終身刑と死刑とどっちが重いかって…。やっぱり、仇討ちの復活じゃないか!?

Holiday Blogの中に「GELLONIMO 雅の 歌舞伎町 酔いどれにっき」がある。その中で、先月末に、山口県光市の「母子殺人事件」について書かれていた。GELLONIMO 雅さんは、以前にも、この事件について書かれていたから、非常に興味を持っているのだろうと…。
ところで、この事件を知らない人のために、説明しておく。それは99年4月のことだった。山口県光市の団地に住んでいた会社員、本村洋さんの妻・弥生さん(当時23歳)と愛娘の夕夏ちゃん(当時11ヶ月)が殺害されたのだ。犯人は、当時18歳の少年だった。
殺人罪などに問われた、この少年について、第一審の山口地裁は「無期懲役」の判決を下した(00年3月)。しかし、あくまでも「死刑」を求める検察側は、判決を不服として控訴したが、第二審の広島高裁も、一審の「無期懲役」を支持し検察側控訴を棄却した(02年3月)。「更生の可能性が無い訳ではない」というのが判決理由だった。
「冗談じゃない!」と、検察側は最高裁に上告し、その判決が06年6月に下された。最高裁判所の判決は、広島高裁の判決を破棄し、審理を差し戻しするものだった。
いわゆる、やり直し裁判になったわけだが、結局は、この裁判は「死刑」や「少年法改正」に対して、人権派の弁護士が大騒ぎをしているだけのことになり下がってしまったわけだ。しかも、当時、少年だった犯人も今や26歳。元少年である。GELLONIMO 雅さんは
「一転して罪状否認…おまけに司法の極刑に判決が出やすい流れから被告人に大量の弁護団までできたみたいで…司法国家である日本において仕方ないのかもしれないけど弁護士の裁判テクニックによって判決が変わるのってどうなんだろう…弁護料の高い弁護士がついて判決内容が変わるってのはアメリカでしばしばあるんですが、犯した罪に応じて刑が執行されるのが裁判なんですが弁護士の裁判テクニックによって判決が捻じ曲げられるのはどうなんでしょう…」
元少年は死刑になるだろう。だが、GELLONIMO 雅さんも言っているけど、確かに、元少年が「全く反省をしていないのに、死刑を勝ち取っても意味がない」かもしれない。まあ、これは弁護団の責任てもある。だいたい、自分の犯した罪を軽減してもらおうなんていう根性が気に入らない。自分の撒いた種は自分で刈り取ることを教えるべきなのだ。単に「反省しろ」だったら、お猿さんだって反省するってもの。
GELLONIMO 雅さんは「終身刑と死刑…どちらが重いんですかね」と言っているが、これは、ケースバイケースだろう。
そこで、もはや納得できる制度を設けるとしたら、やっぱり「仇討ち」の復活しかない。日本古来の慣習でもあった「仇討ち」。温故知新ではないが、この日本古来の慣習を見直し、被害者に対して「仇討ち」を認めるのである。その際には当然、被告人に対して、裁判所は「基本的人権」の一時凍結を下す。その上で、被害者は仇討ちをするのだが、その条件として、やはり仇討ちの執行については期限を設定すべきだろう。1ヶ月以内に執行する…とか。
ただ、被害者の中には「自ら人を殺めることが出来ない」という人もいるだろう。その場合には、「国選仇討ち執行代理人」を雇えることにする。いわゆる、恨みを晴らす「仕事人」とか「仕掛け人」の登場である。
しかも、ここで重要なことは、被害者は、執行代理人に執行の仕方を要求できるということだ。例えば「一発ではやらず、恐怖心を出来るだけ味わってもらい、ジワジワと執行していく」とか…、いずれにしても、その処刑方法は被害者に全て一任するのである。あと、やっぱり“仇討ち場”は作るべきだろう。逃げないようにするためには、やっぱり四方八方、海に囲まれた離れ小島の無人島だろう。島流にして処刑を執行するのである。とにかく、被害者を究極のサディスティックに変貌させることが重要である。
いずれにしても、被害者も納得する処刑をすべきだってこと。ただ、死刑囚が命乞いして、被害者が「仇討ちをしない」というなら救われる。あくまで、被害者の判断に任せることである。そうすれば単なる「死刑」より、犯罪への抑止力になるはずだ。
おそらくだが、被害者の中には、仇討ちを望む声が多いと思うのだが…。
しかし、今回の裁判で感心するのは、本村洋さんの執念というか、パワーの持続力である。なかなか出来ることではない。元少年についた21人の弁護団も、「人権派」と名乗るなら、本村さんの気持ちを最優先に考えるのが当然かもしれない。弁護士だから当然の職務だが、間違いなく、その実態は弁護士の仮面をつけた「21人の畜生」である。