気になるのは何で「離婚情報」が出たのか?誰かがポロッと言ったなんて情報もあるが、それで、マスコミがドッと動くというんだから、早い話が、みんな、2人の離婚に「ついに…」って思ったってことだろう。ま、火のないところに煙は立たないというべきか? 少なくとも、離婚に向けてのカウントダウンは続いているきとは間違いなさそう。
秋元にしても相当カネを溜めたことだし、離婚するんだったら早い方がいいかもしれないが、もし離婚したら当然、財産の半分は高井が持っていくことになる
かつて、小室哲哉が、“第2のピンクレディー”とも言われたアイドル・デュオの「キララとウララ」のキララこと大谷香奈子と結婚(87年)。結局、5年後の92年に香奈子さんとは協議離婚したが、この時に支払った慰謝料は僅か5年でも数億円だった。
では、高井とは…。彼女は秋元の事務所の監査をしているし、秋元の収入もある程度、牛耳っていることは間違いない。しかも、秋元よりしっかりしているし計算高い。結婚生活も長いし長女の養育費を含めて、たっぷり要求するはずだ。もしかしたら数十億円…。おそらく、国内の記録を作るんじゃないか?で、問題は、それだけ払ってでも今、秋元が高井と別れたがっているか、ということかもしれない…。

「事実無根」「根拠のない憶測記事」と開き直るが…。TAIJIの逮捕・自殺の責任を婚約者に押し付けようとした偽装メール!!

木曜日, 8月 11th, 2011

元XのメンバーだったベイシストのTAIJIこと沢田泰司さん(享年45歳)の逮捕、拘束、自殺は不可解なことばかりだ。TAIJIのマネジメント&プロデュースをやっていたというYOUプロダクションの北見輝美マネジャーは、TAIJIと行動を共にしていながら、逮捕された途端に知らん顔、周囲には「私は知らない」「私は関係ない」なんて聞かれもしないのに言いまわっていた。よほど隠したい何かがあったに違いない。
北見側は、【ヘッドロック】に対して「事実無根」とか「名誉毀損」、さらには「根拠のない憶測記事」「飛ばし記事」なんて、それはそれは言いたいことを言っている。が、TAIJIが逮捕、拘束、自殺未遂を起こした後、北見輝美は、マネジャーとして信じられない行動に出ていたことは、全て証拠として残している。
北見側が「事実無根」とか「根拠のない憶測記事」と言い張るなら、今回、北見輝美がサイパンから発信したメールを1つ暴露する。
その前に、今回の事件を振り返ると――。
7月11日。TAIJIは成田発サイパン行のDELTA航空機の中で暴れたことからサイパンで逮捕された。サイパン当局の取り調べを受ける中で、拘置所内のベッドのシーツで首を吊って自殺未遂を図ったのは14日早朝のことだった。TAIJIは急きょ、サイパンのガラパン地区にある総合病院「Commonwealth Health Center(CHC)」の集中治療室(ICU)に運ばれたが脳死状態だった。
ところが、TAIJIが「逮捕された」という情報が、一部の日本関係者に入ったのは、逮捕されてから3日後の7月14日で、自殺未遂の情報は16日になってからだった。この情報で、TAIJIの親族や婚約者がサイパンに向かったのはよく16日の夜(到着は17日未明)のことだった。とにかく、この時の情報は錯綜しまくっていた。
それにしても、逮捕後、これだけのことが起こっておきながら、同行していたマネジャーの北見は一体、何をやっていたのか? しかも、驚くことに、こんなメールのやり取りが行われていた――。

これは、TAIJIが意識不明の15日にやり取りしたメールである。TAIJIと北見と共通の知り合いである、大手プロダクションの関係者は、TAIJIが逮捕されたとう情報を聞き、サイパンの北見にメールを送信した。

2011年7月15日22:25に、ソフトバンクの携帯電話から北見に送られたメールは

てるみんさん
タイジは無事なんですか?!
いったいどうなってるの?!

