柳樂優弥、華原朋美に続いて…。Winkの鈴木早智子が薬物の大量摂取で病院に搬送されていた!!

薬物の大量摂取で病院に運び込まれるタレントが増えている。今度は元Winkの鈴木早智子である。29日に、東京都江東区の自宅マンションで薬物の大量摂取で意識を失い救急車で病院に搬送されていたことが発覚した。
薬物の大量摂取と言ったら、華原朋美を思い出すが、昨年の夏だったか、若手俳優の柳樂優弥も睡眠薬を大量に飲んで救急車で昭和大学病院に搬送されたことがあった。鈴木早智子も、睡眠薬だろうが、29日午後0時10分頃、鈴木さんの友人という女性から「鈴木さんが薬を大量に服用したようだ」と119番通報があったというのである。
「意識はあった」というが、現在の容態については不明。友人に、鈴木は「最近眠れずに薬を飲んでいる」と話していたという。
もっとも、鈴木の所属事務所関係者は「貧血で具合が悪くなったようだ」とし、睡眠薬の服用については確認していないらしい。ま、最近の事務所はタレントの管理が行き届いていないから、実際のとことは、鈴木本人の回復を待つしかない。
 
※昨年末の「レコ大」で10年ぶりに“復活”したWink…

Winkは、相田翔子と鈴木早智子のデュオ。昨年末の12月30日にTBS系で放送された「第50回日本レコード大賞」で10年ぶりに復活した。彼女たちは過去、98年と99年に1回づつ“復活”している。しかし、今回は「レコ大」の50周年を記念して“再結成”した。関係者は「デビュー20周年の節目の年として復活した」とした上で、その裏事情を「Winkは、解散後も支持が高いんです。再結成を望むファンの声も高い。ここ数年、音楽業界は過去のヒット曲がクローズ・アップされ、グループの“再結成”ブームになっています。そういった意味でも当然、彼女たちの再結成を望む声は多いんです」と言っていた。
 彼女たちが8年間の活動に終止符を打って解散したのは13年前の96年3月だった。彼女たちに詳しい関係者は言う。
 「Winkは、88年にデビューしたんですけど、とにかく解散説の絶えないデュオだった。それこそ毎年のように解散が噂され、その都度、芸能界に話題をさらっていました。正直言って歌謡界の中でも、ヒット曲の実績を持ちながら、これほどまでに解散が噂され続けたデュオやグループはいないでしょうね」。
 Winkは、88年4月にシングル「Sugar Baby Love」でデビューした。写真集などの大手出版社「ワニブックス」が発行する月刊雑誌「Up to Boy」が、87年に開催したミス・コンテストで上半期のグランプリになった早智子と、下半期のグランプリに輝いた翔子で結成した。
 デビュー曲「Sugar Baby Love」は当時、南野陽子主演のフジテレビ系ドラマ「熱っぽいの!」の主題歌だった、ルベッツの同名曲のカバーだった。しかし、思ったほど売れず、デュオとしてもパッとしなかった。
 そのWinkに光が当たったのは、88年11月に出した3枚目のシングル「愛が止まらない」だった。南野が主演するフジテレビ系ドラマ「追いかけたいの!」の主題歌に起用された同曲は、オリコン初登場19位にランク。その後、週を追うごとにランクを上げ、何と発売12週目で1位にランクされた。
 その後、「涙をみせないで」「淋しい熱帯魚」と次々にヒットを飛ばし、89年には第22回全日本有線放送大賞でグランプリを獲得、第31回「日本レコード大賞」では“大賞”にも輝き、「NHK紅白歌合戦」にも初出場した。
 デビューして僅か2年目で歌手としての頂点を極め、華々しく活動する中、巻き起こったのが「解散説」だった。発端は、12月6日の「レコード大賞部門賞」の発表。彼女たちは金賞の10人に選ばれたにも拘わらず、会場に姿を見せなかったばかりか「本人たちに連絡が全くつかなかった」(レコ大関係者)と言う。しかも、その原因が「翔子の蒸発」だと言われたのだ。
「Winkは、選考経過がテレビを通じて発表された時、イの一番に選ばれた。にも拘わらず会場にいない。審査員からは『人気があると思って、思い上がっている』『礼儀に欠いている』と批判が相次ぎました」(芸能関係者)
 そればかりではない。この年の12月15日に高松の香川県立ホールで行うはずだったコンサートも翔子が「過労」を理由に公演を中止したばかりか、TBS系ドラマ「ウィンクの初体験!コンプレックス!可愛い子になれないの」の出演までキャンセルするなど、周囲からは「解散も時間の問題」と飛び交い始めた。

※相田翔子と鈴木早智子の“不仲”が解散の原因だった!?

さらに、翌90年に入ると、今度は2人の“不仲”から再び“解散旋風”が巻き起こった。
「年が明けたら、今度は早智子が急性胃炎でダウン(1月6日)して、入院したんです。そのため、デュオとしての活動が出来なくなってしまった。そればかりか、入院から1週間経っても入院先が秘密にされ、病状や退院予定日まで明かされなかった。しかも、その時に、見切り発車で、翔子が単独レコーディングを行なっているという情報が飛んだんです。早智子自身、体が丈夫じゃない、疲れが溜まりやすいと言われていたが、過酷な芸能界で活動を続けられるのかが話題になりました。そういった中での、翔子の単独レコーディングということで『このまま解散してしまうのでは…』という声が出たんです」(前出の芸能記者)。
しかも、業界内では
「あの2人は、(89年の秋に)解散説が出た頃から不仲だと言われていた。レコーディングも実は、2人揃ってやるのを嫌がっていた」(芸能関係者)
翔子の血液型がB型で、早智子はA型。しかも2人とも気が強いタイプなだけに「一度、ぶつかると関係修復は難しい」とも言われた。
結局、この時も“解散”は噂だけで終わったが、2人の“不仲説”は根強く残った。
しかし、デュオを続けていくうちに、早智子のソロ志向が強くなったとも言われている。
「とにかく、早智子の方が翔子をライバル視していた。92年に早智子がソロ・デビューしたのも、そういった裏事情があった」(芸能プロ関係者)。
解散の噂を背負いながらも8年活動を続けてきた。しかし、96年3月25日に正式に解散することになった。“解散”につきもののファイナル・コンサートも行なわなかった。「周囲も、この辺が潮時と言う雰囲気だった」(関係者)と、ある意味で疲れ切った感じだったという。
もっとも、解散を前に“ソロ志向”の強かった早智子は、ダンスミュージックを中心としたソロ活動を一足先に開始。一方の翔子は歌以外にも女優として幅広い活動をしていくことを明らかにしていた。
因みに、全盛期にはレコードの売上げが1年間に70億円にも達したが、解散時には2億円程度に落ち込んでいたという。