著作権フリーだから誰でも自由にDLできる…三重・四日市ののゆ るキャラ?こにゅうどうくん?のテーマ曲

 三重県四日市市のマスコットキャラクター〝こにゅうどうくん〟のテーマ曲「SUNRIZE!43〜こにゅうどうくんのテーマ〜」が制作された。パーカッショニストで音楽プロデューサーの斎藤ノブがプロデュースし地元出身のボーカリスト、浦嶋りんこが歌っている。東京では日本橋の三重テラスで浦嶋が参加してのトークショーが開催されたが、地元では8月5日に開催される「大四日市まつり」の中の「おどりフェスタ」で披露されるという。
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↑こにゅうどうくんと浦嶋りんこ

〝こにゅうどうくん〟は、同市に伝わる〝からくり人形〟の「大入道」の息子という設定で、市制施工100周年だった97年に生まれた。一昨年の「第66回NHK紅白歌合戦」にも出場し、得意なダンスを披露し人気を集めた他、昨年はくまモン(熊本県)や出世大名家康くん(静岡県浜松市)などがグランプリとなった「ゆるキャラ・グランプリ」で17位を獲得した。全国で1500体以上が活躍していると言われるゆるマスコットキャラクターの中でも注目を集めているという。
その?
〝こにゅうどうくん〟も今年は生誕20周年。しかも市制120年を迎えることから新たにテーマ曲を制作し、活動の幅を全国に広げて行くことになった。〝成人〟になったことで「これまで以上に四日市のシティプロモーションの一翼を担ってほしい」と厳しい?任務が与えられた格好だ。
テーマ曲をプロデュースしたのは音楽プロデューサーで、パーカッショニストとしては松任谷由実や中島みゆき、吉田拓郎、B’z、浜田省吾などの作品にも参加している斎藤ノブ。そしてボーカルに抜擢されたのは四日市出身で久保田利伸やDREAMS COME TRUE、B’z、KinKi Kidsなどのバックボーカリストとして知られる浦嶋りんこ。
作品としては「若者らに応援メッセージを送る」ことをコンセプトに、ポップなダンスミュージックに仕上げている。「浦嶋のパワフルなボーカルと、こにゅうどうくんのエキサイティングなダンスは注目を集めるはず」とは同市シティプロモーション課の担当者。また、森智広市長も「(〝こにゅうどうくん〟と)一緒に四日市を盛り上げていきたいといきたい」とアピールしている。
特に、同曲の特徴は「著作権フリー」としているのが大きなポイントだ。斎藤や浦嶋を含め楽曲に携わった全員の承諾を得た上で楽曲はJASRACに登録していないことから、同市のホームページ上から誰でも自由にダウンロードが出来る他、ダウンロードではなくCDが欲しい人や楽曲利用を希望する人に対しても同市のシティプロモーション課に問い合わせれば対応するという。
東京・日本橋の三重テラスでは先ごろ「四日市STYLE〜120年の絆 これからもずっとこの街で」と題した市制施行の記念イベントが開催された。イベントでは浦嶋が参加してのトークショーも行われテーマ曲が紹介された。
地元の四日市では8月5日に開催される「大四日市まつり」の中の「おどりフェスタ」で浦嶋とこにゅうどうくんが登場しての〝生うた〟とダンスが初披露される予定だ。