という内容だった。すると、北見からGmailで返答が来た。
2011年7月15日22:34:30 JST

大丈夫ですよ。
何だか 彼女と喧嘩しちゃったみたいですね。

何と、北見は、TAIJIが婚約者である赤塚友美さんと喧嘩したような、そんな偽装メールを送っていたのである。いうまでもなくTAIJIは、この時は「脳死状態」で集中治療室で治療を受けていた。そんな一大事の時に北見は、何で、TAIJIの状態を知らせようとせず、それどころか「赤塚さんと喧嘩した」なんて、ありもしないウソをつきまくっていたのか?
上記のメールは、紛れもない事実で、北見の「証拠物件」として発信、着信記録もすべて保存されている。
これは想像するに、北見は、TAIJIが飛行機内で暴れサイパンで逮捕されたこと、自殺を図ったことを全て、自分ではなく赤塚さんの責任に押し付けようとしていたに違いない。いわま、そのアリバイ作りだったのではないか? と言うのも、北見は、こういった偽装メールを、あらゆる方法で多数の日本の音楽関係者やバンド仲間に対してメール送信している。その一方でTAIJIについては「私は知らない」「私には関係ない」なんて嘯いているんだから、これはもう唖然茫然だ。ハッキリ言って問答無用の行為である、もはや言い逃れは出来ないことは確か。そんな北見を弁護し「事実無根」なんていう弁護士は、こういったメールの存在に対してだけでも、一体どう言い訳するのだろうか?

80年代後半の歌謡界にブームを巻き起こした女性デュオ、BaBeの二階堂ゆかりの長女・満月あいりが舞台出演に意欲!!

木曜日, 8月 11th, 2011

holiday-mithuki_airi.jpg80年代後半に一世風靡した女性デュオ、BaBeの二階堂ゆかりの長女・満月あいり(みつき・あいり)が、舞台「江古田スケッチ」に出演することになった。BeBeと言えばユーロ・ビート系のカバー曲で新人賞などを総ナメしたが、あいりも「将来は歌って踊れるシンガーになりたい」と意欲を見せている。
正直言いて「提灯記事」と思われそうだが、どう見ても「提灯記事」である。あいりが出演する舞台「江古田スケッチ」は、78年に竹内緑郎と旅行カバンが歌った同タイトルの曲をモチーフに朝倉薫が脚本・演出するもの。同曲は日本大学芸術学部、武蔵野音楽大学、そして武蔵大学の3大学がある東京・練馬の江古田を歌ったものだが、朝倉が言うには当時、学生の間では大きな話題になったらしい。
物語は、現在もライブハウスとして知られる「江古田マーキー」で繰り広げられるが、その中で、あいりは女優を目指す”日芸”の学生を演じる。「演じれば演じるほど内面的に難しい役なので苦労しています。でも、1人でも多くの人に感動を与えられるように役を演じていきたい」。
今は舞台で頑張っているが、将来は「歌って踊れるシンガーになるのが夢なんです」と言う。で、冒頭でも書いたが母親は、80年代の後半にブームを巻き起こした女性デュオのBaBeの二階堂ゆかり。BaBeは、ダンスを踊りながら歌いスタイルでユーロ・ビート系の「Give Me UP」や「I Don’t Know」などヒット曲を連発し、その当時の新人賞を総ナメした。その後、二階堂が結婚することになり90年にデュオは解散、二階堂は芸能界を引退したが、その時に生まれたのがあいりだった。
好きなアーティストはB”zやBoAらしいが、洋楽も大好きでレディー・ガガやビヨンセ、リアーナ、少女時代などがお気に入りだと言う。もっとも「小さい頃は、BaBeのヒット曲ばかりを聴かされていた」らしい。それだけに「歌って踊れるシンガー」というのも母譲りか?
あいりは「お母さんのことは意識していません」と言うが「歌は、お母さんよりうまいと思っています。それは周りの人も認めています。お母さんは、自分の歌っていた曲はうまく歌えるけど、他は全くダメなんです。でも私は何でも歌えますから」と自信たっぷりだった。さらに「お母さんの歌で新人賞がとれたんだったら私にも…」だって。しかし世の中、そんなに甘いものではありません!!
舞台「江古田スケッチ」は、8月17日から21日まで東京・銀座の「みゆき館劇場」
http://aked.jp
※92年2月、兵庫県神戸市生まれ。身長164?、B88−W58−H86。血液型A型。

