あの有田芳生サンの姿がない…アジア各国から800人のファン!!テレサ・テンさん没15年目追悼セレモニー

holiday-RIMG4676.jpgholiday-RIMG4700.jpg“アジアの歌姫”テレサ・テンさん(本名=鄧麗君・享年42)が亡くなって15年という年月が経った。早いものである。この前、若い20代の記者とテレサさんの話になったが、テレサ・テンのことを知らなかった。実に情けない話である。テレサ・テンといえば「時の流れに身をまかせ」や「つぐない」「空港」「別れの予感」…いっぱいある。カラオケなんかでも歌う人は多いはずである。時代の流れ…という話ではない。
今回の台湾は、テレサさんの没15年と言うことで、その追悼セレモニーに来た。
思い返せば、あれは15年前の95年5月8日夕刻のことだった。テレサさんは休暇で滞在中だったタイ北部のチェンマイで気管支ぜんそくの発作による呼吸困難で急死した。享年42歳だった。奇しくも90年(平成2年)に死去した父親の命日も同じ5月8日だった。
テレサさんは、日本では単なる「流行歌手」の枠でしか見られてなかったが、生涯の後半は台湾、香港、中国の政治の渦に巻かれた悲劇のヒロインでもあった。それだけに、テレサさんは急死は台湾、香港の放送や新聞などで連日トップで報道された。その報道内容は「アジアの歌姫の急逝を悼む内容がほとんどだった」という。
テレサさんの遺体は、遺族の要請で5月11日深夜に台湾・台北国際空港へと空輸された。
台湾では国民的歌手だったことから、「台湾政府葬儀委員会」が発足し、5月28日に台北市第一殯儀館で国葬並みの葬儀が行われた。参列者は台湾はもちろん北京や日本からもファンが押し寄せた。その人数は3万人にも及んだと言われる。
しかし、その一方でテレサさんの死因については、さまざまな憶測があったが、一部情報には「エイズ死亡説」なんていうのもあった。その噂について、今回、実兄(三男)でテレサ・テン文教基金会の会長も務めているフランク・テン氏に改めて聞いてみた。
「彼女は風邪で体調を崩していた。彼女が運ばれたチェンマイ市内のラム病院の医師、スメット・ハンタクン氏も激しい発作を起こして危篤状態に陥っていたと言っている。チェンマイには、空気のいい土地で保養にいいということで過ごしていた。色々な噂は出たが、気管支ぜんそくで呼吸困難になったことは間違いない」。
そう断言していた。
ところで、日本では、X JAPANのギタリスト十三回忌があったが、十三回忌というは日本だけのようで、十三回忌だった07年は東京・有楽町の日生劇場で舞台をやったり、有田芳生氏の著書「私の家は山の向こう テレサ・テン10年目の真実」がドラマ化(「テレサ・テン物語」がテレビ朝日で放送)された。
そして、今回は15回目で大規模な追悼セレモニーとなった。テレサさんの眠る金宝山墓園には、日本の他、中国、香港をはじめシンガポール、マレーシア、フィリピンからもファン800人が駆けつけ、テレサさんの墓前に献花した。もちろん、セレモニーにはフランク氏の他、テレサさんの実兄(長男)であるチャン・ヤン・テン氏(67)も顔を出していた。
因みに、テレサさんの眠る金宝山墓園は、台北から車で1時間半はかかる台湾の最北端。しかし、台北市内、それに東シナ海と太平洋が一望できる。墓地の入り口の地面にはCDの形がデザインされたり、ピアノをデザインしたものが作られていて、とにかくファンがテレサさんの曲を実際に聞くことに出来るような設備が完備されていた。
それにしても、どうしょうもないのが、有田さん。5年前の10年目の追悼セレモニーには来ていたが、あれは、単に本が出版されたからだった? 今回は、本もないし、ドラマ化の話もなければ、行ったからと言ってテレビ出演もないから、この夏の参院選にもつながらない? とにかく「メリットなし!」と判断したのだろうか? しかし、テレサさんの本では、ドラマ化されたり、かなり名前を売ったはず。本来なら、足を向けて寝られないはずだが…。出席は事前に断ってきたらしいが、いずれにしても人情味のない人である。もっとも、テレサの亡くなった15年前はオウム・ウォッチャーだったし…。