Archive for 6月 28th, 2009

信頼してたマネージャーに裏切られ…。日テレジェニック橘麗美の“引退宣言ブログ”とは…

日曜日, 6月 28th, 2009

20090628190617.jpg「グラビアをやり始めたのは歌手になるためでした」「私の夢はあくまで歌手。グラビアアイドルが歌を出したみたいに思われたくありませんでした」「信頼してたマネージャーに裏切られ、ショックでblogで普通に振りまうのに精一杯でした」
最後に思いの丈を言い放ったグラドル橘麗美は、自身のブログ「レイミ的ハッピーラボ」で何を言いたかったのか?
彼女のブログの全文は次の通り。

突然ですが。
私は芸能界をやめます。
これ以上嘘は付けられません。
応援してくれる皆の為にも長いですが自分の正直な気持ちを話します。

グラビアをやり始めたのは歌手になるためでした。
自分は歌唱力も中途半端、かといって素敵な曲が作れる訳でもない。
だけど諦め切れない。
ならば、皆に先に自分の名前を知ってもらおうと、1番最初の事務所と話した結果、グラビアを始める事になりました。
最初の事務所はグラビアに強い事務所だったので、何かと順調にグラビアに進出出来、日テレジェニックやヤングジャンプの制コレにありがたい事に選ばれました。
自分の体に自信なんてないし、カメラ嫌いだし、グラビアをやることで親に毎日のように「汚らわしい」とか、エロ本の表紙をやった時には「縁を切る」とか色々言われました。だけど「グラビアをやってるのは歌手になるための手段だから」ッテ毎日自分に言い聞かせてました。
その反面、blogでアイドルらしくしろとか、ただの汚いヤンキーとか、色々言われると、アイドルになんてあたしだってやりたくないのにッテ思ってました。
だけど夢の為だから頑張ろうと。
本当は全然明るくないし強くないし根性もないし根暗だしネガティブだし引きこもりなんです。
だけどいつしか明るくしすぎてれば、偉そうにとか、うるさいとか、口が悪いとかッテしてた方が何かとやりやすい事に気付いたんです。それがヤンキーとかのイメージに繋がって行った感じでした。
嫌だったけどもうそれで良いとも思えて来ましたし。
日テレジェニックや制コレの期間が終わる間近に、このまま自分が終わると思った私は最初の事務所にテレビにも出たいと言いました。でも事務所はテレビに力がないという事だったので、移籍しました。私の夢はあくまで歌手だからです。グラビアアイドルが歌を出したみたいに思われたくありませんでした。そのためにもテレビに出て、グラビアだけじゃない自分を皆に印象づけたかったんです。
移籍でblogでも周りでも沢山の人に罵倒されました。いくら説明しても分かってくれない。わからないのに勝手な事を言わないでとそのたびに思いました。
毎日泣いて毎日が不安で、だけど夢を諦めたくない気持ちでいっぱいっぱいでした。だけど、次に移った事務所も力がなく、私はいつの間にか違う事務所に移されてました。傷ついたケド、今度こそ事務所に大切にしてもらえる、これでまた頑張れると思っていたのに、マネージャーに裏切られました。それが発覚したのはオフ会まで2週間の時でした。信頼してたマネージャーに裏切られ、ショックでblogで普通に振りまうのに精一杯でした。
オフ会まで毎日泣いて傷付いてボロボロすぎました。それでもオフ会で応援してくれてる皆に会えるッテいう気持ちだけを支えにして過ごしてました。その間も朝カラ晩まで大人の嫌な面を目の当たりにして、何もしてないのに私自身のせいにされ、反抗することも、そんな力すらもありませんでした。表面上上手くいってるように見せる事しか出来ませんでした。オフ会当日もオフ会の後すぐに大人の中に放り投げられ、言葉に出来ない位怖かった。あたしはただ、皆で協力しあえたらなぁッテ思ってたのに。そして何度も何度も何度も訴えたのに無駄でした。そんな中、事情を知って助けてくれる大人に出会いました。
だけどその人は事務所を持ってないし、私もこれ以上移籍したら芸能界カラ干されると思ってナカナカ移籍出来ませんでした。でもその人は事務所を見つけてくれる、移籍しても大丈夫と説得してくれて、今までマネージャーに裏切られ、信用出来ないと思った私は絶対に事務所を見つけてくれるという条件で今までいた事務所をやめる事にしました。
私の誕生日の週に事務所を見つけるカラ大丈夫と言われたので待ちました。
だけどみつからず。
その次の週もみつからず。結局今日まで忙しいというよく解らない理由で事務所は見つからないという結果に。すごくよくしてくれてた方だから信頼してたけど、不安は募るばかり。仕事も「やりすぎコージー」以外メジャーなものはなく。雑誌にも出れず。ネットの番組で水着を着て笑って出てる自分を見て、あたしはどんどん夢カラ遠ざかってるンじゃないのかって思いました。

