13年前のきょう…(下)ダイアナ元英皇太子妃の死を悼みE・ジョ ンが追悼曲「キャンドル・イン・ザ・ウィンドウ」

フランス/パリのアルマ・トンネルでのダイアナ元英皇太子妃の事故死は、休暇シーズン最後の日曜日を迎えた97年8月31日の英市民にとって思いもかけない悲報となった。当初、英BBC放送は「足に重傷を負ったが命には別状なし」と報道していた。ところが、間もなく事故の際に負った脳損傷などが原因で死去したことが報じられ市民の気持ちは重く沈んだという。
ところで、ダイアナ妃の乗った車が事故を起こしたことについて、直接の原因として、著名人のスクープ写真を狙う「パパラッチ」と呼ばれるフリーカメラマンの執拗な追跡が指摘された。ダイアナ元妃を乗せたハイヤーは、パパラッチのバイクをまくためにコース変更したことが悲劇につながったと言われた。この事故がキッカケとなって当時、日本では「パパラッチ」という言葉が流行語の1つにもなった。
フランス警察当局は事故後、現場にいたカメラマン4人の身柄を拘束するなどして事情聴取した。警察当局は「殺意なき殺人罪」を適用できるかも含め捜査したと言われる。
ダイアナ元妃は、亡くなる直前にフランスの大衆紙「ルモンド」のインタビューに「マスコミは残忍、情け容赦なく、あら捜しばかりしている」と、痛烈なマスコミ批判をしていた。その直後に、パパラッチによる追跡が引き金になって事故が起こっただけに、その波紋の広がりは大きかった。
当時を知る関係者が言う。
「亡くなった直後は、パパラッチの他にも、英国情報局秘密情報部(M16)による暗殺説や、ハイヤーの運転手が抗うつ剤を飲んだ上、飲酒もしていたなど、さまざまな憶測が出たが、最終的には、パパラッチの追跡から逃れようと160キロものスピードを出していたことが判明した。直接の事故の要因は、トンネル内でパパラッチのバイクを避けようとしてハンドル操作を誤まったようです」。
ダイアナ元妃と同乗して亡くなった”新恋人”のエジプト系英国人の大富豪のドディ・アルファイド氏の父親で、パリの「ホテル・リッツ」や英高級デパート「ハロッズ」などを所有するモハメッド・アルファイド氏も「パパラッチが2人を追いかけていなければ、この悲劇は起きなかったことは疑いがない。(パパラッチの執拗な追跡は)まったく容認できない」と痛烈に非難した。
一方、南アフリカのケープタウンで、ダイアナ元妃の悲報を知った実弟であるアール・スペンサー氏も、緊急会見をして「マスコミがダイアナを殺すと思っていたが、ここまで直接的とは思わなかった」と怒りを隠さなかった。
夏の終わりを告げる曇り空のロンドン。元妃の住まいのケンジントン宮殿の前には、花束を供える市民の姿が連日続いた。数百の花束や元妃の写真で埋まった門では、地面に泣き崩れる女性の姿も目立ったという。
当時、再婚の是非が取りざたされていたチャールズ皇太子やウイリアム王子ら2人の息子、エリザベス女王らは、滞在先のスコットランドのバベモラルの教会で冥福を祈った。15歳だったウイリアム王子は、母を失った哀しみに打ちのめされた様子だったという。
葬儀は、9月6日に英ウェストミンスター寺院で「国葬」に準じた形で執り行われた。葬儀では、友人だったエルトン・ジョンが追悼曲として「キャンドル・イン・ザ・ウィンドウ」を生演奏したが、同曲は全世界で空前の大ヒットとなった。
元妃の死因については、その後も再三、審問され続けてきた。06年末にも検視官によって事故原因の特定が進められたが、最終的に「運転手の無謀な高速走行による事故」と断定され、パパラッチのへの責任については直接論議されなかった。
これについて関係者は「事故原因は断定されたが、やはり水面下では”陰謀説”も根強くつきまとっているんです」と言うのだが…。

13年前のきょう…(上)“伝説のプリンセス”ダイアナ元英皇太子妃がパパラッチに追われ非業の死を遂げる!!

世界中から愛された“伝説のプリンセス”ダイアナ元英皇太子妃が、フランス・パリで非業の死を遂げたのは13年前のきょう――97年8月31日のことだった。享年36歳。
ダイアナ元妃は、パリの最高級ホテル「ホテル・リッツ」を“新恋人”だったエジプト系英国人の大富豪、ドデイ・アルファイドと共に、独のメルセデベス・ベンツ社の最高級車Sシリーズの「S280」のハイヤーに乗って出たところ、パパラッチのバイクに追跡された。ハイヤーは、パパラッチをまくために、激しいカーチェイスを繰り返した果てに、パリ市内のアルマ・トンネル内で交通事故を起こしハイヤーは大破、ダイアナ元妃は急逝した。
当時を知る芸能関係者。
「ダイアナ元妃の新恋人は、ホットなニュースとして当時、大きな話題になっていましたね。まさに”ダイアナの夏”でした。それだけに元妃の死去は衝撃的な出来事になりました。それも休暇シーズン最後の日曜日だったのでショック度は大きかった。2人がいたリッツは、交際相手のドディ氏の父親が所有するホテル。”新恋人”が出来て、つかみかけた幸せを実らせることもなく亡くなった悲劇のプリンセスの運命には、英国市民の気持ちは重く沈みました」。
2人は、リッツを出て、ドディ氏の自宅があるパリの最高級住宅街16区に向かうつもりだった。だが、ホテルを出てコンコルド広場を通り、16区に向かうのならアルマ橋脇へと左折せず、セーヌ川を左に見て直進するのが最短ルートである。それが、事故を起こしたアルマ橋下のトンネルへと左折したのは、追いすがるパパラッチのバイクをまこうとしたためとの見方が強まった。このルート変更が事故死の要因になったと言われたが、その原因を作ったのは紛れもなくパパラッチの存在。それだけに「パパラッチがダイアナを殺した」といった批判が市民の間で巻き起こった。
事故を起こしたベンツは、車体の頑丈さなどから当時、市販されていた車の中でも「極めて安全性の高い車」と言われていた。それだけに、事故の凄まじさも大きなニュースになった。ベンツ社は、ロイター通信の取材に「あのような状況では、どんな車に乗っていても生存することは不可能なろう」と語ったという。
ハリウッドの映画俳優らも巡っても、この種のトラブルが絶えなかった。それだけに、パパラッチがダイアナ元妃の事故死を引き起こしたことに、米ロサンゼルスでは「プライバシーを無視した金目当ての行為が、大きな悲劇を招いた」と、改めて批判が高まったという。
もっとも、激しい衝突事故だったにも拘らず、元妃の顔には殆ど傷がなかったとも言われる。事故後、同妃が搬送された病院で遺体を目撃した関係者が証言したもので「(生前)彼女は美しく死にたいと願っていた。彼女の顔は保たれていた」と述べたと言う。
因みに、「パパラッチ」とは、故フェデリコ・フェリーニ監督がイタリア映画「甘い生活」(60年)で、著名人のスクープ写真を撮るために、執拗に追跡するカメラマンを指す言葉として使ったもので、それがヨーロッパでは定着していた。
事故直後、ダイアナ元妃は生存していたと言われる。駆けつけた救急隊員が対応したというが、その現場に居合わせた4人のパパラッチは、その救助活動にも手を貸すことなく現場の写真を撮り続けたことが、世界中が驚愕した。(つづく…)