Archive for 10月 10th, 2010

祝・子持ち再婚!! “平成の吉永小百合”になりそこなってスキャンダラスなアイドルに変貌した広末涼子(下)

日曜日, 10月 10th, 2010

全身刺青の癒し系キャンドル・アーティストのCandle JUNEと“子持ち再婚”した広末涼子は、かつては、それはそれは人気のアイドルだった。あの作詞家・松本一起さんも「あの子は素晴らしい才能の持ち主」なんて絶賛していた。とにかく“麻薬的”な人気だった。NTTドコモも始めCMにはいっぱい出ていたし、写真集なんかも何十万部も売った。それだけに早稲田大学合格で、早大関係者の中には“広末効果”を期待する声が上がったほどだ。というのも当時、早大は受験生が減少。ピーク時には16万人を超えていたが97年は約10万人と6万人も減った。当然、1人3万円だった受験料も減る。ピーク時に比べ約18億円もの減収になったという。これは、受験料が収入の多くを占める私立大学にとっては大きな痛手だった。しかし、「日本一忙しい女子高生」と言われた広末の合格で「広末に会えるかも」というアホな受験生の急増が見込まれたのだ。考えてみれば受験生もバカにされたものである。
当時、「広末待望論」は早い段階から大学上層部でも起こっていたようだ。ある大学関係者は「広末が早稲田を希望していると聞いて、大学の上層部は色めき立っていました。減収をすっと嘆いていましたから。(98年)7月ごろには広末の高校の上層部と旧知の仲の幹部が、広末が本当に受験の意思を固めていると聞いて、まさに大歓迎でした。受けるというだけで、受験者が増えることは間違いないですから」と明かした。
広末の受験は、のどから手が出るほど欲しかった受験者増の起爆剤だったわけだ。
「内申書、自己PRなどは事実、優秀でした。でも、あそこまでマスコミで報道されて注目を浴びたら、世論的にも落とすわけにはいかないでしょう」(前出の大学関係者)と微妙なニュアンスで語っていた。
それでも晴れて合格したことに、早稲田OBも祝福した。小渕恵三首相(当時=故人)は「名前ぐらいは知っている」とした上で「合格したのは大変喜ばしい。心からお祝い申し上げたい」と祝福したが、実際、受験者は”広末効果”で倍増したと言われる。
大学関係者によると「とりあえず受けてみるという受験生(予備校生)が増えました。特に、教育学部は増えた」と受験生の実態を明かしていた。しかし、その一方では「前年が特に受験生が減ったので、最初から『今回は若干増える』と言われていました。そういった意味では”記念受験”という浮動票だったのでは」という大学関係者の声も…。
さて、広末は早大に合格したものの、大学に登校したのは99年4月1日の総合入学式から87日も経った6月26日のことだった。ドラマの収録などスケジュールに都合がつかなかったことが要因だった。
午前8時30分。待ち構えた150人以上の報道陣に一瞬驚きならも正門から教室に向かった。初授業は、必修科目の語学で、途中、昼休みを挟んで3講義を受けた。報道陣から、初登校の感想を求められた広末は「授業を受けることが出来て嬉しかった」と笑顔で語っていた。
この広末の初登校は、スポーツ紙ばかりではなく、朝日新聞や読売新聞、毎日新聞などの一般全国紙も夕刊の1面で報じるほどのニュースとなった。また、テレビもTBSが昼のニュースで速報。夕方のニュースでは各局が授業や会見の模様も織り交ぜて一斉にトップ・ニュースで伝えた。
しかし、その広末のキャンパスライフも3年間でピリオドを打った。03年10月6日、自主退学したことを明らかにしたのだ。「学業と仕事を何とか両立すべくスケジュールをやりくりしてきたが、中途半端な結果を双方に残したくない」と理由を説明した。 入学当初から通学が難しく、出席日数不足に陥っていた。取得単位数は、卒業に必要な124単位の3分の1にも満たないまま「5年生」になり、結局、卒業することを断念。”平成の吉永小百合”は幻に消えた。
そして、その年の12月15日にはモデルの岡沢高宏と“出来ちゃった結婚”。かつての超人気アイドルは、まさに幻想となり、その後は単なるスキャンダラスなアイドルへと変貌してしまった…。