前はエロ本に出ようが、日テレジェニックだったしヤンジャンの表紙や他の雑誌にも出れてたから嫌なアイドル業も夢のためだと我慢できたケド、それよりも遥か下にいる私の今の姿はなんだろうと。

案の定、周りにも「明らかに仕事の質が落ちた」ッテ言われました。こんなはずじゃないのに。
夢は変わる事なく歌手なのに。

大人はそんなの無視。

いくら頑張っても頑張っても報われず。
誰にも助けて貰えず。
たった一人の小娘になにが出来ますか。
一人では無理だから事務所があるのに。
つらい事も誰にも言えず
一人で抱えて,髪がごっそり抜けて行く毎日。
どうやってこの状況カラ抜け出せるか。
明日は結局今日の続きなのだから。
一歩踏み出しても1000歩後ろに連れも出される。

blogで平静を振り舞う自分が嫌いでした。
笑顔なんて嫌いです。

限界でした。

芸能界のほとんどは使えなければ手ぶら、ティーバックにさせ、それでも駄目ならヌードやAVやらせて使い捨てる。

そこまでしなきゃ私は駄目なのか。
そこまでしなきゃ私は使えないのか。
私にはそこまでやる事が出来ません。
それが自分の夢に繋がるとは思えません。
好きでそれを職業にされている人とは違います。
そこまでしなきゃ上がれないなら根性無しと呼ばれてもかまいません。
これ以上汚い大人を見たくないし、振り回されたくないし、関わりたくない。
もう誰も信じられない。
運がないんです。
運は実力のうち。
私には実力がなかったのです。

今まで事務所をやめたいと思った事はあっても、芸能界をやめたいだなんて一度も本気で思った事ありませんでした。それは夢があったから。遠回りしたけど夢叶ったよッテ家族にいつか言える日が来ると信じてたから。

生まれて初めてやめたいと思いました。
やっていく自信がありません。
あたしには、本当に悔しいし情けないケド無理だってつくづく思い知らされました。

平和に過ごしたい。
ちゃんとお給料貰える仕事につきたい。
ひっそりと静かに暮らしたい。
だから私は今日、芸能界をやめる事にしました。

ごめんなさい。
これだけ説明してもきっと分かって貰えないだろう。
だけど、私の人生です。
病気になる程つらい思いはもうしたくありません。

今までこんな私のためにありがとうございました。

本当に感謝しています。

そしてごめんなさい。
幻滅されて仕方ないと思います。

応援してくれてる皆
本当にごめんなさい。

blogはオフィシャルなのでここではもう更新しません。
橘麗美という人間は今日で最後です。
皆お元気で。
ありがとう。

Bye-bye。

橘麗美。

グラビアは歌手になるための手段でやりたくはなかった !! 日テレジェニックの橘麗美が自身のブログで引退宣言!!

