【緊急連載7】マイケルは“少年虐待疑惑”のプレッシャーから鎮痛剤を服用“薬物中毒”に陥り世界ツアーは打ち切り!!

93年年末。13歳の少年ジョーダン・チャンドラー君に対する性的虐待容疑で世界のスパースター、マイケル・ジャクソン(当時35歳)は逮捕秒読みとなった。マイケルは、疑惑のプレッシャーから鎮痛剤を乱用、何と”薬物中毒”に陥ってしまった。この結果、世界ツアーは打ち切られた。
 マイケルは、親友のエリザベス・テーラーに付き添われ、メキシコシティーからロンドンに飛び、チャーター・ナイチンゲール診療所で治療を受けることになった。その間、被害者のジョーダン君は4ヶ月に亘って性的イタズラを受け、ロス市警には「マイケルのペニスに特徴があった」と話した。
 このためマイケルは、警察に裸にされ身体検査をされるとも報じられた。「マイケルは身体検査に怯え、証拠隠滅を図るため性器の整形手術を受けているとも噂されました」(関係者)。
 どうやら、マイケルのペニスは事件のカギを握る重要な”証拠物件”になりそうな気配に…。「マイケルはホモで女性を殆ど知らないから包茎ではないか」とか「右か左に曲がっているのではないか」と言った憶測が業界を駆け巡った。もっとも、真相は闇の中だったが…。
 ツアー中止後、ロンドンで療養生活を送っていたマイケルが米カリフォルニア州南部にある自宅に戻ったのは93年12月中旬だった。
性的虐待疑惑で窮地に立たされたマイケルだったが、弁護士の助言に「無実を証明するために帰国した」ものだったが…。(つづく)

【緊急連載6】マイケルの“少年虐待疑惑”で自宅からは少年の裸の写真がロス市警によって押収された…

マイケル・ジャクソンの“少年虐待疑惑”が、日本国内で最初に報じられたのは93年8月21日のことだった。少年ジョーダン・チャンドラー君(当時13歳)の警察当局への供述書が発覚した。
それによると、マイケルがしばしば少年をベッドに引き入れ、セックス行為をしたという。また、少年に対してマイケルは、この事実を口外すれば「少年鑑別所に送られる」と脅迫していたとも。しかし、少年はマイケルとの関係の詳細をロサンゼルス児童福祉局のケースワーカー、アン・ロサト氏に報告した。
その後、カリフォルニア州南部のマイケルの自宅から少年の全裸の写真が米ロサンゼルス市警によって押収されたことを、英大衆紙が報じて大騒ぎになった。英大衆紙には少年側の証言として「マイケルの上半身は白いが、下半身は黒かった」と述べていた。
この時、マイケルは世界ツアーの真っ最中だった。少年虐待が報じられた日はタイのバンコクに到着した日だった。マイケルは、報道を知らされ錯乱状態に陥ったと言われている。この時も、少年のジョーダン君の弁護士が9月15日、ロサンゼルスの裁判所に性的暴力など7件の容疑で民事訴訟を起こしている。この7件の容疑とは「性的暴力」「暴行」「誘惑」「意図的な不法行為」「意図的に感情的苦痛を与えた」、そして「詐欺」「過失」。提出された訴状は、マイケルが少年に「口で交接」(フェラチオ)したり、マスターベーションをさせたりして少年に対して多大な苦痛を与えたとしている。
また、マイケルは少年の法的権利を奪うために虚偽、隠蔽工作を行ったとし、金額は裁判所で決めることとして「懲戒的な損害賠償を求める」とした。訴えが認められれば、賠償金は数百万ドル(数億円)にも上るとされた。
「それまでも、マイケルには少年虐待の噂が上っていたが、正式に訴えられ裁判にかけられるのは、この時が最初だった」(音楽関係者)。
これをキッカケにロス市警の捜査も急展開、事件は重大新局面に入った。因みに、マイケルが有罪となれば、カリフォルニア州法では15年前後と言われた。(つづく)

