「休養ではなく引退」と断言した堀ちえみだが10年後には完全復帰!! 引退の理由は23年経った現在も“謎”!(下)

「休養ではなく、私は引退します」。
堀ちえみは「最後のテレビ出演」となった、フジテレビ「夜のヒットスタジオ・デラックス」(87年3月11日放送)で、司会者だった芳村真理にキッパリと答えていた。堀の「引退宣言」に、一瞬、生放送中のスタジオは静まり返った。堀の後ろに座っていた同期の早見優は唇を噛み締めたまま下を向いたまま。隣にいた”シブがき隊”もうつむいたままだった。
「休養ではなく引退」。
堀の「引退宣言」の衝撃は、芸能界を震撼させた。しかも、堀は、引退についての具体的な理由は全く話さなかった。しかも、普通、引退というのなら、それなり”引退興行”を行うものだ。キャンディーズやピンクレディは後楽園球場、山口百恵は日本武道館、森昌子は歌舞伎座と、必ずファンとのラスト・シーンがセットされていた。当然のことだが堀は、人気絶頂のアイドルだった。「辞めたい」と言って、ファンも、すんなりと納得するわけない。ところが、堀には、全くそういったことがなかった。
「引退が決まったのが急だったものですから。会場を探したんですけど見つからなかったようですね。それに”サヨナラ・コンサートをやって”という感じでもなかったようですね」(当時を知る音楽関係者)。
余りの呆気なさに、堀の引退の原因に注目が集まった。
「堀ちえみ長期休養」のニュースが芸能界に流れたのは、87年2月だった。「50キロの体重30キロに激減した」「まん丸だった顔が痩せこけた」「拒食症に陥ったようだ」。堀の周辺からはさまざまな情報が流れた。
「この時に噂されたのが、アレンジャーの後藤次利氏との関係だったんです。後藤氏との不倫密会騒動で精神的に参っているようだと言われていたんです。長期休養のニュースが流れた時は、神経性胃炎とか胃下垂という最悪の状態だったと言います」(芸能関係者)。
当時、ホリプロ関係者は「本人が若さと体力だけでは持続できないところまで来ています。思い切って、お母さんのところに帰して、環境を変えれば、意外に健康面でも精神面でもうまくいくかもしれない」と答えていた。
後藤氏は、元アイドルの木之内みどりと結婚していたが、堀との不倫が噂された当時は「別居生活」を送っていたと言われる。「離婚は時間の問題」とも噂されてた。
「堀は、後藤氏との関係で悩んでいたことだけは確かです。ただ、今になってみると、後藤氏との関係以上に堀を精神的に追い詰めていたものがあったのかもしれない。もちろん”アイドル・キラー”後藤氏と知り合っていなければ、こういったことにならなかったかもしれませんが…」(放送関係者)。
その堀は、実は、引退の理由を当時、情報誌「オリコン・ウイークリー」のインタビューで吐露している。
「(引退を目前に)冷めています。あとは、淡々と仕事をこなすだけみたいな感じで、何か不思議な感じ」とした上で、「いくら脱皮といっても、アイドルはアイドルだと思うし、アイドルなんてそんなに長く続くものじゃない。だったら、歌が歌えなくなる前にやめちゃおうって。歌が好きだから辞めるんです。歌に対してとか、芝居に対してとか、お金に対してだとか、執着心があったら、多分辞められなかったと思う。本当は、フェイド・アウトしたかったんですけどね」。
と、引退の理由を述べた上で、「拒食症」と言われたことに対しては「マスコミの人は凄くしつこかった。本当のことを全く書いてくれなかった。悔しかった。もう拒食症だの、心身症なのって勝手に病名までつけて。最後は”勝手に書けば”って感じでした」。
と、珍しく言いたい放題だった。
大阪に戻った堀は89年に外科医の男性と結婚、3人の男児を生んだ。しかも、「絶対に芸能界へ復帰はない」と断言していたが、大阪で「松竹芸能」と新たにマネジメント契約を結び、関西のテレビにコメンテーターとして出演するようになり、改めて話題になった。また、97年にはNHK朝の連続テレビ小説「甘辛しゃん」にレギュラー出演して完全復帰した。
4年前になるが06年9月24日、東京・有楽町のよみうりホールで「青春の忘れ物」と題した18年ぶりのコンサートも行った。会場には同期の早見優や松本伊代も駆けつけた。また、CDも発売するまでになった。
因みに、タレントの堀美矢子は実妹。94年東レ水着キャンペーンガールの堀恵子は従妹だ。
「リポートなどで仕事をさせていただいていますが、もともとは歌手でデビューしたので、もう一度、キチンと感を取り戻して頑張りたかった。これからも歌手を続けていきたい」。
それにしても23年前の「引退宣言」は、今もって”謎”となっている。