〝メギド〟だとか〝アクロ〟だとか、そんなのどうでもいいじゃな いか…PIERROT とDIR EN GREYがジョイント・ライブ

ビジュアル系ロックの「二大カリスマ」と言われる〝PIERROT(ピエロ)〟と〝DIR EN GREY〟が7、8日の両夜、横浜アリーナで初のジョイント・ライブ「ANDROGYNOS」を行った。常に対立してきたバンドの競演だけに「宗教戦争勃発」と言われるなど注目度も高かったが、「戦ってますか?でも、戦いなんてどうでもいい、楽しんじゃえばいい」とPIERROTのキリトは雄叫びをあげた。
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DIR EN GREYとPIERROTは、ビジュアル系のバンドが全盛期だった95年後半から00年代前半にかけて?二大カリスマ?として人気を集めた。特に、東京・原宿の神宮橋には、双方のファンが詰めかけ、彼らの楽曲「アクロの丘」(DIR EN GREY)と「メギドの丘」(PIRROT)というタイトルが地名がつけられたと言う。2つのバンドのファンはコスチュームで競い合い、その後「2つの宗教(バンド)の信者(ファン)による抗争」にもつながったそうで、「ファンの間では〝神宮橋の宗教戦争〟として語り継がれている」と言う。  今回のコンサートは、その〝二大カリスマ〟が同じステージに立ち演奏で戦うだけに、ビジュアル系ファンにとっては「今年、最大のイベント」と盛り上がってきた。
PIERROTのキリトは「〝メギド〟だとか〝アクロ〟だとか、そんなのどうでもいいじゃないか。もともとは1つだった。その後、分かれていた時もあったが、今夜、また1つになった。みんなが楽しめればいい」とファンに呼びかけると、「MAD SKY」「Adolf」「脳内モルヒネ」など全14曲を歌いきった。
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一方のDIR EN GREY も「ピエラー(PIERROTのファン)の皆さん、今晩は。DIR EN GREY です。今日は1つになるんだ」と登場するや「朔ーSAKUー」や「GRIEF」「アクロの丘」など、アンコールを含む15曲を歌った。
今回のコンサートでは、ステージは「危険地帯」とし、ステージの最前列を「前線基地」、さらに、その周囲は「緩衝地帯」、そしてセンター席の後方を「中立地帯」、スタンド席を「非武装地帯」と細かく分けるなどでファンのモチベーションを上げていた。さらに、座席内には両バンドの曲目が使用されている。会場内の趣向を凝らした配置はファンにも大好評だった。
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※プロフィル
DIR EN GREYは、今年、結成20年目を迎える。
「世の中の矛盾や人のエゴから発生するあらゆる痛みを世に伝える」ことをコンセプトに結成した5人組。インディーズ時代からコンサート中心の活動を続け、ビジュアル系ロックの雄として圧倒的な人気を誇る。
一方のPIERR0Tはメンバーはボーカルのキリトと中心にアイジ、潤、KOHTA、TAKEOの5人組。メジャーデビューは98年だが、活動開始は95年。デビューの翌年には、デビュー最短で日本武道館公演を行い話題になった。しかし、06年4月2日の東京・日比谷野音でのライブを最後に突如、解散を発表、その後はコンサートはもちろん、釈明もしないままファンの前から姿を消していた。ところが、3年前の14年10月に、さいたまスーパーアリーナで2daysのライブを突然に敢行、ビジュアル・ファンを熱狂させていた。

湘南出身の注目アーティスト…ヴィオラ&ピアノの異色姉妹デュオ〝MARIERIKA〟

東京・恵比寿の恵比寿アート・カフェ・フレンズにヴィオラとピアノの姉妹デュオ〝MARIERIKA〟のライブ「SKY EYE LIVE♪ vol.5」を観に行った。ANA機内上映番組「SKY EYE〜空からのメッセージ〜」のテーマ曲「雅〜mi ya bi〜」などを手がけている。「SKY EYE〜空からのメッセージ〜」に合わせてのスペシャル・ライブで、「空」をテーマにした作品を中心に姉妹ならではのコンビネーションで会場を魅了していた。 2017070202300000.jpg

