過去GWに起こった衝撃的芸能事件…女優・荻野目慶子の自宅マンションで新進映画監督が前代未聞の首つり自殺!!

ゴールデンウィークのネタと言えば、大抵がイベントネタになるものだが、その一方で、大きな事件が起こるのもゴールデンウィーク。尾崎豊はゴールデンウィーク直前だったが、一番、印象に残っているのが…。もちろん、X JAPANのHIDEの自殺もあったが、「衝撃的な事件」と言ったら、やはり女優の荻野目慶子と交際していた映画監督の河合義隆さんの首つり自殺か…!?
 この事件…。恋のもつれから死を選ぶケースはあるが、恋人の自宅マンションで首を首つり自殺を図るというショッキングな事件だった。90年4月30日。「新進映画監督」と言われた河合義隆さん(享年43歳)が、東京・世田谷区南烏山にある女優・荻野目慶子(当時25歳)の自宅マンションで首つり自殺をしたのだ。
「私から別れ話を持ち出したら、別れるぐらいなら死にたいと言っていた」。
成城署の事情聴取に荻野目は、涙ながらにそう語っていた。
 芸能界では、かつて女優の葉月里緒奈が“魔性の女”と言われたが、荻野目慶子は“元祖・魔性の女”だったと言えよう。当時、荻野目慶子は人気女優だったが、その女優の自宅マンションで映画監督が自殺を図るなんてこと自体、前代未聞のことだった。だいたい、映画監督が、女優との恋愛に悩んで自殺するなんて「あり得ない」話ではないか?
この(荻野目の)マンションは、京王線・芦花公園駅に近い場所にあった。
午後4時過ぎに荻野目は帰宅したという。自宅のドアを開けた彼女の目に飛び込んできたのは、2LDKの台所とリビングルームの間のドアに、マフラーをかけてセーター姿で首をつった河合さんだったという。
 「(私の部屋で)42、43歳の男性が首をつって死んでいます」。
 気が動転した荻野目は、錯乱の中で、咄嗟に110番したようだが、交際していた男性だったのに、その言い方がちょっと曖昧過ぎるのが気になった。
所轄の成城署警察の捜査員が駆けつけると、彼女は部屋の片隅で小刻みに震えながら泣いていたと言う。「その場では、とても事情聴取を出来る状態ではなかった」と当時、署員は言っていた。
 遺書はなかった。しかし、18歳も隔たりのある新進監督と人気女優の、秘められた恋の結末が悲劇につながったことだけは確かだった。
 河合さんは、高校卒業後の65年にフジテレビに入社した。ドラマやバラエティー番組のディレクターを経て、85年にフリーに転身、TBSのドラマ「幕末青春グラフィティ・福沢諭吉」を演出。さらに武田鉄矢主演で映画「幕末青春グラフィティRONIN坂本竜馬」を撮り、映画デビューした。
「フリーに転身して、いきなりテレビ・ドラマ、映画と立て続けに仕事が舞い込むなど、当時としては注目の人だったことは確かです。ただ、映画は一部で評価を得たんですが興行的には失敗でした。その後、仕事らしい仕事は殆どなかったんじゃないですか」
とは河合さんを知る映画プロデューサー。
 荻野目と河合さんが知り合ったのは、河合さんがフリーになった85年だった。TBS「福沢諭吉」に彼女が出演したのがキッカケ。「監督と女優の立場から、河合さんが熱心な演技指導を続けているうちに2人の関係に恋が芽生えていった」(関係者)。
 ただ、河合さんには当時、41歳になる妻と、12歳の長男がいた。2人は世をしのぶ“不倫”の仲だったことになる。
河合さんは、東京・成城の夫人の実家で、夫人の両親と一緒に同居していた。しかし、交際して3年目の88年に荻野目が両親の家を出て、1人暮らしを始めた。その頃から、河合さんは彼女のマンションに入り浸りになり「半同棲状態になっていたったようです。2人の仲は演出家の蜷川幸雄さんや武田鉄矢など、2人をよく知る人たちにも知れわたっていたようです」(週刊誌記者)と言われた。
 交際の中で、2人は1度は結婚を決意したとも言われている。
「2人の間にどんな経緯があったのかわかりませんが、89年の春あたりから2人の関係は河合さんの奥さんにも知られ、波乱状態にあったようです」(2人を知る関係者)。
 河合さんを挟んで、正妻と愛人という三角関係の危うい状態の中で、河合さんと荻野目の「同棲生活」は続いたようだ。
 河合さんの死亡推定時刻は30日の午前4時頃。しかし、前日までの4月27〜29日は、5月末にクランクインが予定されていた2作目の監督映画「もうひとつの原宿物語」の台本執筆で新宿の旅館に宿泊していたという。ところが「27日にはメーンのキャストが決まっていたのに、突然、河合さんが『荻野目慶子を使いたい』と言い出したものですから大変だったんです」(映画関係者)。
 一方の荻野目は、日本テレビの2時間ドラマ「フルムーン旅情・みちのく殺人事件」のロケで山形県羽前小松に行き26日に帰京していた。しかし、自宅に戻って遺体を発見する30日午後4時までの丸4日間の足取りは分かっていない。
「東京に戻りながら自宅に戻らず行方をくらましていた荻野目と、河合さんの間に何があったのか? 荻野目は『別れ話を持ち出した…』と言うのですが」(当時の事件を取材した週刊誌記者)。
 成城署の通報で駆けつけた河合さんの夫人は、霊安室で遺体を確認した。そこには荻野目もいた。荻野目は土下座して夫人に泣いて詫びたという。
 5月1日に遺体は多摩葬祭場に運ばれた。場内の霊安場には遺体だけがポツンと置かれたままだった。「遺族からは何の連絡もなかった」と葬祭場も困惑気味だったという。
 21年前のきょう、5月3日に三鷹市の禅林寺で葬儀が行われ、遺骨は友人の手で成城の自宅に戻ったが、その夜、夫人は帰宅しなかった。
非常な結末は荻野目の心にドッシリと重く残されたはずだった。ところが、それから僅か6年。今度は故・深作欣二監督との恋に堕ちていった。しかも、その深作監督は荻野目との関係を失いたくないがために、がんの手術を拒んだと言われる…。
いずれにしても2人の映画監督を翻弄させた荻野目慶子というのは凄い大女優ではないか!?