日曜日, 6月 28th, 2009

holiday- 橘麗美2.jpgあるグラビア系のプロダクションの“なんちゃって社長”から電話がきた。
「大変です」
「何が大変なの!! 日曜日だよ、きょうは!!」
「橘麗美がやめたんです」
「誰!?  橘麗美って?」
「えっ、知らないんですか? 08年の日テレジェニックだったんですよ」
「日テレジェニックであろうと何であろうと、急に言われてもわかる分けないじゃん!! だいたい、何でやめたの?」
「芸能界が嫌になったらしいですよ。裏切られたらしいですね。歌手になりたかったのに、グラビアをやらされたってブログで書いて話題になっています。もっともブログは削除されていますが…」
「誰が話題にしているのさ!? だいたい、その橘麗美っていう子が芸能界からいなくなっても誰も気づかないって」
「そうですかねぇ。でも、大変なことなんですよ。サンスポのネットでも書いてますよ」
「オタクの記者がいたんじゃない? フツー気づかないよ。そんなブログ。しかも削除されているんだろ?」
「いや、でも、すごいことだと思いませんか?」
「分かった分かった、だったら、【ヘッドロック】で追悼してやるよ!」
なんて言いながら、その橘麗美というグラドルの「レイミ的ハッピーラボ」っていうブログを見たが、削除されていて見ることが出来ない。
鹿児島県の与論島出身の23歳のアイドルらしいが、このブログを入手したところ、長い長い。実に3000字にも及ぶ。200字詰原稿用紙だったら15枚である。最後だから長文で思いの丈を、これでもかこれでもかと書き残したのだろうか?しかし、彼女がブログをアップしたという27日は、日本テレビ系オーディションバラエティー「アイドルの穴~日テレジェニックを探せ!」(土曜深夜1・20)で、第12期ジェニックの5人が決定した日だった。彼女は第11期らしいが、何か、見事にタイミングを合わせたかのようなブログである。でも、読んでいたら、芸能界のことやグラビア界のことを暴露しているかのような内容で、肝心な部分を曖昧な書き方をしているだけに興味深く面白く読めた。
グラビアは「歌手になるための手段だった」。まあ、よくある話である。しかし、彼女も「運も実力のうち」と言っているが、その通りだろう。所属する事務所、出会う人が悪かったのだろう。彼女自身「マネージャーに裏切られた」なんて言い放ってもいる。そういった意味では、辞める踏ん切りがついてよかったのかもしれない。しかし、歌手を目指していたはずなのに「ちゃんとお給料貰える仕事につきたい」なんて、それなりにグラビアに出ていても、実際には給料制ではなかったのか? 歩合制だとしたら、いい時はいいが、おそらく悲惨だっただろう。そういった意味では、読んでいると実にリアルなブログである…。とは言っても、これからの生活もあるし、今後を考えたら、与論島に帰るかキャバクラ入りしかないだろう。(つづく)


【緊急連載9】マイケルの少年虐待疑惑ではエミネムがPVでおちょくった!? 全米での放映差し止め要求に発展!!

日曜日, 6月 28th, 2009

holiday-IMG_0005.jpgholiday-Eminemstill09.jpgholiday-Eminemstill16.jpgholiday-dbfile006.jpg