〝MARIERIKA〟は、国立音楽大学楽器学科卒業のERIKA(ピアノ=姉)と東京音楽大學楽器専攻のMARIE(ビオラ=妹)の姉妹で2006年に結成された。「湘南の姉妹デュオ」として茅ヶ崎市を中心に注目を集めてきた。 「人の声に近い音色のヴィオラと、キラキラと輝くピアノの音色を生かして?ヴィオラとピアノのツイン・ボーカル?と自分たちではアピールしてきました」(MARIE)と言う。  年齢は4歳の違いはあるが意気はピッタリ。「年齢差は感じません」。 「SKY EYE〜空からのメッセージ〜」の音楽担当して5年魔になる。現在、彼女たちの書き下ろした「雅〜mi ya bi〜」が起用されているが、搭乗者からの問い合わせも多いと言う。 内容は、47都道府県を〝MARIERIKA〟の音楽に乗って紹介するもので「基本的には機内上映ですが、最近はYouTubeでも観ることが出来るようになりました。今は千葉県の紹介映像になっています」(ERIKA)。 その他にも、千葉・舞浜で行われた「モスバーガー共栄会全国大会」のテーマ曲を担当したり、そごう横浜店30周年を記念して制作された開店と閉店時に使用される音楽も担当した。その一方、熊本城・本丸御殿内でのライブを機に、昨年の熊本地震以降は定期的に「熊本地震復興支援チャリティー・コンサート」も行なっている。 既に4枚のオリジナル・アルバムを発売している。今回のライブでは、最新アルバム「雅〜mi ya bi〜」の収録曲を中心に演奏した。「SKY EYE〜空からのメッセージ〜」は5年目の今年が一区切りになるが、来年以降は「SKY EYE WORLD」として、海外便での起用も検討されていると言う。「新しい曲を作って、今度は海外の搭乗者からも評価されたい」(MARIE)と言う。その上で「海と空は繋がっていると思うし、湘南の出身なので、そういったイメージを大切にした曲作りをしたい」とも。 新曲は、洋楽器で〝和〟のテイストを取り入れたサウンドを独自の感性で奏でたと言う「利休」と言う作品も作った。ERIKAは「和ジャズだと思っています。将来、お茶のCMに使ってもらえたら嬉しいですけどね」。 ヴィオラとピアノ演奏で、ボーカルがないだけにインパクトに欠けると言う声もあるが、そういった部分も2人のキャラクターで補っていけそうだ。 <br class=”shot-clear” />

紗倉まなが司会に初挑戦!SEXY−J が新宿ReNYでファン・イベント…白石茉莉奈、天使もえ、浅田結梨、尾上 若菜ら9人が総出演

2017070203110000.jpg人気セクシーアイドルが一堂に会した〝SEXY−J〟のファン・イベント「SEXY−J FANMEETING LIVE2017」が、東京・新宿ReNYで行われ、紗倉まな(24)が司会に初挑戦した。「出演者が気持ちよく歌ってもらえるように頑張りました」。
 〝SEXY−J〟は、3年前に結成したセクシーアイドル・グループ。
関係者によると〝恵比寿マスカッツ〟に対抗して活動をしていると言い、白石茉莉奈や天使もえ、きみと歩実、浅田結梨、尾上若菜ら9人が参加した。
もっとも〝恵比寿マスカッツ〟との大きな違いは「セクシーアイドルに昭和歌謡を歌わせる」のが基本コンセプト。これまでにグループとしては「セーラー服を脱がさないで」や「青春のフラッグ」などを歌ってきた他、個人としても小島みなみと紗倉がデュオで「後から前から」、続いて、白石茉利奈「1986年のマリリン」、天使もえ「亜麻色の乙女」、きみと歩実「学園天国」などを発売してきた。「70年代、80年代ブームに乗ってファンも増えている」と言う。
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また、セクシー女優というイメージを取り払い楽曲を優先した振り付けにしているのも、これまでにない戦略。イベントやコンサートも大盛況で、今回のファンイベントも発券分の700枚が即日完売だったという。
 ステージはメンバー全員による「セーラー服を脱がさないで」で幕を開けた。続けて白石が「DESIRE〜情熱〜」、栗原里莉が「気まぐれヴィーナス」、そして春原未来が「タッチ」などを熱唱、約2時間にわたってのエキサイティング・ステージを繰り広げた。
 「音楽活動は18禁じゃないので、幅広い人たちから支持されるように頑張りたい」(白石)と意欲を見せていた。紗倉も「歌は大好き。?SEXY−J?が歌うことで、出来れば老若男女、幅広い世代に親しまれ流ようになればいいなと思っています」とアピールしていた。
 紗倉は、2ヶ月前(5月)に「腎盂(じんう)腎炎」に感染して入院、何本かのスケジュールをキャンセルした。「イベント会場に移動中、急に高熱(39.8度)になって動けなくなった」と言う。「風邪かと思って風邪薬を飲んでいたんですが高熱になって驚いた」とも。しかし、今回のイベントでは元気一杯、初挑戦とは思えないほどの堂々とした司会、進行ぶりを見せた。
「これからも、色々なことにチャレンジしていきたい」と意欲十分だった。

