Archive for 12月 17th, 2007

証人尋問後の大友康平、日テレの独占インタビューは誰のためのもの!? ⑪

月曜日, 12月 17th, 2007

それにしても、大友康平も事務所のイエホックも【ヘッドロック】に対しては、もはや天敵状態になっているようだ。でも、裁判でハッキリしたいと言っていたのは大友であり、イエホック側なんだから…。だいたい、大友側だって、ちゃっかり日本テレビを味方につけ利用しているじゃないか。こんな【ヘッドロック】なんかより、テレビの方が、よっぽど影響力が大きいんだから。
「突撃のインタビューにスタイリストやヘアメイク、さらにはベンツまで用意しちゃうなんて、ちょっと、やり過ぎなんじゃないですかね。と言うより、そこまで日テレはやるとはという感じでした」
なんて、ライバル局のワイドショー・スタッフも呆れる。
それにしても、何で、日テレの独占インタビューなのか!?
「去年、大友の日本武道館公演の前後に、メンバーが各地でイベントをやりましたよね。【ヘッドロック】も執拗に追っていましたが…。その一部始終を追っていたのが実は、日テレだったんです。ところが、1回も放送することがなかった。本来、そんなことは考えられないことなんですよ。だって、取材するための経費がかかっているわけですからね。何故か。日テレとイエホックが裏取引をしていたんです。メンバーの言い分や行動は放送しない代わりに、大友の独占インタビューをさせると…。今回のインタビューは、その約束を果たしただけなんですよ。まあ、メンバーの言い分を放送しても意味がないと判断したのでしょう。HOUND DOGは大友康平なんだから、大友の立場や言い分だけを放送する方が価値があるということなんですよ」(ワイドショー関係者)。
予告もなく大友を突撃したりなんかすると、「フライデー」のようにジョギング姿になってしまうが、アポがあったら、ヘアメークやベンツまで用意される。まあ、「ザ・ワイド」時代から担当していた日テレのT氏にとっては、面子も保てたことだし全てオーライってことか!?
因みに、用意されたベンツは桂子夫人の車らしい。でも、大友は、普段は電車で移動しているようだ。
「いつだったか、日比谷線で会ったんですよ。霞ヶ関だったかな…。帽子をかぶっていましたが、大友だと分かったから声をかけると慌てた顔をして…。お茶でもしようと誘ったら、ちょっと忙しいからと言って避けるように降りていってしまった」
なんて話も…。大友が電車で移動しているなんて、正直言ってビックリしたが…。
しかし、日テレの大友インタビューっていうのは、一体、誰のためのインタビュー取材だったのか…。まあ、大友だけを取り上げることで、HOUND DOG ファンは喜ぶんだろうから、それはそれで、いいんだろうけど…。

沢田亜矢子のヌード写真集を真っ先に買ったのはゴージャス松野と江本孟紀かも!? ㊦

月曜日, 12月 17th, 2007

沢田亜矢子のヌード写真集は「58歳の本格的ヌード写真集」と話題だけは盛り上がったが、売り上げはイマイチだという。
だいたい、本格的なヌード写真集とは言っても、85年4月に写真週刊誌「FRIDAY」によって発覚したニャンニャン写真の方が衝撃的だった。しかも、その写真発覚で、沢田は、海外に脱出・逃亡を図った。ところが、それから4年も経ってから、その時の海外脱出は、「写真騒動から逃れるためというより、実は長女を極秘出産のための海外脱出だった」と自ら明らかにしたのだ。つまり、沢田は4年もの間、人知れず”未婚の母”だったわけだ。恐るべし、沢田亜矢子!!
当然、長女の父親探しにマスコミ各社は競って奮闘した。
「沢田が”未婚の母”というのもショッキングでしたが、肝心の父親の名前については、戸籍上も空欄になっていたんです。沢田自身から、出産の事実などが語られたが、謎を秘めたままの公開で、どこかスッキリしなかった」(芸能記者)。
沢田は、女児の父親については「子供のことを話すのが先決で、今ここで話すのは順序が違う」と、き然とした姿勢を貫き通した。
とにかく、会見で沢田の会見を聞けば聞くほど驚くことばかりだった。と言うのも、相手に対して(女児の)認知を求めるどころか、妊娠、出産の事実さえ知らせてなかったという。出産後は養育費も取らず、認知するかどうかは「将来、子ども自身の考えに任せたい」とした。さらに「相手が嫌いでは子供は生めない。子供は35歳を過ぎると産むのが困難になる。子供は欲しかったし、ここで、この生命を葬ってしまうのは出来なかった」とも。しかも、相手が(女児を)認知したいと言ってきたら「きちんと血液鑑定してもらってからです」。また今後、認知というケースになった場合でも「遺産相続を要求することはありません」。
何という女だ。沢田に、そうも言わず男――父親は一体、誰なんだ!で、女児の父親として一番、噂になったのが元野球選手で人気野球解説者の江本孟紀だった。当時「父親としての疑惑は深まるばかりで、断定するマスコミもあった」ほど。因みに、江本は、マスコミ各社からの取材に憮然とした表情で「関係ないよ。それ以上は言えない」と否定した。しかし、江本氏に近い関係者は「100%間違いない」と断定するほどだった。
あるいは、58歳の沢田亜矢子のヌード写真集を真っ先に買ったのは、元マネジャーで亭主だったゴージャス松野こと松野行秀と、長女の父親でもあるかもしれない野球評論家の江本孟紀かもしれない!?

