M・ジャクソンの血を受け継いだ?“隠し子”がプレミア来日! 命日前日24日に都内でライブ・パフォーマンス!!

20100616104812.jpgマイケル・ジャクソンの“隠し子”として噂になっているシンガーソングライターのブランドン・ハワード【写真】が、何と大胆にもマイケルの一周忌に合わせ、来日することが決まった。計画によれば、マイケルの命日の前日24日には東京・日比谷のクラブでライブ・パフォーマンスも計画している。音楽関係者は「父であるマイケルの追悼ライブになるのでは…」と言う。マイケルが愛した日本の地で、マイケルの血を受け継いだ実の息子が何を語るのか大いに注目されるところだ。
マイケルの“隠し子”騒動について、ブライアン・ハワードのマネジャーは、彼の母親が80年代のブラック・ミュージック・シーンでサイド・エフェクトのリード・ボーカリストとして活躍し、ソロでもヒットを連発したミキ・ハワードであることは認めているものの、マイケルさんの”隠し子”かどうかについては歯切れが悪い。戸惑いの表情を隠せなかったと言う。
「マイケルの子供と言ったら、プリンス君とパレスちゃん、そしてブランケット君でしたからね。マイケルの側近だったら誰だって戸惑いますよ。ただ、マイケルの父親のジョー・ジャクソンがCNNのインタビューで、ブランドンが実子ではないかと聞かれ、言葉を失ってしまったことは認めざるをなかった。いずれにしてもブランドンがマイケルの血を受け継いだ実子であることは確かでしょう。もっとも、『今さら…』と言うのか、認めたくない勢力もあることも事実です」(米ロス在住の日本人音楽ライター)。
しかし、そういった一連の“隠し子”騒動を隠すのかと思っていたら、実は、そうでもない。ブランドンはマイケルの一周忌を日本で迎えることを決めた。
ブランドンが所属するユニバーサル・インターナショナルでは「アルバム発売のプロモーションで打診していたところ、スケジュールが偶然に一致しただけ」と、他意のないことを強調するが、米ロス在住のプロモート関係者は「何らかの意味や意図がなければ、わざわざその時期に来日させるようなことはしない」と言い切る。
現在の予定では、6月22日にも来日し約1週間程度滞在する模様で、マイケルさんの命日にあたる25日の前日――24日には東京・日比谷のクラブでプレミア・パフォーマンスを行う予定だと言う。
ブランドンは7月7日にアルバム「ジェネシス」を発売する。世界に先駆けて日本からデビューするというのだ。ライブは、自身アルバムのプロモーションを兼ねたものだが、それにしても、この時期を選んだこと自体、大きな意味があることは確かだろう。
「日本が大好きだったマイケルの遺志を受け継いだような印象さえ受けます。世界の中でマイケルを暖かく迎え入れたのは何といっても日本でしたからね。マイケルの血を受け継いだブランドンは、マイケルの命日に日本で自らのデビュー・アルバムを世界に発信したいと考えているのかもしれませんね」
前出・米在住の音楽ライターは、そう分析する。
情報によると、ブランドンはマスクも歌声も雰囲気もマイケルさんにそっくりで、特に、ダンスはマイケルさん張りと評判。あくまで噂だが、24日のライブではマイケルの「ビリー・ジーン」も披露するのではないかと言われている。
「ビリー・ジーン」は、マイケルさんの82年のヒット曲。日本のファンの間でも最も人気のあるが、この曲は、マイケルさんがブランドンの母親であるミキ・ハワードをモデルに書き下ろしたとされているだけに、もし、噂通り、ブランドンが「ビリー・ジーン」を歌ったら、マイケルさんの一周忌のサプライズになることは確実だ。
いずれにしても、ブランドンがマイケルさんの実の子であるかどうかは,DNA検査をしなければ確実なことは判明しないが、状況的、客観的事実からマイケルさんの血を受け継いだ実の息子であることは間違い。

所属事務所やレコード会社の説得にも首をタテに振らず“電撃引退”した堀ちえみ(中)

アイドルとしてトップを突っ走っていた堀ちえみの突然の“電撃引退”は、所属事務所だったホリプロや所属レコード会社のキャニオンレコード(現ポニーキャニオン)を震撼させた。
「アイドルの育成には莫大な先行投資をしなければならないんです。当時でさえ数億円と言われていました。1、2年目は投資して、3年目ぐらいから投資した金額を回収していくというのがプロダクション運営。それが、これからという時に引退されたんでは元も子もない。プロダクションとレコード会社で連日、本人を説得したといいます」(音楽関係者)。
しかし、堀は最後まで首をタテに振ることはなかった。
「もちろん、何とかならないかという論議になったが、とにかく、20歳を機に引退したいと一点張りでした。確か、体力面で続けることが出来ないと言っていましたね。結局は、本人の意思を尊重して引退ということになったんです」(当時を知るキャニオン関係者)。
引退までに発売したシングルは21枚、オリジナル・アルバムは10枚だった。
「5年間、一生懸命にやってきました。悔いは全くありません」。
「休養ではなく引退します」。
87年3月11日。当時、フジテレビで放送していた音楽番組「夜のヒットスタジオ・デラックス」に生出演した堀は、初めてブラウン管から別れを告げた。しかし、実は、この時点では、ホリプロ側は「引退」ということは口にせず、「体調を崩したため”長期休暇”をする」と、周囲に伝えていた。「堀の気が変わることを期待していたフシもあった」(芸能関係者)。しかし、堀はキッパリと「引退」を宣言してしまった。
番組終了後、東京・河田町(当時)のフジテレビ内で記者会見が行われた。その席でも堀は気丈だった。
 「私は、まだ20歳です。これから未来が明るいですから…。1つの人生にケジメをつけて自分にとって大切なことをこれから探していきたいと思っています」。
 スッキリした表情で心境を語った。
一部には、引退の理由は健康面ではなく「アレンジャーの後藤次利との関係があるんじゃないか」(事情通)とも噂された。
当時の後藤は「翼の折れたエンジェル」の大ヒットで知られた中村あゆみや、工藤静香とも噂があった。つまり「恋の病が引退の要因ではないか」とも言われていたのだ。しかし、堀は、後藤との関係についてもキッパリと否定した。
「3月いっぱいで仕事を辞めた後、4月には大阪の実家に戻ります。”普通の女の子”として生活します」。
堀は、引退後の4月5日にラスト・シングル「紅(スカーレット)白書」を発売して、芸能界から去っていった…。
(つづく)