まずはムード作りから!? ビクターエンタテイメントがオフィス移転して心機一転のコンベンションで「元気さ」アピール!?

火曜日, 8月 9th, 2011

ビクターエンタテインメントのコンベンション「MUSIC STORM」が、東京・渋谷の新オフィス、ファーストタワーで行われた。
思い起こせば、僕が最初にビクターに行ったときの社名は「ビクター音楽産業」だった。当時は、原宿のド真ん中、キディランドの向かいにある「ピアザビル」に本社があった。ピンクレディーは解散していたが、まだ桜田淳子も活躍していたし、サザンオールスターズもいた。アイドルでは小泉今日子はもちろん松本伊代とか、「金八先生」で人気になった伊藤つかさなんかもいた。もちろん、酒井法子や荻野目洋子もいた。
その後、ビクターエンタテインメントに社名が変わり、SMAPなどが出てきたが、12年ぐらい前に表参道の交差点近くにある「パラシオタワー」に越した。余談ではあるが、裏のマンションには宮沢りえが住んでいた…。
ビクターエンタテインメントは、日本コロムビアやキングレコード、テイチクエンタテインメントと並んで日本では、戦前からある老舗レコード会社の1つ。それだけに、音源の財産は豊富だ。もっとも、財産はいっぱいあっても、「宝の持ち腐れ」なんてことになっちゃ価値がないのだが、ビクターエンタテインメントは、やはり「腐っても鯛」のようなものだったかもしれない。
いずれにしても、ここ数年は音楽業界の低迷もあって元気がなかった。売り上げは落ちるし、リストラもあったのかもしれないが、どんどん社員が犬のニッパー君を置いて?立ち去って行った。ある時は社内の内紛なんかもあったりして、突然に社長が変わったりした…なんてこともあった。まあ、今になってみれば懐かしい話であるが…。
そのビクターエンタテインメントも、この1〜2年は何かと激動の年だった。コナミへの売却話から、ソフトバンクの孫正義社長が「買収する」なんて話まで。とにかく、全国紙の「読売新聞」の1面なんかで報じたものだから、それはそれは真実味があったんだが、今振り返ると、あの話はどうなったのか?
そういったゴタゴタの中で、09年11月に社長になったのが斉藤正明氏だった。斉藤氏は、元東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)の代表取締役会長兼CEOだった人。斉藤氏が東芝EMIの社長だった頃は「サザンオールスターズが移籍か?」なんて、噂まで出ていたが、それが今じゃ、サザンオールスターズのいるレコード会社の社長になっているんだから、この業界は分からない。
因みにだが、斉藤氏の東芝EMI時代の実績は何だったかと言うと、洋楽制作本部長、EMI本部長、Virgin本部長などを歴任して、97年に代表表取締役社長に就任した。その在任中に宇多田ヒカルや椎名林檎、鬼塚ちひろ、矢井田瞳など多数の新人アーティストが生まれた。
さてさて、話を戻してビクターエンタテインメントだが、7月19日に渋谷の六本木通り沿いにある新しいオフィス(渋谷ファーストビル)に移転した。実に綺麗なオフィスである。そして、そこで開かれたのが「MUSIC STORM」だったわけだが、考えたら、斉藤氏は東芝EMI時代も似たようなコンベンションをやっていて、そこから宇多田なんかをデビューさせた。今回のコンベンションが斉藤社長の発案だったのかどうかはいいとして、まずは、この催しを継続していくことに尽きるだろう。
それにしても、ビクターが、今回のようなコンベンションを開いたのは初めてじゃないか? 予算もかかるし、これはよっぽどヒット曲を出さないと大変だ。まあ、来週は桑田佳祐のシングルやSMAPのアルバムが出るから大丈夫だろうけど…。
いずれにしても、さまざまな思惑が入り混じっていただろうけど、会場にはレコード店の販売担当者やマスコミ、音楽関係者など300人以上が詰めかけた。いやいや、何だかんだ言われていても、実は、みんなビクターエンタテインメントに期待しているんじゃないか…そんな感じだった。
現在、ビクターエンタテインメントには9つの制作部門とアニメ音楽制作の関連会社があるが、そのプレゼンだけで130分。途中、斉藤和義が来て歌ったりしたが、意外にラインナップも揃っていてビックリした。
まあ今回は、本社を移転したこともあるが、ある意味で心機一転「元気」で「活気のある」ビクターエンタテインメントをアピールしたことは確かだ。
所詮、この音楽産業なんて、まずはムード作りだから…。