初の3年連続地方同一都市開催へ!TGC北九州市開催に「私にとっては特別なステージ」と桐谷美玲。

国内最大級のファッションイベントとして知られる「東京ガールズコレクション(TGC)」の北九州開催が一昨年、昨年に続いて今年も決まった。TGCは「地方産業活性化プロジェクト」として、地方都市で繰り広げてきた。北九州市は地方開催では5県目だった(九州では宮崎県に続いて2県目)。
しかし、3年連続地方同一都市開催というのは初めて。地元関係者は「TGCの北九州開催は定着していくと思う。これをキッカケに北九州から新しい文化を発信していきたい」と意欲を見せている。
北九州でのTGCは今秋10月21日に「TGC KITAKYUSHU 2017 by TOKYO GIRIS COLLECTION」のタイトルで小倉北区の西日本総合展示場新館で開催される。
言うまでもない。北九州といったら「抗争の都市」として全国に知れ渡っていた。
そういった中で「暗いイメージを払拭したい」と、開催を模索していたのがTGCの北九州市北九州開催だった。
因みにだが、北九州市の出身者には意外に有名人が多い。あの高倉健さんやNHK大河ドラマ「真田丸」で注目を集めた草刈正雄、さらには香田晋、つるの剛士や山本リンダなんかもいる。そうだ、NHKの会長を続投させてもらえなかった籾井勝人サン、それに都知事を辞めさせられた国際政治学者の舛添要一サンなんかもそう。他にも野田聖子や大前研一なんかも…。これほどまでの顔ぶれが揃いながら、これまでイメージチェンを図ってこれなかった。ハッキリいって情けない。
FullSizeRender.jpgだが、「現状を打破しないと北九州市は変わらない」と、やはり地元出身の俳優に背を押されたのだろう、北九州でのTGC開催を提案し、その糸口を作ってきたのが地元出身でコンサルティング会社を経営する佐藤竜司氏(写真=スタート時は北九州まち・ひと・しごと創生有識者会議のメンバーにもなっていた)だった。「常にアイデアを出し合い、いかにワクワク感を創出できるかが重要なのです」と力説する。
過去2回は桐谷美鈴や山田優、南明奈、橋本環奈、水沢アリーをはじめ、中条あやり、アシュリー、有末麻祐子、今井華、玉城ティナ、道端アンジェリカ、筧美和子など多くのモデルが参加してきた。今回は池田美優、中村里砂、道端アンジェリカ、吉木千沙都らが既に決定していると言う。
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先ごろ、参加者の中から桐谷美玲がゲストとして出席して記者会見も行われた。「博多織の着物を着させて頂いたり、初めてトップバッターとして歩かせていただいたので、私にとっては(北九州でのTGCは)特別なステージだと思っています。出演者全員で去年以上に盛り上げていきたい」と桐谷。
また、小川洋・福岡県知事も「北九州は、ものづくりのまち、環境の街として知られるが、このイベントによって新たにファッションという魅力が加わった。北九州市のイメージアップはもちろん、女性・若者、そしてアジアの交流人口増加に繋いでいきたい」。
そして北橋健治市長は「小倉には市内外から女性や若者が訪れ、活気に満ち溢れた。TGCが多くの人を魅了する力を秘めていることを改めて認識した」。
今回は、地元でオーディションを行う他、「わっしょい百万夏祭り」にモデルが参加することも予定されている。
佐藤氏は〝立役者〟として同市から表彰もされた。「かつての暗いイメージは変わりつつある。何よりTGCを開催したことで街に活気が出てきた。ここまで盛り上がっているわけですから個人的には少なくとも5年間は続け、百万祭り〟そして秋は〝TGC〟という流れが出来れば嬉しい」。
全国各地で「地方創生」を合言葉に、「町興し」のイベントが活発化している。そういった中で北九州市の取り組みが全国から注目され、早くもモデルケースになりつつある。

