ユーミン「『いちご白書』をもう一度」の題材を提供した音楽プロデューサー前田仁さん死去!!

20100118170302.jpg音楽業界の重鎮が、また1人逝ってしまった。
音楽プロデューサーとして活躍されていた前田仁さんである。最近、連絡を取っておらず、その様子は知らなかったが肺がんで療養していたという。1月15日に亡くなったという。それにしても、まだ63歳である。
前田さんは、早稲田大学を卒業後、就職で受けた商社に入れず、69年にCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)に入社した。その後、エピック・ソニーに移ったが、ピーター、にしきのあきらに始まり、よしだたくろう(吉田拓郎)、岡林信康、中川イサト、斉藤哲夫、ばんばひろふみ、ふきのとう、山本コータローなど、多くのアーティストたちの歌を世に送り出してきた。音楽業界では「ニュー・ミュージック」というジャンルを最初に築いたのが前田さんだった。
前田さんで、よく聞く話が荒井由実(松任谷由実)が作り、バンバン(ばんばひろふみ)が歌って大ヒットした「『いちご白書』をもう一度」だろう。この作品は、早大での紛争を経験した前田さんの提供した素材をもとにユーミンが作り上げたものだったと言う。
エピック・ソニーを退社した前田さんは、85年にポリドール(現ユニバーサルミュージック)に入社し、取締役邦楽本部長に就任した。ポリドールでも多くのヒット曲を作り上げたが最後はスピッツだったかもしれない。ポリドールを辞めた前田さんは、スピッツや浜田省吾らが所属するロードアンドスカイなんかの出資で、「ジングル・プラス・エンジェル」という新しいレコード会社を設立した。96年のことだ。前田さんに誘われて、僕の知り合いも何人か、その会社に入った。
その頃、毎週、何度か前田さんとは会って、お茶をしたり食事をしたりしたが、ヒットが生まれなかった。確か、現在は俳優としても活躍中の藤重政孝なんかをやっていたような…。その後、このレコード会社も消滅し、前田さんはフリーに転じたが、そこは「名物プロデューサー」である。業界内では知られていただけに、何だかんだと頑張っていた。
しかし、聞くところでは、体調が思わしくなく、ここ数年は、思い切った仕事が出来なかったそうだ。肺がんが発見されてからは入退院を繰り返していたといい、手術も何度かしていたという。壮絶な闘病生活だったようだ。
通夜は1月20日、葬儀・告別式は21日に東京・西五反田の「桐ヶ谷斎場」で行われる。

寺山修司さんに見出された歌手・浅川マキさんが名古屋市内のホテル浴室で急死!!

劇作家の故・寺山修司さんに見出され、団塊の世代から人気の高かったシンガーソングライターの浅川マキさんが17日夜、愛知県名古屋市内のホテルの浴室で倒れているのが発見され、救急車で名古屋大学医学部付属病院に搬送されたものの死亡が確認された。
関係者によると、発見時に既に心肺停止状態だったとも言われる。67歳だった。
浅川さんは、石川県出身。米軍キャンプやキャバレーなどで音楽活動を始め、67年に「東京挽歌/アーメン・ジロー」をビクターから発売した。
68年、劇作家の寺山さんに見出され東京・新宿のアンダー・グラウンド・シアター「蠍座」で初のワンマン公演を3日間に亘って行った。
ビクターから東芝音楽工業(現:EMIミュージック・ジャパン)に移籍し、69年7月1日に「夜が明けたら / かもめ」を発売したが、これが正式な歌手デビューだとされている。大晦日に東京・池袋文芸坐ル・ピリエで行っていた定期公演は有名だったとか。00年以降はジャズ・クラブ「新宿 PIT INN」を本拠地として定期公演を再開、 ジャズ、ブルースや黒人霊歌を独自の解釈で歌唱していた。
浅川さんは、15日から3夜に亘って名古屋市内のライブハウスでジャズ・ライブを行っていたが、17日の最終日に会場に来なかった。何度か浅川さんに連絡したものの、連絡がつかないことを不審に思った関係者が宿泊先のホテルの部屋を訪ねたところ浴室で倒れているのを発見、急いで救急車を呼んだが、既に死亡していたという。愛知県警は「事件性は薄い」と説明しているだけに、心臓麻痺など病死した可能性が大だ。葬儀は遺族の意向から密葬となる。
親交のあるアーティストや文化人には泉谷しげる、坂本龍一、仲井戸麗市、つのだ☆ひろ、長谷川きよし、山下洋輔、後藤次利、坂田明、カメラマンの田村仁などがいるだけに今後、お別れ会なども考えられるが現時点では未定だ。

小沢一郎4億円の裏金疑惑のキッカケとなった元福島県知事・佐藤栄佐久の収賄事件と小椋佳との気になる関係!!