今になってみたら笑い話だが、マイケル・ジャクソンに関しては、こんなこともあった。
カリスマ・ラッパーとして世界中から人気の高いEMINEM(エミネム)が、マイケルをコケにしたプロモーション・ビデオ(PV)を制作したことがあった【写真3】。5年前の04年のことだ。
94年11月15日、当時2年半ぶりに発売したオリジナル・アルバム「アンコール」のPVで、日本のユニバーサルミュージックは、特注した5トン・トラックを都内、横浜で走らせたが、そのトラックのドライバーにマイケル・ジャクソンの覆面と衣装を着させて運転させたことがあった【写真1】。当然、熱烈なマイケル・ファンは「マイケルを侮辱している」と大激怒したものだ。
それにしても一体、何でそうなったのか?
アルバム「アンコール」のリード・シングル「ジャスト・ルーズ・イット」のPVが要因となっていた。このPVの中で、EMINEMはマドンナやハマーに変装しているが、圧巻はマイケル・ジャクソンをおちょくったシーンだったのだ。社会問題化していたマイケルの少年虐待疑惑をモチーフに、EMINEM扮するマイケルがPV全編に亘って登場していた。
このPVで度肝を抜いたのが、後半のシーン。EMINEMとマイケル(1人2役)が向かい合った途端、EMINEMがマイケルの顔に向けて嘔吐するのだ【写真2】。そればかりではない、整形の噂のあるマイケルの顔から鼻の部分が床に転げ落ちるネタまで盛り込んでいる。しかも、その鼻をPV出演者が蹴り回し、マイケルが鼻を拾うために床を四つんばいになって探しまわすことまで演出している【写真4】。
このPVに、さすがのマイケルも激怒した。早速、全米のメディアに対して「放映差し止め」を要求。さらに、マイケルは、アメリカでは国民的俳優にしてコメディアンとして人気の”キング・オブ・コメディ”ことスティーヴ・ハーヴェイがDJを務める人気ラジオ番組「ザ・スティーヴ・ハーヴェイ・モーニング・ショウ」に電話をかけ「EMINEMとの確執は何もなかったのに…」と訴えた。
このマイケルの悲痛な叫び?に、スティーヴは「MTV、VH1もBETに従って放映を禁止すべき」と異例のコメントを発表するなど、米国での波紋は広がった。 こういった米国の動きに乗じて展開されたのがユニバーサルミュージックのトラックによるプロモーション展開だったわけだ。「ただ走らせても面白くない」と、PVに連動したジョークとして、マイケルの覆面と衣装も同時に特注。「運転手に着させて走らせた」という。
しかし、このジョークが思わぬ事態へと発展してしまった。マイケルの熱狂的なファンから「マイケルをバカにしすぎている」「冗談も度が過ぎる」と言った声から「マイケルに対する悪質な嫌がらせ」「人権侵害」と非難が続出。ついに、担当者も「ちょっと火遊びが過ぎた」と陳謝、トラックによるプロモーションは当初の予定より9日間も切り上げ打ち切った。
それにしても、5年前もの話だが、果してEMINEMはマイケルの死をどう思っているのか!?(連載おわり)

【緊急連載8】54億円の和解金交渉で93年当時の少年への虐待容疑は少年側が訴え取り下げマイケルは逮捕免れる!!

日曜日, 6月 28th, 2009

「マイケル・ジャクソンは、ジョーダン君とは別に、ビバリーヒルズに住む13歳の少年からも性的虐待に対する損害賠償請求訴訟も起こされていた。このため、捜査当局は何とかマイケル本人から事情聴取をしたいとしていましたね。米帰国後、英大衆紙『サン』は『48時間以内に下半身検査を受けなければならない』と報じていました。その一方で、マイケルの周辺からは『マイケルの即逮捕はない』『マイケルの弁護団は、マル秘扱いを条件に身体検査に応じることに同意した』と裏取引があったとする情報も流れていました」(米国在住のマスコミ関係者)。
そういった中、マイケルは93年12月23日、自宅から衛星中継を使って、テレビで疑惑に対する釈明と自分の白黒まだらペニス写真をロス市警に渡した事実を告白した。
衛星中継の中でマイケルは「私が少年に不正な行為をしたという話が広がっています。こうした話は全くデタラメです。私は、初めから、この恐ろしい試練か早く解決するように望んでいます」と何度も主張した。
さらに「私はサンタバーバラの保安官とロス市警から、ひどい扱いを受けた。捜査令状には写真撮影命令があった。私の性器、尻、下半身、もも、どこでも撮影させるようにと命じました」とも。
その上で「全くの悪夢です。恐ろしい悪夢です。しかし、真実を証明するため従うしかありませんでした」とした。
事件が急展開したのは年が明けた94年1月のことだった。マイケルは、日本円で54億円(推定)と言う巨額の和解金を提示しジョーダン君と和解交渉をした。この結果、ジョーダン君側はマイケルからの性的虐待の民事訴訟を取り下げることで合意。94年1月25日に示談成立が少年側の弁護士から正式発表された。
この示談成立で、当時、マイケルの性的虐待容疑を刑事事件として起訴しようと意欲を見せていたロス市警の捜査は頓挫してしまった――。(つづく)