海老蔵語る。最後は「愛している」と言って旅立った。2年8ヶ月の闘病生活にピリオド…小林麻央さん無念の死

最後の一言は「愛している」だったと言う。
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奇跡が起こってほしい…。
誰しもが、そう願っていたに違いない。しかし、病魔は容赦無く、確実に体を蝕んでいった。
乳がんで闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日夜、亡くなった。34歳だった。闘病生活2年8ヶ月。奇跡を信じてきたが叶わなかった。夫の歌舞伎俳優・市川海老蔵は22日の早朝、自身のブログで「人生で一番泣いた日です」と綴った。
6月20日。麻央さんはオフィシャルブログを「オレンジジュース」というタイトルで更新。「ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます」と近況を述べた上で「正確には自分で絞る力がないので、母が起きてきて、絞ってくれるのを心待ちにしています」「今、口内炎の痛さより、オレンジの甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!」と綴り、酸素吸入器をつけながらも笑顔の自撮りとオレンジジュースを公開していた。それから僅か2日後の急変となった。そして、これが麻央さんにとっての最後のブログとなった。
22日の朝には海老蔵がブログを更新した。「多くの祈りをありがとうございます」とファンからの温かいメッセージに感謝。その上で「よくなってほしい。ただ、それだけ」と心境を綴り、「日々の戦い、まおは日々、病と戦っています」とし、続けて「支える側の家族も懸命に戦い日々を何事もなかったように過ごしながら家の中でひたすら戦っています」て綴っていた。
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海老蔵は25日まで東京・Bunkamuraシアターコクーンで自主公演「市川海老蔵 第四回 自主公演 ABKAI 2017 ~石川五右衛門 外伝~」に出演中だ。そこで麻央さんの死去について23日午後、同所で記者会見をした。
ステージ前にたった海老蔵は
「昨夜、麻央が旅立ちました」。
沈痛な面持ちで切り出した。
海老蔵によると、麻央さんの体調が悪くなり、麻央さんのお母さんからLINEが送られてきたそうだが「本番中で見るのが1時間半遅れた」と言う。LINEを見て慌てて自宅に駆けつけると、麻央さんの意識が朦朧としていた感じだったと言う。その後、息を引き取ったが、最後に「愛している」と口ずさんだのがわかったと言う。
「息を引き取る瞬間〝愛している〟と口ずさんで、そのまま旅立っていきました」
海老蔵は涙ながらに語った。
「最後の最後まで愛されていたのかと改めて実感しました。出来ることなら、ずっと一緒にいたかった」。
その一方で「最後を自宅で送ることが出来たことは良かった」とも。
「自宅で一緒にすごすことが出来たのはかけがえのない時間となりました」。
海老蔵と麻央さんの間には2人の子供がいる。
「心残りだったと思う。でも、いくら考えても答えは出てこなかったかもしれない。子供たちにとって、母親はこれからが重要になってくると思う。(自分が)その代わりは出来ないかもしれないが、背負っていかなければならないこと、やらなくてはならないこと大きくなってくると思う」。
同公演が終わると、7月3日から歌舞伎座で開演される「七月大歌舞伎」、8月には「六本木歌舞伎 第二弾 座頭市」の名古屋、大阪公演と公演が控えている。
海老蔵は稽古について以前、ブログに次のように綴っていた。
「こういう時だからこそ、より厳しく、より深く己に喝を 私が役者として良くなる事を誰よりもまおがよろこぶから、私はやる」。
その日々の中、役者として成長する姿が、乳がんと闘う妻の力になると信じ、芸道に精進することを誓っていたのかもしれない。
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思い返せば、丁度2ヶ月前のことだった。病状が悪化して心配されたことがあった。
麻央さんは4月19日のブログで「10歩歩くのもやっとになってしまう」と吐露し「息苦しさと変な発汗と痛み」に悩まされていたことも明らかにした。それから3日後の22日。今度は「入院」というタイトルで更新し「皆様 ご心配をおかけして申し訳ありません。そして、優しい励まし、強い祈り、本当にありがとうございます」と「再入院」を明らかにしていた。
この時、ブログにはベッドの上でパジャマにマスクという姿の写真を添付した上で「具合が悪いほど家族と離れたくない気持ちが増して家で回復させたかった」と無念な思いを滲ませながらも「今は、自分の力では難しいので、医療の恩恵を受けて元気になりたい」と心情を記していた。
実は、この時も海老蔵は「古典への誘い」と題した公演の全国巡業だった。しかし、23日に千秋楽を迎え帰京した。その後、5月の末に退院、自宅療養をしていた。
麻央さんの闘病を改めて振り返ってみる。
麻央さんが乳がんを患い極秘入院していたことは昨年6月9日に東京・銀座の東武ホテルで開いた記者会見で海老蔵から公表された。
一部報道を受けての会見となったが、このニュースは瞬く間に日本中に伝わった。芸能関係者は「2月に松方弘樹さんが脳腫瘍で長期療養をすることが発表されていただけに、麻央さんの乳がんも大きな衝撃として伝えられた」と言う。
関係者によると麻央さんは14年2月に海老蔵と一緒に診察した人間ドックで疑いを持たれ、すぐに精密検査を受けたところ、当初はがんではなく良性の「乳瘤」と診断されたそうだ。その後、経過観察をする中で14年10月に胸に違和感を感じたことから再検査を受けたところ、乳がんが発見されたという。しかも腋窩(えきか)リンパ節に転移し「ステージ3」と診断された。
会見で海老蔵は「進行性のがん」であることを吐露。「誰よりも本人が一番辛いと思う。子供のそばにいてやれない母親の気持ち、苦しさと闘っている」と、麻央さんの気持ちを代弁していた。だが、一方でがんの患部が右なのか左なのかも明らかにせず、進行状況については言葉を濁らせた。
実際には、医師からは手術での切除を提案されたが乳房の温存を望んでいた麻央さんは「手術はしない道」を選んだようだ。そういた意味では、麻央さんの意思に沿った治療だったのかもしれない。が、海老蔵の表情からは病状の深刻さがにじみ出ていた。
乳がんであることが公表された麻央さんは、昨年9月からは自らの意思でブログを始めた。そして10月1日のブログには「クオリティー・オブ・ライフ(QOL)」のために手術を受けたことを明かにした。この手術では左乳がんと脇の下のリンパ節を取り除く手術を受けたと言う。もっとも、手術自体は痛みを取り除くものでがんを除去するものではない。しかし、術後の状態は良好で、麻央さんはブログで「奇跡はまだ先にあると信じています」と綴っていた。
その後、10月3日には、がんが〝ステージ4〟であることを自ら公表した上で10月10日には子供たちが通う私立幼稚園の運動会に参加した。麻耶がエストートしながらだったが「娘も息子も、思いっきり楽しんで参加していて、本当に嬉しかったです」(ブログより)。
しかし、がんの進行状況が〝ステージ4〟という公表に周囲も驚きを隠せなかったことは確かだ。ところが、麻央さんは「私はステージ4だって治したいです」とブログに書き記していた。
年末の12月20日には放射線治療のために一旦、入院したが今年1月29日からは自宅療養に切り替えていた。しかし、がんは容赦なく真央さんの体を蝕んでいた。
麻央さんの開設したブログは、常に前向きに自らを語ることに多くの人が共感し、そして勇気づけられたという。それは初日の3000万PVという数字でも分かる。
がんとの闘いは早期発見が重要ではあるが、ステージが上がると本人はもちろんだが高額な治療費も含め経済的な負担も大きくなる。現実的に家族にとっても大変だということを改めて実感する。