TAIJIマネジメントの謎!! TPSだけではなくTAIJI with HEAVENSのライブもキャンセル!CDも出せない状況に…(下)

火曜日, 8月 9th, 2011

TAIJI with HEAVENSについても、TAIJIのマネジメントとプロデュースをやっていたYOUプロダクションの北見輝美マネジャーは、それまで決まっていたイベントの出演やライブを軒並みにキャンセルし「CDも発売しない方向になっていた」そうで、ついには、婚約者だった元マネジャーの赤塚友美さんに対しても「バカ発言を繰り返していた。気性の荒さが伺えるようになった。周りから見るとTAIJIは誰かに言わされている感じで、喋り方やメールの内容も普段のTAIJIではなくなってきたのも事実でした。僕は、北見さんや神生さんの管理下で、どう進むのか、TAIJIさんをどうしたらいいのか分からず、周りの音楽関係者に異変を伝え、TAIJIさんとも距離を置こうと決意していたんです」とDAI。
 こんなこともあった。SHUが当時を振り返る。
 「5月末ぐらいだったかな? 日本は震災の復興をしなきゃいけない時期だったし、自粛ムードがあった時に、TAIJIのブログで、『サイパンでのんびり過ごしてます』とか『ゴーカートしています』みたいな内容がアップされていたので、北見さんにメールしたんです。『自粛ムードの中、本来は勇気を与えるために先導しなきゃいけないTAIJIが、ああいう感じのブログをアップするのはよくないんじゃないですか?』って。それも、3月から何もアップしていないで、いきなり『サイパン』はないじゃないかと…。そしたら『心が狭い方ですね』みたいなメールが来ました。TAIJIが元気にしている姿を伝えるのはわかりますが、彼はアーティストであって、今後の活動も考えたら、あんな内容をブログにアップする時期じゃないと思ったんです」。
 さらに、北見については
「首をかしげるような発言が多かった。ある時、TAIJIのことに関して僕とやり取りしているメールを他の人に見せていることが分かった。ですから『そういうことは、ビジネス的に許されるんですか』と言ったら、北見さんから電話がかかってきまして『折り返し電話ください』と留守電が入っていたんです。折り返しってサイパンに…ですよ(笑)。で、電話したら、HEAVENSのメンバーからTSPのメンバーまで悪口を言うし……しかも、それはTAIJIが言っていると、TAIJIのせいにする。その後は、もう疑問符だらけでしたね。ある時、TSPで保管しているお金を支払ってくれと来たんです。僕は、『TAIJIが言っているなら払いましょう』と言ったら、北見さんは『では、TAIJIの口座にお願いします』と言っていたのですが、請求書は北見さんの口座でした…。TSPが活動して稼いだ昨年の収入を、後から出てきた北見さんの口座に振り込むのはどうかと思い、不審に思って赤塚さんに確認したんです。そしてら、北見さんから『赤塚さんが、SHUさんは心が醜い人と言ってます』とメールが来たんです。僕は、赤塚さんのこともよく知っていますし、絶対にそんなことを言う方ではないということも分かっています。ですから、北見さんに『ホントに赤塚さんがそう言ったんですか?』と聞き返したら、今度は『TAIJIが言ってます』と来ました。もう、僕には意味が分からなかったですね。もう、この人とは関われない『早く気づけ、TAIJI!』とも思っていました」。
次々に出てくるマネジメントへの疑問や疑惑の数々。そういった中、一部ではTAIJIは「殺された」とする”他殺説”まで浮上してきている。TAIJIの死の謎は深まるばかりだ。
今や、北見は「一般人…」を理由に「顔も名前も出せない」と言いたいのだろうけど、今回の問題は、人が亡くなっているのである。ある意味では、六本木ヒルズ・レジデンスで起こった押尾学による田中香織さんの変死事件と同じである。
「ウヤムヤに終わらせたくはない」。
DAIとSHUは
「俺たちは、正々堂々と顔を出して、本当のことを話しているんだから…」
と言う。逮捕され、自殺を図ってから、もう1ヶ月も経とうとしている。正直言って、この、前代未聞とも言うべき、余りにも不可解な事件を何とも思わない芸能ジャーナリズムというのも不可思議である。