ビンラディンと言ったらエミネム!! 米中枢同時多発テロから10年目…首謀者ウサマ・ビンラディンが米国に殺害される!!

01年9月11日の同時多発テロから10年。テロの首謀者と言われた国際テロ組織「アルカイダ」のドン、ウサマ・ビンラディンが米国の執念の追跡によって、ついに殺害された。それにしても、米中央情報局(CIA)や国防総省の情報機関が、ウサマ・ビンラディン、たった1人のために10年間も躍起になっていたというんだから、正直言って笑っちゃう。…というより、大したタマではないか!やはり米国によって処刑されたイラクのフセイン元大統領より世界の歴史に残ることは間違いない。
しかも、ウサマ・ビンラディン、たった1人を殺害するために、米国はオバマ大統領以下、米軍特殊部隊が出動して極秘作戦を展開したと言うんだから、ある意味で凄い話ではないか。
それにしても、ウサマ・ビンラディンの生活ぶりは、さすがに”アルカイダのドン”である。パキスタンの首都イスラマバードから約56キロ北方のアボタバードに潜んでいたというが、その生活していた邸宅は、6年前の05年に建築されたものらしく、周囲の家より約8倍ぐらい広いのだと言う、それも100万ドル(日本円で約8000万円)の価値があるそうだ。3階建ての家にはほとんど窓がなく、高さ3〜5mの壁や有刺鉄線に囲まれていた。しかも邸宅までに2カ所も検問所があったというが、そんな大邸宅じゃ、いくら警備が厳重だとしても目立ってしょうがない。しかし、きっとビンラディンは、誰もが羨むようなハーレムな生活だったに違いない。そういった意味じゃ、そでまで、いい思いをしてきたんだから…なんて思ったりするのだが。

 ■■ビンラディン率いるアルカイダから命を狙われたEMINヨM■■

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ところで、ウサマ・ビンラディンで思い出すのは、何と言ってもEMINヨM(エミネム)である。
あれは、確か、テロのあった翌年02年のことだった。エミネムは、「ウィザウト ミー」という作品のプロモーション・ビデオ(PV)の中で、ビンラディンをオチョクリまくった。今、ここに当時のPVがないので、全てを覚えているわけではないが記憶を辿れば、確かエミネムが白ヒゲと迷彩服の格好でビンラディンに扮し、洞窟の周りでダンスをしたり、降伏の「白旗」を掲げて意味深な行動をとった内容で波紋を呼んだ。
思い出すのは、このPVが大反響を呼んで「エミネムがビンラディンから命を狙われている」と全世界で大きな話題になった。とにかく、エミネムがアルカイダの標的になれたというのだ。凄いではないか。ビンラディン率いるアルカイダが「米中枢同時多発テロの次はエミネムの殺害」っていうんだから…。
 因みに、02年の「第45回グラミー賞」は、この年だけロサンゼルスからニューヨークに移して開催された。で、エミネムはアルバム「ザ・エミネム・ショウ」(日本では02年4月に発売された)で、「年間最優秀レコード」「年間最優秀アルバム」「最優秀ラップ・アルバム」「最優秀ラップ・ソロ・パフォーマンス」、そして同盤からシングル・カットされた「ウィザウト・ミー」のPVで「最優秀ミュージック・ビデオ」の合わせて5部門にノミネートされた。その結果「最優秀ラップ・アルバム賞」と、PVで「最優秀ミュージック・ビデオ賞」の2部門を制したわけだが、あの頃のエミネムとビンラディンが懐かしい…。