地元・北九州市の活性化に頑張りたい…新たな歳を迎えた吉川銀二 が意気の第一声!

 親友の吉川銀二の誕生日。その20日。派手さがウリの銀ちゃんだが、何故か「今年は地味にやりたいんだよね」と言いながら、六本木のステーキハウス「ハマ」で。地味な割に高級感を出していた。  ところで銀ちゃんといえば北九州の出身。やはり歳を重ねると故郷が懐かしくなるようで、
「出身地の北九州市の活性化させたい」
「地元に貢献したい」 と言い出すようになった。
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そういった中で「東京ガールズコレクション(TGC)」の北九州市開催が決まった。もっとも、TGCと銀ちゃんとの関わりが、どの程度のものかは分からないが、そんなことは結果オーライである。 ただ、振り返るとTGCに関しては中国の上海と北京の開催にも関わっていた。それだけに、北九州市での開催にも…ま、そんな裏事情はどうでもいい。故郷を思う気持ちはいいことである。
そもそも、北九州市と言ったら「抗争の都市」として全国に知れ渡っていた。正直言ってイメージが悪かった。そのイメージを一気に払拭したのが、TGCの北九州市開催だったことは確かだろう。何と言ってもの、隣の福岡市が嫉妬するぐらいに成功したという。
TGCの北九州市開催は既に2回。今年3回目が開催されるが、その経済効果は20億円とも言われている。沖縄でコケた、あのAKBの総選挙の経済効果が17億円を見込んでいたことを考えても明らかに大成功だ。
FullSizeRender.jpg因みにだが、北九州市の出身者には意外に有名人が多い。しかも多種多様、個性派の人ばかりだ。銀ちゃんを筆頭?に、あの高倉健さん、草刈正雄や香田晋、つるの剛士や山本リンダなんかもいる。そうそう、NHKの会長を続投させてもらえなかった籾井サンや都知事を辞めさせられた国際政治学者の舛添サンなんかもそう。他には野田聖子や大前研一も同郷だ。とにかく、顔ぶれを見る限り、プライドのたかそうな面々ばかり。中でも、銀ちゃんは突出している。「福岡市に負けないくらいの活力を北九州市には求めたい」と口癖のように言っていた。
誕生会には、北九州市でコンサルティング会社を営む佐藤竜司さんも駆けつけた。佐藤さんは、北九州市でTGC開催の糸口を作ってきた人物で、先ごろ市から特別表彰された。今や北九州の名士である。その佐藤さんは「銀ちゃんがいなかったら、北九州での長期開催も実現できなかったかもしれない」と言う。いずれにしても、今やTGC開催は、「百万祭り」と並んで北九州市の年間行事の一つになっている。
「北九州をキッカケに地方活性化ということで12月には広島での開催が決まった、2年後には熊本で開催も予定されている、地道な努力で、今や北九州が地方活性化のモデルになろうとしている。ここまできたら、もうやめるわけにはいかない」
この言葉が、新たな歳を迎えた銀ちゃんの第一声だった。
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36年経っても頑張ってます!! イモ欽〝フツオ〟の長江健次が全国15都市で全20公演ツアー!