【緊急連載5】マイケルを悩ませたセックス・スキャンダル。始まりは16年前の再来日直前…

「マイケルは無罪」「正義は貫かれた」――。
“少年虐待疑惑”で訴えられていた世界のスーパースター、マイケル・ジャクソン被告に「無罪評決」が下ったのは丁度4年前の05年6月13日のことだった。4年の月日が、まだ昨日のことのように感じる。しかし、その間に来日を果たすなどアクティブな活動を続けていた。
ところで、この“少年虐待疑惑”の時、被告だったマイケルが問われていたのは10の罪状だった。全てで有罪になった場合は、20年近い禁固刑が予想されていただけに、世界中のマイケル・ファンは飛び跳ねながら抱き合い、マイケルの「完全無罪」を喜んだものだ。
「マイケルに逮捕状」の一報が世界を駆け巡ったのは03年11月19日だった。
容疑は児童への性的虐待。その後、12月18日には、サンタバーバラ郡地検に14歳未満の少年に対する性的虐待など10件の罪で起訴されていた。
マイケルの裁判では、12人の陪審に黒人が1人もいなかったことから「裁判は不利」とされた。しかし、評決で「無罪」になったことに「人種差別的な要素はなかった」と、司法専門かも陪審の冷静な判断を評価した。
マイケルのセックス・スキャンダル――少年虐待疑惑は「マイケルの性癖」とも言われてきた。日本で最初に、この”疑惑”が報じられたのは93年だった。マイケルの再来日公演直前のことだった。マイケル・ジャクソン35歳の時だった…。(つづく)

【緊急連載4】マイケル・ジャクソンに不可能はない?東京ディズニーランドが無料で“独占開放”した!!

滞在期間中の9月29日。千葉・浦安の東京ディズニーランド。この日は午後7時に閉演して、マイケル・ジャクソンのために“独占解放”した。まさに前代未聞の出来事だった。当日はミッキーがマイケルを出迎え、ミッキーの案内で園内を回った。
「最初に立ち寄ったのは“ミート・ザ・ワールド”。その後、スペース・マウンテンの乗り、主演している3D映画『キャプテンEO』を観て、自画自賛していました。ディズニーランドは、姉のラトーヤ・ジャクソンやスタッフ250人も招待し、34種類あるアトラクションの中から13種類を厳選するなど、マイケル一行のために無料解放した。もちろん、レストランの食事も無料でした。約4〜5時間はディズニーランドで楽しんだが、この数時間のためにディズニーランドが要した経費は5000万円だったそうです。ディズニーランド側はマイケルが来たことで計り知れないイメージ・アップに鳴ったと言っていましたが…」(当時、マイケルを取材した芸能記者)。
ところで、マイケルの公演は、ソロとしては初めてのワールド・ツアー――それも、ツアーの皮切りが日本だったこともあって、世界中から300人を超えるマスコミ陣が殺到した。
そのステージは、レーザー光線とバリライトの光の中でセクシーに歌い踊るダイナミックでエキサイティングなものだった。会場の照明が消えると、ドラムのリズムに乗ってステージ中央の床が上がり始める。円盤のような光の坂の下から4人のダンサーと共にマイケルが登場すると、後楽園球場に詰めかけた4万人の大歓声が巻き起こった。
マイケルは、黒いコートを脱ぎ捨てると、宇宙服のようなレザーのスーツに。緑と赤のレーザー光線が、銀色の宇宙船の舞台セットに当たって、バリライトが光のシャワーになる幻想的なステージは、まさに別世界だった。
「スタート・サムシング」で幕を開けたステージは「今夜もビートイット」や「ビリー・ジーン」、「BAD」、新曲「キャン・ストップ・ラビング・ユー」などをヒット曲を歌い、大ヒット曲「スリラー」では、ダンサーがモンスターに扮し、5人で迫力満点のダンスを披露した。詰めかけたファンはネコの目のように移り変わる魅惑のステージに釘付けとなりとなり、現実を忘れて酔いしれた。
「会場前には、マイケルを一目見ようというファンも殺到しました。ダフ屋も横行し、逮捕されたダフ屋は6500円のチケットを11万円で売りさばいていた。異常な盛り上がりでした」(音楽関係者)。
ワールドツアーは日本公演に続いてオーストラリア、ニュージーランド、全米、欧州と続き、その後は、メキシコ、ブラジルと1年かけて全世界を回った。ワールドツアーのギャラは総額で200億円。マイケルはペプシコーラと22億円でCM契約を結んだが、マイケル起用で全米ではペプシがコーラのシェアでトップになったという。
マイケルは、よほど日本が気に入ったらしく、公演終了後も帰国の様子を見せず「一時は10月末まで滞在する」という情報も出た。しかし、サスガに日本人スタッフから不満の声も?出始めたこともあって、10月19日、日航機731便でロスに飛び立った。
成田空港に現れたマイケルは「私は功明ちゃんを愛してます」と英語と日本語で刺しゅうしたジャンパーを着ていた。これは、当時、群馬県高崎市で起こった「功明君誘拐殺人事件」を知ったマイケルが、特注で作らせたジャンパーだった。「マイケルの初来日は、最後の最後まで日本のファンを意識したパフォーマンスを忘れなかった」(音楽関係者)という。(つづく)

