七夕を目前に永田町駅は短冊を書く女子中高生で大賑わい

七夕である。東京メトロ・永田町駅の平河町出口(永田町、紀尾井町方面)の改札口に、七夕の飾り付けがある。
そこが夕方になると、女子中高生で賑わっている。設置されているテーブルで、短冊に願い事を書いているのである。確かに、他の駅にも、七夕の飾り付けはしてある。しかし、こういった光景は、あまり見ない(もしかしたら気づかないだけかもしれないが…)。
何の願い事を書いてるのか…。ちょっと気になったから見てみたい気がしたが、女子中高生ばかりで、さすがに近づけない。そこで、チャンスを見計らっていたものの 、なかなか散る気配がない。そうこうしているうちに10分も過ぎてしまい、駅員から怪しい目で見られてしまった。
それにしても、こう言っちゃ何なんだけど、
「いまさら短冊に願いごとを書いても、君たちに夢や未来なんてないんだよ!」
って言ってやりたかったね。だいたい、支払う前から年金なんて破綻してしまっているんだよ!もはや、老後は悲惨だ!それに、地球の温暖化で暮らしも危機的になる。
まあ、とは言っても、どうせ、短冊を見てもどうってことないだろう…。だけど、見方を変えたら「永田町」なんかで、短冊を書くなんていうことに、何か意味深いものを感じるのだが…。

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グッドウィル・グループ総帥の“ロリータ折口”は目黒・日出学園の女子高生フェチだった!?

“ロリータ折口”の異名をもつグッドウィル・グループの折口雅博。国賊的な犯罪を犯しながら、逮捕されずに平然としているのもおかしいが、いまだに、グループの会長兼CEOという最高権力の座から降りないである。その折口雅博。よくよく調べていくと、日出学園の女子高生が好みだったようだ。
寵愛を受けていながらトボケている南明奈はもちろん、折口との関係が噂されている沢尻エリカも日出学園出身だ。同校出身のタレントの1人が言う。
「折口さんの側近に、女子高生を調達する人がいたんです。その人が、日出学園と何らかのルートがあったようなんです。折口さんがやっていた西麻布のクラブなんかには、ほとんどの人が行ったんじゃないのかな。とにかく、行けば、お小遣いをくれるので、自然に集まったんだと思う」
日出学園の女子高生フェチだったのかどうか、その実態は分からないが、お小遣いで女子高生を釣っていたってことにもなる。こんな奴が、経団連の理事になっていること自体、すでに、経団連は終わっていた。しかも、その後、経団連は、あのホリエモンまで入れた。もはや腐った団体になり下がっていたのだ。
それはともかく、その日出学園は、JR目黒駅のそばにある。芸能活動をしているタレントが多く入学する事で知られる。卒業生の顔ぶれをみたら、一目瞭然だ。
山口百恵、倉田まり子、菊池桃子、森川美穂、原田知世、渡辺典子、三浦理恵子、大野幹代、穴井夕子、水野美紀、井上和香、奥菜恵、仲間由紀恵、鈴木亜美、優香、佐藤藍子、小田茜、石川亜沙美、藤谷美紀、笹岡莉紗、柳沢なな、香椎由宇、井上碧、山田優、相武紗季、宝生舞、松田樹利亜、矢田亜希子、加藤夏希、櫻井智
石田未来、森絵梨佳、多部未華子、HALCA(HALCALI)、新垣結衣、上原奈美、北乃きい、仲里依紗、本郷奏多、八鍬里美、湯川舞、松本夏空、田中愛里、玉森裕太、南明奈、渡辺夏菜、鈴木かすみ、奥谷侑加、成田梨紗、栗原菊乃
そして、中退組では後藤真希、黒沢優、田中律子、沢尻エリカなどがいる。
要するに、日出学園は、折口雅博との出会いの場にもなっていたってわけだ。
折口は、クラブのVIPルームに女子高生を招き入れ乱交まがいの行動をとっていたと言われる。折口雅博の毒牙にかかったのは、タレントばかりではない。普通の女子高生もいたようだ。折口は、女子高生にワインやシャンパンを飲ませ、酔わせた上で、身体を触りまくるのだという。そして、その中から、気の合った女の子をチョイスする。介護サービス「コムスン」が、人員のリストラを強行している裏で、女子高生に如何わしいことをしていたのである。しかも、前記したように彼女たちには「お小遣い」と称して数万円を支払っていたから、明らかに買春行為である。この部分で、警察の捜査が及んでないのも不思議である。警察の怠慢としか言いようがない。

初公開!! 富士山の山開きで思い出した“山男”時代…

まだ梅雨明けはしていない。九州や四国など西日本は大雨だとか。特に、熊本などは大雨警報まで出ているそうだが、それでも山開きも過ぎ、本格的な夏である。
山開き…と言うと、思い起こせば、学生だった頃、7~8月は富士山で「山男」をしていたものだった。標高3400m。吉田口、河口湖口、須走口が合流するところ――静岡県と山梨県の合流点にある「本8合目」の山小屋である。
山小屋では、宿泊の案内から食事、掃除、登山指導…いろいろやっていた。しかも、7年間も…。
ほぼ毎日、5合目と8合目を往復していた。自慢ではないが、足は速かった。1人だったら登りは1時間45分。下りは20分という速さだった。地元では知られたもので、御殿場と頂上を往復する富士登山駅伝にも出た(5合目~8合目の山頂区間で区間優勝だった)。正直言って今では想像出来ない。体力もなければ、間違いなく心臓マヒで死ぬ!
いずれにしても、山の仕事は厳しかった。登ったら、風呂にも入れず、まるで修行でもしてる感じだった。何人も“夜逃げ”した。高山病で働けず、下山した者もいた。ハッキリ言って、ここでは語り尽せない。
ところで、富士山も山開きしたといっても、静岡県側の3登山道(須走口、御殿場口、富士宮口)はいずれも残雪で6合目付近から上が規制されているとか。このため山頂へのルートは吉田口(河口湖口)だけだったという。しかし、7月1日の山開きの日は、初日として3年ぶりとなるご来光を山頂で拝むことが出来たそうだ。

※写真=山男だった頃。右は、日芸の奴だったが根性がなく夜逃げしてしまった…。
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