※【ヘッドロック】は実名で書いていますが、音楽誌「WeROCK」では北見と神生氏の名前についてはイニシャルになっています。

TAIJIは人脈の多い北見マネを信頼し、顧問のことは「先生」「上の方」と呼ぶ「神」のような存在だった!?(中)

火曜日, 8月 9th, 2011

TAIJIのマネジメントとプロデュースを手掛けていたと言う「YOUプロダクション」の顧問になったと言う神生一人氏について、DAIは「人にはない力を携えているみたいで、企業の立て直しのコンサルタント業を営んでいる人物と聞かされた」というのだ。そこで、DAIは「低音傷害の持病がある」と言うと、神生氏が「治してやる」と言い出し、超能力者のような行動に移って、DAIに“気”のようなものを投げかけてきたとか。もっとも「何も変化もなく改善はしませんでしたが…」。

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しかし、北見や神生氏に対し、SHUは「何故、TAIJIに近づいてきたのか? 何が目的なのか?という疑問を持ち続けていた」と疑問を呈す。だが「TAIJIは、人脈のある北見さんのことを信頼し、神生さんのことを『先生』とか『上の方』と呼ぶようになっていた。北見さんも、神生さんのことを宗教家やマジシャンでもなく『神』のような存在と言っていたので、正直言って『大丈夫かな…?』と感じるようになっていた」と吐露している。
 ただ「僕とTAIJIのそれまでの活動を踏まえても、僕らの力では限界を感じていた。TAIJIは、もっと大きな舞台が似合うと思っていたし、それには大きなプロダクションが必要だと考えていた時でもあったんです。そんな時に、すごく親身になってTAIJIの世話をしたいというから、お願いしますという感じだったんです」とSHUは肩の力を落とす。
 ところが、その北見の行動に異変が起こり始めたのは5月に入った頃だったと言う。

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 「実は、7月末に東京と大阪でTSPのライブが決まっていたんですが、5月になってもリハーサルの予定が出てこない。すると、前マネジャーだった赤塚さんに確認すると、北見さんから『ライブは全部キャンセルになりました』と連絡が来たんです。ですから『そのことはTAIJIは知っているのか』と聞いたところ『今の状態ではライブは無理』との回答が返ってきたんです。TAIJIは、酒もやめて体調も良かった。TSPのことや曲作りのこともやり取りしていたので『一体、どうしたんだろう?』と、ますます疑問が広がってきた」(SHU)。
 しかも、その頃から、北見はTAIJIからSHUやDAIを離そうとするような行動を取り始めたと言う。
 「納得のいかないことを感じていたわけだから、早くTAIJIに警告を出すべきだったと今は後悔しています」とSHUはうなだれた。
(つづく)

