玉置浩二のDV、中井貴一と時任三郎の三角関係…女優・石原真理子の暴露本で芸能界大激震!?

TBSドラマ「ふぞろいの林檎たち」で人気になり、米国への逃避行から帰国し、また芸能界に復帰した元歌手で現在、女優の石原真理子が暴露本「ふぞろいな秘密」(双葉社)を発刊することになり話題になっている。あした発刊されるが、6日には赤坂の某ホテルで緊急記者会見も行われる。とにかく暴露本の内容である。■子供時代からデビューまでは「父親の暴力」「両親離婚」「初恋の相手からレイプの未遂」■ドラマ「ふぞろいの林檎たち」放送の時は「中井貴一との恋」「中井貴一と時任三郎との“三角関係”」「女性共演者との確執」■安全地帯のボーカル玉置浩二とは、薬師丸ひろこがいるのに「数年間の同棲生活」「元妻との争い」「プロポーズされたこと」「2人で“遺書”を書き“自殺”を試みた」「玉置から受けた“暴力”で鼻、腰の骨が折れた」「救急車騒動は玉置のドメスティック・バイオレンスだった」■交際した顔ぶれは「明石家さんま」「大物アイドルK,T」「有名歌手G」「石黒賢」「ミュージシャンK」「F1人気レーサー」■芸能界のセクハラは「映画監督からの“SEX強要”」「枕営業で仕事をとる女優」「マネジャーの裏切り」■15年の米国逃避行では「極秘入籍」「極秘離婚」「有名カリスマ社長との恋」。まあ、久しぶりの鮮烈な暴露本である。プロデュースした双葉社の渡邉拓滋はハッキリ言って悪魔だな。ライブドアの乙部綾子の本は売れなかったらしいから、ついに本領発揮といったところだろう。因みに、石原真理子を知らない人のために…。彼女が、名前を元の「石原真理子」に戻して、芸能界にカムバックしてきたのが今年6月。彼女が15年もの間、米国に逃避行していたのは「芸能界が嫌になって」のことだったようだ。“プッツン女優”ならではの行動だった。石原は「何もかもが嫌になった」と言っている。「海外に行ったのは91年だった。米国では最初、大学に通っていたようですね。その後は、仕事もしたようですが、何もしていなかった時期もあったようです。仕事は、映画やテレビドラマのエキストラをやったり、ラスベガスではショーの開演を待って行列に並ぶお客さんの写真を撮るカメラガールなんかもやっていたみたいです。あとは、現地の雑誌の取材アシスタントなんかも経験したといっていました。米国で色々なことを経験できてよかったんじゃないでしょうか」。芸能界にカムバックした直後の今年6月、彼女をインタビューしたある芸能記者は言っていた。石原は、聖神女子学院高等科在学中だった80年、薬師丸ひろ子主演の映画「翔んだカップル」でデビューした。16歳の時だった。「芸能界で活動していきたいと、在学していた聖神女子学院高等科から堀越学園高校に転校するなど意欲は十分でした。都会的香りの漂う清純派女優として人気を得た」。女優としての人気を確立したのは、83年に放送したTBSドラマ「ふぞろいの林檎たち」だった。山田太一原作・脚本のドラマで、落ちこぼれ大学生3人の青春を描いたものだった。主題歌にはサザンオールスターズ「いとしのエリー」が使われ、ドラマとともに大ヒットした。また、86年の実写版映画「めぞん一刻」では、主人公の音無響子を演じて、アニメ・ファンからも支持を得た。しかし、私生活では不倫騒動などさまざまなスキャンダルで話題になり、その頃から、藤谷美和子と並ぶ“プッツン女優”として新たな注目を集めるようになった。91年に単身で海外に渡った。米ロサンゼルスに住んだが、その後、パリに渡るなど転々としたが、93年に帰国して本名を「真理子」から「真理絵」に改名、芸能活動も「石原真理絵」にした。「本人は心機一転だったようですが、思ったほどの活動は出来なかったようです。話題になったのは、初のヌード写真集(Marie!)を発表したことぐらいでしょう。今になってみれば、消し去りたい過去かもしれませんけどね」(石原を知るプロダクション関係者)。95年に再び渡米し、ロスの大学に入学した。石原は、その当時のことについて「私のことを忘れてという思いだった」とし「出来るだけ、日本の情報を遮断したかった」と振り返っている。帰国したのは四十路を迎えた2年前の04年だった。「ふぞろいの林檎たち」のメンバーだった中井貴一や時任三郎らと再会した時のことだった。「またやりたね」。石原はノスタルジックな気分になった。「仕事に関しては走りたい気分」という石原。山田太一氏の意思次第だというが、「ふぞろいの林檎たちパート5」の企画も進んでいるというが、今回の暴露本発刊で全てオジャンだろう。※写真=石原真理子のヌード写真集は話題になった。10028324.jpg