デビュー36年目を迎えたタレントの長江健次(52)の活躍に注目が集まっている。「ここまで現役で頑張ってこれるとは思ってもみなかった。ファンに感謝しています」。7月8日からは東京・渋谷のJZ Bratを皮切りに全国ツアー「いろんなUtaを唄う旅」も予定している。10月1日の沖縄まで、全國15都市で20回の公演を行う。「昭和のヒット曲や名曲を含め歌う予定です。僕たち世代が思いっきり楽しめる空間にしたい」と意欲をみせる。
 デビューは81年。萩本欽一の「欽ドン!良い子悪い子普通の子」(フジテレビ)で〝フツオ役〟を演じて大ブレークした。同番組内の山口良一、西山浩司と組んだ〝イモ欽トリオ〟で出したのがデビュー曲「ハイスクールララバイ」(81年8月5日発売)だった。「CDではなく、まだアナログの時代だったのですが、レコード盤で150万枚以上を売り上げた。まだ17歳だったこともあって正直言って自分でも驚きました。もちろん勘違いした部分もあったと思います」。
 その後、大学進学をキッカケに活動の場を出身地でもある大阪に移した。「芸能活動と同時に、趣味だったスノーボードにも力を入れました。それこそプロの大会にも出たし、インストラクターなんかもやるようになりました。おかげで活動の幅はもちろん、自分自身の視野も広がった気がします」。
 スノーボードでは「トリノ五輪」の選考会にも出場した。「競技には出場できませんでしたが、選手のコーチとして参加しました」と言う。
 NHK朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」へのレギュラー出演もあって、50歳となった14年からは役者としてはもちろん歌手活動も本格的に再開した。「舞台公演やライブにも力を入れ流ようになった」と言う。
 6月2日から4日まで、東京・光が丘IMAホールで舞台公演「午前5時47分の時計台」にも出演した。阪神淡路大震災を舞台化したものでいしだ壱成、宮地真緒らと共演した。そして、7月からは3ヶ月かけて全国ツアー「いろんなUtaを唄う旅」を行う。札幌から沖縄まで全國15都市を回る。「予定では20公演を行います。実は前評判もよくて、もしかしたら急に本数が増えるかもしれません」と言う。
 昨年はデビュー35周年を記念してカバーアルバム「Hito no Uta」も出した。「うれしい!たのしい!大好き!」(DREAMS COME TRUE)、「雨」(森高千里)、「時の流れに身をまかせ」(テレサ・テン)、「流星」(コブクロ)、「未来へ」(Kiroro)、「生命」(松山千春)などを演歌からフォークまで口ずさめる作品ばかりを選りすぐり幅広く収録している。
 「アコースティックで暖かさのあるアルバムに仕上げました。もちろん今回の全國ライブのセットリストにも入れます。ライブでは伊藤銀次さんなども参加してくれます。みんなが一緒になって歌えるようなライブにしたい」と意欲を見せていた。

V系ロックグループ〝BugLug〟ボーカル一聖が重症頭部外傷緊急手術から1年目。日本武道館で奇跡の完全復活公演!

