5月16日は何の日!? オウム真理教・麻原彰晃の逮捕から遡ること19年前の76年に起こった「いもジュリー暴行事件」

きょう5月16日は何の日?
と言うことで、一般的には1995年5月16日――地下鉄サリン事件で、宗教団体「オウム真理教」幹部らの一斉逮捕に踏み切り、山梨県上九一色村の教団施設「第6サティアン」で、教祖様の麻原彰晃(本名・松本智津夫=当時40歳)を殺人と殺人未遂で逮捕したことだろう。
しかし、過去に5月16日に芸能界を震撼させた事件があった。それは麻原彰晃の逮捕から遡ること19年。1976年5月16日のことだった。その事件とは…。
「アイツ、また、やっちまったの?」。
 音楽関係者が異口同音に、そう呟くような事件だった。
ロッカーの内田裕也のことじゃない。”ジュリー”の愛称で人気絶頂だった沢田研二の「暴行事件」である。その頃のジュリーは、とにかく暴れん坊だった。とにかく、ジュリーの「暴力事件」は、今でも業界の語り草にもなっているはずである。
 まあ、ここで麻原の逮捕のことを書いても意味がないので、ジュリーの「暴力事件」を書くことにする。
76年5月16日。この日のジュリーは、大阪厚生年金会館でのコンサート「沢田研二ショー」を終え、新大阪を午後8時40分発の「ひかり118号」に乗車した。彼には「渡辺プロダクション」の森本精人マネジャー(当時)ら6人が同行、他にバックバンドの「井上堯之バンド」のメンバーもいたという。
御一行様は12号車のグリーン車に乗った。ジュリーは5Aに座わると、ポケットからウィスキーの小瓶を取り出し、1人で飲み始めた。新幹線が発車して20分ぐらい経った時だった。1人の男性(23)が、ビュッフェに行くため、通りかかった。男性はジュリーを見つけると、いきなり「いもジュリー」と言い放ったそうだ。
その言葉を聞いた瞬間、ジュリーの表情は一瞬、強張った。が、ここはガマンの男だったようだ。しかし、腸はにえくりかえっていた。そんな込み上げる怒りを抑え、そのまま膝の上に広げた本に目を落としたという。
事件は、それから約2時間半後に起こった。以下は当時、現場で目撃した関係者の証言を元に振り返ったものだ。
新幹線が東京・有楽町に差しかかった時だった。ビュッフェから男性が戻ってきた。男性がジュリーの横を通りかかった時だった、ジュリーは、男性に「あなた、さっき何かおっしゃいましたね」と問い質した。
ジュリーの思いがけない言葉に、男性は一瞬、たじろいだようだったというが、すぐさま「お前のことなんか何も知らない。何も言った覚えはない」と言い返してきた。そう言いかえされたジュリーは、反論せずに「どうもすみません。僕の聞き違いのようでした」と男性に頭を下げたという。
ところが、新幹線が東京駅のホームに滑り込んできた時、ブレーキで新幹線がガタンと大きく揺れた。男性は酔っていたこともあってか、その反動でジュリーの席に倒れかかってきた。
男性は身長180、体重80kぐらいの巨体、その体がジュリーに覆いかぶさったのだ。その瞬間だった。その男性は「ジュリーに殴られた」と言い出した。ジュリーはポカンとした表情だったという。
よく見ると、ジュリーの右手のコブシの、ちょうど薬指の下のあたりから出血していた。ジュリーが身を構えた時に右手が、よろけた際に男性の口あたりにぶつかったようなのだ。
「殴ったな」
「いや殴っていない」。
2人の間で、言い合いが続いた。
いずれにしても男性は酔った勢いもあってか「殴られた」の一点張りで、あとに引かない。車掌にも「沢田がオレを殴った」と訴え、ホームに降りると、さらにエキサイト、ついに110番通報してしまったという。
警視庁丸の内警察署員が現場に駆けつけると、すでにジュリーは帰った後、事情聴取には男性と森本マネジャーが連行された。その時の事情聴取で男性は署員に
「僕がビュッフェからの帰りに通りかかると、沢田が前に立ちふさがり、”さっきオレのことを何と言った”と、言いながら、僕の股間の急所を掴んだ。僕も掴み返して、ちょっと口論になったが、新幹線が東京駅に停まった時、沢田が突然に殴ってきた」。
と訴えたという。事件の論争は、殴った殴らないから、ついには男性のシンボル――股間を掴んだか掴まないかに発展してしまった。ただ、その真偽は目撃者の証言を得ることが出来なかった。
この日、深夜3時30分まで取調べを受けた結果、「示談」で解決することになった。示談の条件として男性は、ジュリー側に15万円の慰謝料を請求、ジュリー側もその金額を支払うことに同意した。両者の間では「示談書」も取り交わされた。
ところが、その翌日になって男性は「示談に同意したこともなければ、示談書を作った覚えもない」と言い出し、再び両者の間は決裂。事件から10日たった5月27日、男性から丸の内署に突如、「暴行傷害」の告訴状が提出されたのだ。訴状には、東京・池袋の落合医院の診断書が添付され、さらに「沢田に局部をつかまれた」と明確に書かれていたという。
実は、ジュリーは半年前の75年12月7日にも東京駅で駅員との間で暴力事件を起こしていた。ジュリーの元に殺到したファンに対して駅員が暴言を吐いたと、ジュリーが怒って頭突きを一発くわしたのだ。駅員は鼻血を出し大騒ぎとなった。
それから半年しかたたないうちに「またしても」というわけだ。それだけに、今回の事件に渡辺晋社長(故人)も頭を抱えた。結局は「事のよしあしはともかく、世間を騒がしてしまった責任は大きい」と1ヶ月の謹慎をジュリーに伝えた。 
渡辺社長の決断にジュリーは素直に「分りました」と答えたという。テレビ番組23本の他、「東京音楽祭」への出場、さらには、毎年の恒例となっていた「誕生パーティー」までもがキャンセルされた。
この事件が解決に動き出したのは謹慎が解ける7月20日を目前に控えての時だった。ジュリーが突然に「被害者の男性に会いたい」と言い出したのだ。そこで、弁護士を通して、被害者男性にジュリーの要望を伝えると、男性側からも「ぜひ」との返事が戻ってきた。
7月17日、東京・日比谷の帝国ホテルで両者は対面した。ジュリーは改めて男性に謝罪、今度は固く手を握り合ったという。
この謝罪で事件は一件落着へと向かった。男性は、ファンからの抗議で大変だったことも明かしたが、今回の事件の真相はついに明らかにならなかったが、ある意味で、人気タレントならでは事件だったかもしれない。