沢田亜矢子のヌードは22年ぶりだった!?  当時のヌード写真は衝撃的なニャンニャン写真!! ㊤

月曜日, 12月 17th, 2007

沢田亜矢子の熟年ヌード写真集「NO KiDDiNG!」(双葉社)が話題になっている。撮影は、山咲千里や井川遥などの写真集も手がけているリウ・ミセキが担当したというが、カメラマンが誰かと言う問題じゃない。それに、沢田を「歌手」で「女優」という代名詞をつけていたところもあったけど、今さら「歌手」だというのは、ちょっと…。
いずれにしても、その沢田が14日に写真集を発売した。「本格的なヌードショットに初挑戦」だという。しかし、いくら58歳で、女優の単独写真集としては「国内最高齢」。その記録をギネス申請するというが、一体、誰が買うというのか!? さっそく、新宿と池袋の書店に足を運んで、それとなく聞いたところ「うーん、ちょっと厳しいかな…」って答えが返ってきた。本屋は、きっと甘く言ってるんだろう。だったら、僕が見た感想を言おう。ハッキリ言って売れていない!!
来年、芸能生活35周年を迎えるという沢田。デビュー当時は、確かに、清楚なイメージをウリにしていたタレントだったろう。しかし、実は30代半ばに“全裸写真発覚”と“未婚の母”で話題を振りまいた。
「今、振り返ると、沢田の全裸写真発覚と、長女の出産・未婚の母が同時進行で起こっていたなんて夢にも思わなかった。沢田亜矢子といえば、正統派タレントの1人でしたからね。芸能界では衝撃的な事件だったことは確かです」。
と言われるほどだった。
最初のスキャンダルは、85年4月――沢田は、国立音楽大学声楽科在学中、都内のクラブでピアノの弾き語りのアルバイトをしていた所をスカウトされた。大学は中退し、73年にシングル「アザミの花」でRCAビクターから歌手デビュー。その後は女優としても活躍した。一躍、注目を集めたのは、79年4月にスタートした日本テレビのワイドショー「ルックルックこんにちは」だった。沢田は「初代司会者」に抜擢された。“朝の顔”として、沢田の爽やかで清潔感溢れるキャラクターは一躍人気者となり、84年10月までの5年半、同番組を仕切った。つまり、「ルックルック~」が終了して半年後に起こったスキャンダルということになる。
写真週刊誌「フライデー」が1枚の衝撃的な写真を掲載した。それは、沢田がタレントとして売れ出した76年頃、当時のボーイフレンドが撮影した4枚の全裸姿のニャンニャン写真だった。彼女の部屋のベッドで撮影したショットは、誰から見ても“使用後”の沢田だった。「青春のモニュメント」と題して掲載された。「沢田のアンニュイな表情が何とも気になる」と評判だった。「剃り跡も生々しい脇の下はさておいて、全裸のままベッドの白いシーツの上で物憂いげな視線を浮かべる彼女の様子は、何となく撮影者と何かあった後のようにも見える」と業界内でも話題になった。
この写真を撮ったのは当時、沢田と同棲していたと噂になったロック・ミュージカル劇団「ミスター・スリム・カンパニー」所属の中堅俳優・中村好男(当時23歳)。沢田とは7歳年下の新進俳優だった。