 一聖おかえりーー。再起不能からの奇跡の完全復活だった。昨年5月7日に、階段からの転落事故で緊急手術をおこなったビジュアル系の5人組人気ロックグループ〝BugLug〟のボーカル、一聖(いっせい)が事故から丁度1年目となる7日、東京・日本武道館で完全復活ライブ「5+君=∞」を行なった。
事故直後は「重傷頭部外傷」と診断され緊急手術を受けたものの意識不明の重体で面会すらできない時期が続いた。一時は「復帰は不可能」とも言われていただけに、今回の日本武道館での復活ライブも注目されていたが、一聖も加わった5人のメンバーでステージに立った。
「俺はステージに帰って来たぜ!でも、5人でステージで立てることが、どんなに幸せなことかを改めて実感した」と一聖は雄叫びを上げた。
劇的なライブに会場は熱気に包まれた。
ライブを前に4月5日にはジャケットのデザインを一聖自ら筆で書き上げた初のベスト・アルバム「絶唱〜Best of BugLug〜」も発売された。復活ライブでは「(ベスト盤には)思い出がいっぱい詰まっている。あの頃があるから今があるのだと思う。夢を大切に前を向いて、これからも歩いていきたい」と、ベストアルバムの収録曲を中心にアンコールを含め21曲を歌いきった。
2017050719060000.jpg一聖は、丁度1年前の5月7日、事務所関係者との打ち合わせ後に食事で入った東京・渋谷の飲食店の階段で転落し頭部を強打した。都内の病院に救急搬送され。「重症頭部外傷」で数時間にも及ぶ緊急手術を受けたが意識不明の状態が数日間続いたと言う。その後、意識が回復したものの「話のできない状態だった」(関係者)と言う。
BugLugは、09年にデビューした5人組。当時は、シルエットで顔を隠すという奇抜な手法でデビューして話題になった。既に16枚のシングルを出しているが、ベストテン内にランクインするほどの人気で「2016年に最も活躍が期待されるグループ」として数えられていた。
「グループの中で一聖はボーカルを担当する中心的な存在。人気もうなぎ上りで、数多いビジュアル系ロックグループの中でも熱狂的なファンも多いのが特徴だったんです。それだけに連日、事務所には容体を心配するファンからの問い合わせが殺到しており対応に追われたようです」(音楽関係者)。
事故当初は「命には別状はない」と発表したものの、実際には深刻な状態で集中治療室がら出られず「親族のみしか面会が出来ないほどだった」という。
しかし、メンバーが連日、病院に赴き「激励した」ことが、一聖の精神面での大きな支えになった。懸命な治療の結果、奇跡的に歩行が出来るまで回復した。
担当医からは「復帰は難しい。障害も残る」と言われていたが懸命なリハビリによってステージ復帰となった。「ファンやメンバーの声援が大きな励みになったことは間違いありません。病院の先生も驚いていました」(所属事務所)。

《悼む》関西フォークの加川良さん死去。69歳。3年前に奄美大島では千春、正やんを従えコンサートも…

関西フォークのレジェンド、加川良=本名・小斎喜弘=さんが5日午前9時39分、都内の病院で死去した。69歳だった。滋賀県出身。加川さんは、急性白血病のため昨年12月から入院していたという。
丁度3年前の3月のことだった。加川さんは、松山千春と伊勢正三を従え鹿児島県・奄美大島の奄美市民センターでアコースティック・コンサートを行ったことがあった。このコンサートは、奄美群島日本復帰60周年を記念したものだった。
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「会場の客は、みんな千春や正やんの歌を聴きたいんだから」と言う加川さんに「何を言うんですか」という千春。続けて「このコンサートは加川さんのコンサートですよ。俺たちは、加川さんに呼ばれて来たんですから…」。
そんなステージは加川さん、千春、正やんの「なごり雪」で幕を開けた。その後、加川さんは「夜明け」「冬の星座」「ポプラ並木」などを歌った。
千春は「奄美大島は初めて。デビューして37年になるが、なかなか奄美には来るチャンスはなかった。今回は加川さんの誘いもあって来ることが出来た。そういった意味でもいいコンサートになった」と感慨深げだった。
このメンバーは、東日本大震災の被災3県(宮城、岩手、福島)でも震災復興支援コンサート「あの日をわすれない2014〜春一番コンサート」を行った。