ついに日本最強の政治家・民主党幹事長・小沢一郎と日本最強の捜査機関・東京地検特捜部の最終戦争が勃発した。小沢にしても、地検にしても、もはや引き返すことは出来ない。ここまできたら下手なドラマを観るより面白いだろう。
それにしても、地検特捜部は小沢の元秘書で民主党衆議院議員の石川知裕、元私設秘書の池田光智、さらには小沢の元会計責任者で公設第1秘書だった大久保隆規=公判中=まで政治資金規正法違反(不記載)の疑いで逮捕した。「特捜部の暴走」とは言っても、現職の政治家まで逮捕するのだから、確実なものがあったのだろう。
ところで、今回の事件では鹿島建設も強制捜査をしたが、小沢の「問題の4億円」について、地検特捜部は水谷建設から小沢に裏金1億円が入ったと見ている。この裏付けとなったのは、4年前の96年10月に収賄容疑で逮捕された当時の福島県知事・佐藤栄佐久だったらしい。佐藤栄作という総理大臣がいたが、この御仁は佐藤栄佐久。ま、名前が同じと言うだけで、政治家としては月とスッポンだったようだ。しかし、腹黒さでは比べ物にならなかった?
余談はともかく、水谷建設から小沢への1億円の裏金は、その時に佐藤栄佐久の捜査をした際に佐久間達哉特捜部長が聞いたらしい。その後、水谷建設で逮捕された幹部が塀の中で「小沢に渡した」とか証言したそうで、疑惑が深まったと言うのだが、小沢の4億円のうち1億円が裏金だったと、どこで、どう判断するのか?やはり証言を引き出すしかないのだろう…。
それにしても、改めてというか、収賄で逮捕された、この佐藤栄佐久という男は凄い人だった。逮捕の容疑は福島県発注の下水道工事を巡る談合だった。
1億円の収賄の容疑。ダム工事受注に便宜を図った見返りに、建設業者と(佐藤栄佐久の)実弟・佐藤祐二(逮捕)の経営していた衣料メーカー「郡山三東スーツ」との間で行われたとされる土地取引を巡る資金の一部が、賄賂に当たると判断されたのだ。しかも、この「郡山三東スーツ」は、何と、日本オリンピック委員会(JOC)との癒着まで指摘されていた。地元の住民が言う。「実は、オリンピックの日本選手団や役員が着ているスーツは郡山三東スーツが独占的に受注していたんです。地元では『何で、郡山のような田舎の会社なんかにオリンピックのスーツが獲得できたんだろう…』って話題になっていたほどです」。
佐藤栄佐久は、この衣料メーカーの会長だったこともある。しかも筆頭株主だった。
結局、佐藤栄佐久に関しては、収賄容疑だけで終わりになったが、この事件を捜査した佐久間は、動物的な勘からか?当時から「絶対に何かある」と思っていたに違いない。そこで2年前に特捜部長になった佐久間は「もしかしたら、ここからデカい山を狙える」と判断したのかもしれない。案外、捜査のキッカケは単なる先入観のようなものだったかもしれない?
それにしても、今さら佐藤栄佐久の逮捕を振り返ったところで何も意味がない。それより、いつだったか記したことがあったが実は、佐藤栄佐久は小椋佳とじっ懇の間柄だったのだ。
――小椋佳と言えば、誰もが知っているだろう「シクラメンのかほり」や「俺たちの旅」「愛燦燦」など数々のヒット曲をもつシンガー・ソングライターである。
「2人は東京大学法学部の先輩、後輩の間柄なんですよ。福島県内で小椋がコンサートをやっている時は、どんな都合があっても会場に駆けつけていました。正直言って異常な感じだったので、いつも話題になっていました」
と地元の関係者。
経歴を見ると、確かに佐藤前知事も小椋も東京大学法学部卒業。佐藤が卒業した昭和38年に、小椋は東大法学部に入学している。入れ替わりだった。卒業後、小椋は勧業銀行(その後の第一勧業銀行、現みずほ銀行)に入行した。その小椋と、佐藤前知事との”出会い”について、ハッキリしたことは分からないが、佐藤前知事は、「日本青年会議所」の副会頭を務めていた。また、参議院時代には「大蔵政務次官」にもなった。となると、その時代に関係を深めた可能性がある。
「佐藤前知事は、当時から小椋のファンでしたからね。第一勧業銀行の行員だった小椋に近づこうと思えば、いつでも出来る状況にあったはず」(地元紙の記者)。
佐藤が逮捕された96年12月に福島県文化センターで小椋のコンサートがあった。
佐藤は知事を辞めても「コンサートに行きたい」と周囲に漏らしていたそうだが、逮捕されたため行くことは叶わなかったそうだ。
しかし、佐藤の収賄容疑とは関係ないが、小椋佳との関係も「単なるファン」と言うには「ちょっと限度を超えていた」と言われるだけに、気になるところだ。