TAIJIの自殺の謎!!「このまま、ウヤムヤに終わらせたくない」北見マネへの疑問を音楽活動のメンバー語る!!(上)

月曜日, 8月 8th, 2011

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サイパンで逮捕拘束され、その取り調べ中に留置所内で自殺されたとされる元Xのメンバーで、ラウドネスにも参加したベイシストのTAIJI(本名=沢田泰司さん)について、生前・TAIJIとグループを結成し活動していたボーカリストのDAIと、ギタリストのSHUが現在の胸の内を語った。SHUは、サイパンにTAIJIと同行したマネジメント会社「YOUプロダクション」の北見輝美マネジャーから「連絡は一切なかったと不満を滲ませる。2人は「このまま、ウヤムヤに終わらせたくない。もっと本当のことを知りたいし、ちゃんとTAIJIを送ってあげたい。それが残された者に出来る唯一のこと」と断じている。
DAIとSHUは、音楽誌「WeROCK」(8月16日発行)に掲載される「沢田泰司の追悼特集」でのインタビューで、TAIJIの自殺に対する率直な気持ち、さらにはTAIJIのマネジメントへの憤りを語っている。
DAIは、TAIJIが生前、音楽活動の中心にしていたTAIJI with HEAVENSのボーカリストで、一方のSHUも、TAIJIが精魂込めて結成した「TSP」のギタリストだった。共に音楽活動はもちろん、私生活においても信頼が深く「同志的な関係」だった。それだけに、今回の出来事は「寝耳に水」といった思いだった。
まず、今回の出来事で中心人物となっているのが、TAIJIのマネジメント及びプロデュースを行ってきたというYOUプロダクションの北見輝美マネジャーだ。彼女は、TAIJIに同行してサイパンに向かっていた。しかも、今回の事件の発端は、機内での北見との言い争い。しかも、TAIJIがサイパンで逮捕された際の被害者が北見だったという。
SHUが、北見と初めて会ったのは昨年末にTAIJIの家でやったクリスマス・パーティ。ただ「その時は、具体的にマネジメントをやる話は出ていなかった」と言う。一方のDAIは「東日本大震災でTAIJI with HEAVENSの韓国公演が中止になった時、当時のマネジャーだった婚約者の赤塚友美さんから紹介された」そうで、その際、北見にはYOUプロダクションの顧問になったという神生一人氏も付き添っていたという。
その時の印象について、SHUは「北見さんから『私に出来ることはない?』『どうやったら役に立てられる?』と言われ好意的な印象を持った」というが、その一方で「ここ10年以上、TAIJIには、いつも、そういう方々が近づいてきては離れていくと言う繰り返しだったので、正直言いて『またか』という気持ちと『でも、TAIJIのことを本当に思ってくれるなら…』という両方の気持ちだった」。
しかし、DAIは、初めて会った時に赤塚さんから北見がマネジメントを引き継ぎ、神生は「精神面のケアかつ、金銭的なサポートを行うと聞かされていた」と言う。その際、北見は、サイパンにスタジオを所有し、芸能関係者も多数利用していると言っていたそうで、DAIにサイパンの資料や写真を見せるなど、自分のことを信用するようにあの手この手だったようだ。
「僕は、もしTAIJIがこの方にお世話になるなら、ちゃんと話しておいた方がいいと思い、正直にTAIJIのことを話しました。TAIJIからも『どうやって、SHUとコラボるか考えようぜ』と言うことで、何度も話し合ってきた」と言う。
(つづく)

【写真】左側がDAIで右側がSHU