【緊急連載3】初来日公演で“愛猿”バブルス君を伴って記者会見に出席したマイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソンの初来日公演は、全14回の公演で42万9000人を動員し、約26億円分のチケットを全て売り尽くす盛り上がりとなった。
チケット以外の売上げもハンパじゃなかった。各公演先で売れたプログラムやポスターなど”マイケル・グッズ”の総売上だけでも推定だが7億円を軽く上回ったという。公演収入と合わせると、33億円を超える札束を僅か1ヶ月間で稼いだことになる。世界NO1スーパー・スターと呼ばれる所以である。
来日して一夜明けた87年9月10日。マイケルの最初の仕事?は、午後零時半から宿泊先の赤坂キャピトル東急で催されたパーティーだった。マイケルは、”愛猿”のチンパンジー、バブルス君を伴って出席した。この催しは、マイケルが飼っている動物たちのキャラクターを、“マイケルズペット”という名称でライセンス使用している日本の会社「MRM」と、「スコーレ」がマイケルのために開いた歓迎パーティーだった。
そして、その夜は後楽園球場に向かった。「公演の下見」と思ったら、向かったのは球場ではなく、隣に併設された「後楽園ゆうえんち」。マイケルは、この遊園地を夜7時から2時間半借り切ってジェットコースターなど乗り物を楽しんだ。「マドンナは連日、ディスコで踊っていたが、マイケルは遊園地。仕事とはいえ追いかける取材陣も、さすがに呆れていましたよ」(芸能関係者)。
しかし、マイケルは「後楽園ゆうえんち」だけでは飽き足りず、ついに「東京ディズニーランドを1日借り切って遊びたい」とも言い出した。
マイケルとディズニーランドは非常に深いつながりがある。もともとディズニーの大ファンであるマイケルは、ミッキー・マウスなどの縫いぐるみを集めまくって、ロスの自宅には、専用の部屋まであるほど。また当時、ディズニーランドでは、マイケルを起用した短編3D映画「キャプテンEO」が上映されて大評判になるなど、ディズニーランドにとってマイケルは、イメージアップの「大貢献者」にもなっていた。
しかし、ディズニーランド側は「年内の休園日はない」としていた。だが、滞在期間中の9月29日、ディズニーランドは急遽、午後7時で閉園することを決定、マイケルのために解放することを決めた。ディズニーランドが1人に”貸し切る”のは、もちろんあり得ないことだが、マイケルには不可能はなかった。(つづく)